麻布十番で働くCEOのBlog(旧・南麻布で働く社長のblog)

成功報酬型求人メディアGreenの運営や、インターネットサービスの企画・開発を行う株式会社アトラエの社長のblogです。

とんでもなく久しぶりにブログの更新。

最近多角的にいろんなことに関わりすぎていることもあり、常にドタバタしていることを理由に、ブログの更新など、ちょっとサボっても目に見えるようなリスクがない取り組みをなおざりにしがち・・・。

これからもサボる可能性が高いものの、今日は最近あらゆるところで聞かれるアトラエがエンゲージメントが高い理由についてちょっと書いてみることにする。


エンゲージメントを高める取り組みというのは適応課題であり、答えがあるようなものではない。
一つ一つの組織・チームによってエンゲージメントを高める方法やポイントは千差万別。
つまりみんなが知りたいような万能なティップスのようなものは存在しないというのが結論。

それを大前提とした時に、私がとんでもなく大事にして組織作りをしてきた一丁目一番地がある。

それは

全員が常に当事者であり続けられること

この一言に尽きる。

とにもかくにも、アトラエでは全社員が当事者として、「アトラエは自分の会社である」といい意味で思い込んでいる状態を作り出すこと。

そのためにも自分の意見や提案によって組織や事業が柔軟に変わっていくという実感を持ってもらうことや、一人一人が本当におかしいと思うことがあれば変えていいんだ、むしろ変えないといけないんだという感覚を持ってもらうことを徹底してきた。

それを18年以上に渡り継続してきたことで、アトラエでは当事者であることが当たり前であるという空気感を醸成することができている。まさに戦略的カルチャーの創造というのが近いイメージかもしれない。

現在アトラエには、この会社で起きていることが、創業経営者の私と同じくらいに自分ごととして考えてくれる仲間が約100人いる。それこそがエンゲージメントが高い理由であり、圧倒的な生産性の高さに繋がっている。

残念ながら細かい制度や業務改善などによってエンゲージメントが高まったり、生産性が向上したりはしない。大事なのは社員の心持ち。そこが変われば全てが変わる。

皆さんの会社では、どれだけの社員が当事者意識を持てていますか?

Ask not what your company can do for you, ask what you can do for your company!!

昨日、弊社アトラエの100%子会社であるアルティーリの保有するプロバスケットボールチーム「アルティーリ千葉」がB3リーグより正式に公式試合参加資格承認を受けたことにより、2021-2022年シーズンよりB3リーグに参戦します!

プレスリリース内容はこちら

ホームページはこちら


先日のブログ「倫理観をもった経営を志す」でも書いたように、我々のようなテクノロジープレイヤーなどの高収益企業は、その高収益をどう社会に還元していくのかということが極めて問われると考えている。

もちろん上場企業として一定程度の株主還元は当然の責務である。
そして当然ながら今回のプロバスケットボールリーグ参入についても、十分本業へのプラス効果もあると見込んでいる。
ただ一方でそれだけでは格差助長につながりかねない。やはり企業には雇用や納税なども含めた社会における存在意義が問われると考えている。そういう意味でも、余力がある企業はスポーツや芸術、医療や福祉や教育といった領域を通じて社会をより良くしていくお手伝いをしていくのが重要だと考える。

改めて我々アトラエは、アルティーリ千葉というプロバスケットボールチームを通じて、ホームタウンである千葉市はもちろんのこと、千葉県全体をも巻き込み、さらにはプロバスケットボール界の進化を支えつつ、社会に貢献していく、そんな挑戦をしていきたい。

昨今はコロナの影響でスポーツやエンターテイメントは不要不急だと言われやすいが、スポーツやエンターテイメントは決して不要不急なものではないと思っている。人は食べて寝て生きていければいい動物ではない。未来に向けた生きがいや楽しみや希望がなければ生きていくさえできない。

スポーツはそういう意味でも、見る人達にすごく勇気と感動と希望を与えるものだと思う。

白血病から復活した池江璃花子選手がオリンピック内定を獲得した時は誰もが心から感動したと思う。松山英樹選手がアジア人初のマスターズ優勝の瞬間は解説者はもちろんのこと、画面越しに多くの人が涙を流したくらいに感動したし、関わっていたチーム松山のメンバーの気持ちが手に取るように伝わってきた。

改めてコロナによる未曾有のこんな世の中だからこそ、我々のようなプレイヤーがスポーツを通して世の中を元気にしていくべきだと考えた。今こそ我々の参入が求められている、そんな気がして決断に至った。

我々が新規で創設する以上は、普通のチームで終わるつもりは毛頭ない。
今まで見たこともない、今まで感じたことのない、いろいろな意味で最高のチームを作り上げたい。

プロバスケットボールを通して地域の活性化や青少年の健全な育成に携わりつつ、日本のプロバスケットボールのレベルを一番下から一気に押し上げていきたい。

本当に久しぶりのブログ投稿です。
だいぶサボっていました・・・。

というかもうアトラエのこと、私の考えていること、散々綴ってきた上、社員の発信量も増えていることで、御役御免かなと思っていた感もあり。

今後はこうやってたまに思ったことや考えていることを発信していく予定。


さて創業以来ずっと言い続けている

会社とは関わる人たちを幸せにするために「人」が作り上げた仕組み

であるということ。これは変わらずそう思っている。

働く人たち、ユーザーや顧客、株主の方々、そして関わる社会(地域社会)、いわゆるステークホルダーと言い換えてもおおよそ同じかもしれない。この関わる人たちの和を広げていった先に我々のビジョンである世界中の人々を魅了する会社をつくるの実現があると考えている。


これを前提にここ数年ずっと考えてきたこと。

それは我々のようなテクノロジーカンパニーというのは、今まで他の会社が労働集約に実行してきたことをテクノロジーを駆使することで圧倒的少数で同等の価値を実現することができる。結果として極めて高い収益性を実現することが可能となる。
もちろん高収益企業というのは株主や社員にとっては極めて良いことである一方で、雇用という意味では雇用を減らしてしまっているともいえる。
せめて外貨を稼いできているのであれば、地球規模では雇用を奪っていても国内経済という意味では問題ないという見方もできるが、我々で言えば実際には完全に国内が主戦場となってしまっているので、事実国内の今日を奪っているということになる。

とはいえテクノロジーによるアナログ領域のリプレイスは不可逆であり、これを止めることは不可能。問題なのは、そこで生み出された高い収益をどう使っていくかということ。
一般的な資本主義的観点で考えれば株主や社員といった限られた人たちに還元されていく。もちろんそれによって多くの株主がファンとなり更なる投資を促進できれば、会社にとってもプラスとなるのは言うまでもない。

ただ本当にそればかりでいいのだろうか。
それだけでは格差の助長になるのではないか。
資本主義の、ある意味での限界がそこにあるのではないか。

冒頭に記載したように、関わる全ての人たちが幸せになるために会社が存在するとしたら、もっと「社会」というステークホルダーを意識し、そこの還元にも目を向けていくことが大事なのではないか。2016年に株式上場して以来、おぼろげながらそんなことを考え続けてきた。

国内の雇用を減らしてしまう一方で、なんらかの形で投資家や社員だけではない社会にも還元することで、格差助長を少しでも軽減し、より多くの人に還元する努力をすることが社会の公器である企業の正しいあり方なのではないか、ここ数年そんな結論に帰着しつつある。

還元する方法は色々あると思っている。

スポーツや芸術、教育、医療、福祉などがその典型的な例だろう。

我々アトラエはその中でも特にスポーツという領域に目を向けている。詳細はまた近い将来、このブログに記載するつもりだが、スポーツを通して地域社会を活性化し、青少年教育に良い影響を与えていくことができれば、これは社会にとっても大きな還元になるはず。

もちろん上場企業として、株主という存在も極めて重要なステークホルダーであり、単に利益を社会還元に回して消費するということではなく、社会貢献度合いの高いスポーツや教育により社会をより良くしながらも、しっかりと株式価値を高め、持続した成長を実現するということ。それが上場企業の宿命であり、当然のことなんだと認識している。

難易度が高いのはもちろんだが、株価や利益の高だけを追い求める企業では、いくら成長しても多くの人を魅了する未来は訪れない。多くの人を魅了する会社とはどんな会社なのか、我々は一つのチームとして、人類社会になくてはならない存在になるべく、試行錯誤し続けていきたい、そう思う今日この頃である。

最近まさに資本主義の限界が近づいているのではないかと感じている。

米国を代表するGAFAMや中国を代表するBATHといった企業の時価総額の変遷を見るたびにそう感じざるをえない。

GAFAMはこのコロナ禍において、東証一部上場企業2170社の合計時価総額をたった5社で上回ってしまったことは驚きを超えて、資本主義が来るところまできてしまったような印象をもった。そのうちの1社が弊社アトラエであるがゆえに、力の差を痛いほどに感じるわけだが・・・。


資本主義は当然ながら人類にとってMuch Betterな仕組みであり、それによって経済発展を遂げてきたことには疑いの余地はない。一方でピケティ理論でも言われているように、資産の収益率が所得の伸びを上回っていることで、富を持つ人とそうでない人の格差は拡大していくことも事実。

ただでさえ社会保険料や所得税、住民税などがここまで高くなってくると、給与所得による資産形成は極めて難しくなり、より不労所得を得ることの経済合理性が高まる。


事実我々のようなアントレプレナー・起業家と呼ばれる人種は、IPOはもちろんのこと、会社の売却などにより持ち株を売り出すことで莫大な資産を築く人が少なくない。私もそういった資本主義の恩恵に預かっている一部であることには疑いの余地もないわけで、それによって多少なり良い生活をさせてもらっているのも事実ながらも、だからといって資本主義が素晴らしいという手放しで思えるわけでもない。

日本においていえば、日々第一線で手術をしたり治療にあたっている医師、特に大学病院などで高度な技術を駆使しながら命を救っている人達の所得は少なすぎるように思える。我々起業家も人の数倍働き、社会に価値を創造してきたという自負はある一方で、そういった医師と比較したときに彼らの数十倍の資産を得るほどに人類に貢献したのかと言われると正直疑問もある。

一部の本気で日本を良くしようと日々奮闘されている官僚や政治家や教育者もそうかもしれない。

資本主義における合理性の中で、自身の時間や労力をどこに投資をすると対価が最大化するのか、まさに人生のROIを考えれば、当然ながらウォールストリート以上にシリコンバレーになるわけで、それがGAFAMであると思うと、資本主義の限界を感じてしまう。

もちろん経済の専門家でもなんでもない単なる一人の起業家としての肌感覚に過ぎない話でしかないが、日々情報を収集しながらも会社のあるべき方向性を考え続けてきた中で、最近特にこんな感覚を持っているということをブログに残しておこうと思った次第である。

今度資本主義に詳しい方にいろいろと教ろう♩
楠木先生とかかな♩

猛暑とコロナにより、いよいよリモートワークがより効率的に感じてしまう今日この頃。

経営者仲間の間でも、オフィスの一部解約をコロナ初期に決断・実行した話や、今後段階的にフリーアドレス化をして、リモートワークを推奨することでオフィス利用は50%まで削減していくことで利益率を高めていくなどの話題が事欠かない。

ここから先は組織創りやカルチャー醸成に重きをおいてきた私なりの経験に基づく見解だが、変化に適応し成長し続ける強い組織ほど、オフラインでのコミュニケーションやオフィスにおける環境や空気感を重視しているように感じる。

弊社ではコロナよりも前からリモートワークも自由、出退勤時間も自由と、極めて社員の自主性を重んじた組織運営をしてきており、コロナによりオフィスで働く社員の割合が変わった程度で、それ以外は特にルールを変更する必要もなく今に至っている。

実際にリモートワークは、集中して何か作業することや、会議も短時間で集中して実施しやすかったり、営業活動においても移動を伴わないために極めて効率的に実行できるなど、様々なメリットを感じるのは事実である。経営者にとっては何よりもオフィスコストが削減できるとなれば最高であろう。固定費をあまり抱えないIT企業にとっては、オフィスコストは人件費の次に大きなコストとなっているケースが多く、ここを削減できるということは利益率を向上させられるということに直結する。

しかし私はここに危機感を覚える。

私は17年間今の会社を経営してきて、また多くの企業経営を間近でみてきた中で、オフィスにおける偶発的なコミュニケーションから生まれるイノベーションやコラボレーション、さらには人材育成やエンゲージメント向上、価値観の浸透、カルチャーの醸成というものに多大なる価値を感じている。

企業経営を論理と合理で考えすぎることによって、一時的には利益率が向上し、業務効率が高まるかもしれないが、5年10年というスパンで企業の成長や進化を考えたときには、やはりオフラインでのコミュニケーションを重要視すべきではないかと思う。

もちろんオンラインでもオフラインのような仮想空間を構築し、コミュニケーションツールを駆使することで補えるという可能性も否定はしないし、そこへの挑戦や努力はすべきだと思う一方で、多くの会社が業務効率とコスト削減という短期的な視点によるオフィス解約、オフィス削減へと踏み込んでいるように見える。

オフィスで同じ志をもつ仲間と顔を合わせ、切磋琢磨しながら何かを生み出すべく必死に仕事に取り組む、そんな熱狂する組織こそが、この先の読めない変化の時代を生き抜く強い組織なのだと感じる。インターネット企業の経営者の割には随分とアナログで古臭い考え方のように感じられてしまうかもしれないが、人間の本質は今も昔も大きくは変わらない。

「仕事をする」「職務をこなす」のではなく「何かを成そうとする」ためには、やはり一筋縄ではいかないことが多い。本気で実現するためには、強いポリシーを持ち、長期視点で組織を運営していく必要があるのではないか。

社員をオフィスに出社させるのではなく、どこでもいつでも自由に働ける状況においても、常にオフィスに自分の居場所が存在し、信頼できる仲間が存在し、ついオフィスに行きたくなる、オフィスの方が仕事がはかどる、そんなオフィスづくり、組織づくりにこだわり続けたい。

リモートワークが当たり前の世の中になり、いよいよ旧態依然としたヒエラルキーによる管理型組織がワークしなくなり、必然的に自律分散型組織への注目が高まってきている。

とはいえそれでもまだ「リモート環境でも部下が働いているか監視するツール」などを全力で探していたり、作ろうとしている人達もいるというから驚きだ。


そういう人たちに「あなたは上司が見てなければサボりますか?」と聞くと決まってこう答える。
「自分は仕事も好きだしやる気もあるので上司が見てなくても当然サボらない。」

自分はサボらないけど、部下はサボると思っている。でもさらにその人の上司からすれば、その人さえも監視してないとサボると思われているわけで、まさにこれが性悪説で作りあげられたヒエラルキー型組織の悪い例。


ちなみに余談だが、人事評価においても面白くて、弊社のような360度評価だと評価者として能力が不足している人が評価するのはどうかと思うというような意見を頂くことが多い。私はそういう人にはこんな質問をしている。

「あなたは部下のことをちゃんと評価できている自信がありますか?」

ほとんどの人はそれなりにできていると答える。次にこう聞いてみる。

「あなた自身への上司からの評価は適切にされていると思いますか?」

多くの人は「・・・・」となる。

自分はできてるけど、自分への評価は適切ではないと考える人がかなり多いということであり、やはり気付かぬうちに自分中心で客観的ではなくなっているということなんだろう。


話を戻すが、リモートワーク中心になり、仕事を細かく指示することも難しくなってきていたり、完全なる職務概要を定めてそれを実行すればいいというケースも知識産業化によって減ってきている。
そういう状況においては、今まで以上に、自らが自らの仕事を創造することが重要になる。もちろん最低限度の役割としてやるべきことはあるが、それに加えて何ができるか何をすべきか、それを自ら考え生み出せる人が活躍する時代に突入している。

言い換えれば、タスクベースで仕事をこなす人よりも、ミッションベースで仕事ができる人の方が圧倒的に価値があるということ。

上司がやるべきことを指示してそれをミスなくソツなくこなすことが優秀だった時代から、目標や戦略方針を理解した上で、自分が何をするのがもっとも貢献できるか、今チームの中で自分が何をしなくてはいけないか、ということを自ら考え実行できる人こそが優秀だと言われる時代が到来している。

こういう時代に個人事業主や経営者が強いのはまさに最初から自分に上司がいないから、自ら考える以外に誰も指示してくれないから。仕事をサボれば自分に跳ね返ってくるし。。。

サラリーマンで給与をもらい、上司に指示されることを実行することに慣れてしまった人は、このリモートワークを機会に、大きく感覚を変えていくべく挑戦してみてほしい。ちょうどうるさい上司から細かく管理監視がされなくなっているこの機会をチャンスと捉えて、今の組織、今のチームで何をすればもっと本質的に目標の実現や顧客価値向上に繋がるかということを考え、生み出し、実行してみるべし。

VUCAと言われる不確実性の高い時代だからこそ、どんな組織でもどんなプロジェクトでも、自分なりの価値を発揮できる人材になっていくことが、唯一最大の安定だと思う。


最後に、このリモートワーク状況で多くの会社が気付いたと思うが、労基法が多くの業界や組織の実態に全く適していないということ。さっさと変えて欲しい。

今回のコロナショックによってリモートワークが不可避となり、腰の重たい大企業も流石にリモートワークを導入し始めざるを得なくなってきた。

最近多くの経営者から、オフィスの縮小を検討しているという話を聞く。その背景としてはリモートワークの方が捗るという社員からの声があるという。

個人的にはその考え方に少し違和感と不安感を抱いている。

もちろんリモートワークに慣れたことと、自宅の環境を整えたことにより、オフィスへの出社が以前ほど必要ではなくなるのは間違いない。そういう意味では多少なりオフィスをスリム化してコスト削減を図るのは当然のことだし、全くもってアグリーである。

ただリモートワークを本当に主たる働き方とするような組織が、この不確実な時代に勝ち残っていけるのかということについては、正直疑問が残る。


リモートワークとの相性という意味では2つの要素が関わってくると考える。

一つはやるべき仕事の質の問題。

やるべきことがある程度明確になっているケースにおいては、リモートワークは効率的な側面を発揮する。例えば事務作業や開発作業などなど。
一方でやるべきことが不明確だったり、考える仕事や企画する仕事などはリモートだから効率が上がるかというとそうではない側面もある。仲間と共に議論したり、無駄に話をしてる中から生まれるものなども多々ある。クリエイティブというのは効率性からは生まれないのかもしれない。


もう一つはエンゲージメントの問題。
よく仕事をライスワークと捉えているか、ライフワークと捉えているか、という話がある。前者は文字通り生活のために稼ぐために働くということであり、後者は生活のためだけではなく、そこにやりがいや生きがいを見出して働くということである。
出社してオフィスで無能で口うるさい上司やがんじがらめの規則に無駄にストレスを感じながらライスワークをしてきた人からしたら、リモートワークは最高の環境なのは想像に難くない。
一方で信頼できる仲間とライフワークに勤しんできた人たちにとっては、リモートワークは効率的で集中しやすいという側面を感じつつも、満たされない気持ちが日に日に増しているのではないだろうか。元来、人は人と協働したり対話したいという欲求を持っている上、それが同じビジョンを目指す信頼できる仲間であれば尚更会いたいと思う方が自然だろう。「寂しい」という気持ちが近いかもしれない。


つまり仕事の質と組織・仲間に対するエンゲージメントの掛け算によって、リモートワークがより望ましいケースとそうでないケースがありうるのだと考える。

ただしVUCA【Volatility(変動)、Uncertainty(不確実)、Complexity(複雑)、Ambiguity(曖昧)】と呼ばれる今のビジネス環境を考慮すると、我々のような事業会社においては、仕事の質はよりクリエイティブで知識労働が中心となり、仕事に生きがいややりがいを感じるようなエンゲージメントの高い組織を作っていかねば勝ち残っていけない。

つまりリモートワークとの相性は決してよくないと考える。

弊社アトラエは長期に渡りエンゲージメントも高く、フラットで上下関係のない自律分散型組織としてビジネスに取り組んできた。働く上でのルールも極小であり、リモートワークへの転換は正直全くもって抵抗なくスムーズだった。

それでもアトラエのメンバーはオフィスに来て働けるようになる日を待ち通しく思っている。
正直私自身も、オフィスで仲間と顔を合わせながら働くということが、いかに自分にとって大切で快適な時間だったのかということに気付かされた。

今回のコロナショックを一つの転機として、会社組織のあり方や働き方は大きく変わるだろう。会社は属する組織から有機的に同じ目標に向かうチームへと進化していき、雇用形態も多様化がますます進んでいく。それはその通りだと思う。

しかし経営者として安易に合理性や効率性に偏った意思決定をすべきではないと考える。組織がパフォーマンスをあげるということはそんなに単純な話ではない。VUCAと呼ばれる時代だからこそ、エンゲージメントが高く、変化に柔軟に適応する自律分散的な組織を作ることが重要ではないか。

もちろん人は弱い。一人でそうそうストイックに頑張れるような人は多くない。
それを自ら理解・認識した上で、だからこそ仲間と同じ空間で、対面しながら一緒になって切磋琢磨する環境を選択するような人たちが集まった組織が真に強い組織ではないだろうか。

「関わる人たちを幸せにする」ためにも、組織の生産性は極めて重要なファクターだと考えているが、決して効率的で合理的な働き方をすることが大事なわけではないし、それが長期的に見て高い生産性につながるとも思っていない。一見無駄に感じる世間話も、ランチや飲みの時間も、仲間と経験するあらゆる時間が自分達の人生を豊かにしてくれるし、ライフワークをより魅力的なものにしてくれる。

無駄やミスを許容し、人が生き生きと社会に価値あるビジネスに取り組める、そんな組織にとっては、仲間が集まるオフィスはこれからも極めて重要な自分達の基地なのかもしれない。

流行りのZoom飲みももちろん楽しいが、私個人としてはやはり友人達と顔を合わせて同じ空間で酒を酌み交わす時間が待ち遠しい。
早くそんな当たり前だった日常が戻ってきてくれることを祈ってやまない。

コロナウィルスによる緊急事態宣言が発令され、よもや延長される可能性が高いとも報道されている今日ですが、みなさんいかがお過ごしですか。

個人的にはFacebookでも散々発信しているように、いろんな立場の人がいろんな視点で持論を述べているものの、色々なズレを感じています。未知のウィルスであるのはもちろんながら、既に把握できているデータを元に考え、予測を立て、意思決定を行っていくことが大事であり、感染症の専門家などの意見に耳を傾けつつも、日本国としてどう対応するかの意思決定は国の経営者である政府が責任を持って実行すべきだと考えます。今の日本は感染症専門家の意見に引っ張られ過ぎており、メディアも煽りすぎることで、事実を歪んで認識してしまう人が大多数になっている気がします。
もちろんそうしないと自粛ムードが消え、感染爆発してしまうという意図もわからなくはないですが、ちゃんと説明し、論理的に事実を伝えれば、日本人はちゃんと理解すると思います。
そして何よりも大事なのは、「医療崩壊を防ぎつつ経済を回す」ということに他ならないと考えます。

とここまで書いておいてなんですが、久しぶりにブログを投稿したのは、コロナ対策の話ではなく、こういう危機に直面することでより経営の本質を見直すきっかけが生まれるということについて書こうと思ったからでした・・・。


昨今いろんなメディアや専門家の「行き過ぎた資本主義」「株主偏重経営の破綻」といった論調が目立つようになってきました。その背景には、今回のコロナによる世界経済低迷において、株主価値向上に寄り過ぎた経営の脆さが露呈したことがあるのでしょう。

私自身はリーマンショックにより人生最大の苦難を経験して以降、会社とは何のために存在するのか、経営とは何を目指すものなのか、ということと向き合い考え抜いてきました。そんな私が辿りついた結論は、会社とは関わる全ての人を幸せにするために存在するということ。経営とは関わる全ての人の幸せを実現しながら、その輪(影響範囲、関わる人の数)を広げていく努力をすること。そういう考えに至りました。

関わる全ての人というのは、従業員、顧客、株主に加え広く社会だと考えています。関わる全ての人を幸せにするのが会社のMust条件であり、その影響範囲を広げていくことができればより理想であるというイメージでしょうか。


より具体的にいえば、夫婦で営む小料理屋さんで、お客さんに喜んでもらえる美味しい料理を提供し、しっかりと健全な経営を行い、納税までしているとしたら、これは関わる全ての人を幸せにしており、素晴らしい存在だと思います。あとはその影響範囲を拡大する挑戦をするかどうかは、本人達のやりがいや価値観に基づいて決断すれば良いと思います。

逆に売上が大きい会社であっても、社員が幸せを感じられていなかったり、顧客が価値を享受できていなかったりするのであれば、会社としてのMust条件を満たしていないので至急改善すべきだと思います。

いつの時代も不確実性が一定ある中において大事なのは、常に関わる人を幸せにするために、驕らず謙虚に地道な努力を継続することであり、それこそが普遍的かつ本質的な経営の意義だと思います。


弊社アトラエではまさにその考えのもと、社員全員が一丸となって自分達を含め、関わる人の幸せを実現すべく努力を重ねてきました。どれだけ順調に成長しても、どれだけうまくいっている時でも、慢心することなく、挑戦と改善を続けてきました。例えば短期的な売上以上に生産性や働きがいや顧客満足度を重視してきました。

そういった努力と挑戦の結果として、ざっくりですがROEでは10%以上自己資本比率約90%という、極めて健全な財務基盤を有しつつも、一定の資本効率で利益を生み出すことができています。

売上成長スピードやIPOのタイミングなどで多くの企業と比較されて評価してもらえなかった時期もあり悔しい思いもしました。時にはキャッシュを持ちすぎだから株主還元すべきだというご指摘を頂くこともありました。しかしそれでも関わる全ての人の幸せを実現することが会社の存在意義であり、そのために必要であれば、強い意志を持って信念を貫き続けてきました。時代により様々な経営理論が存在してきましたが、いつの時代も原理原則本質論は変わらない、私はそう考えています。

改めて今回のコロナショックのタイミングで、企業経営や行きすぎた資本主義の揺り戻しが起き、人類社会にとって有益で価値あることに取り組む会社こそが評価される世の中になっていく、そう考えています。そしてそうなって欲しいと思っています。

最近メディア取材や講演などが多く、発信する場が増えてきたので、ブログは少しサボってたのですが、久しぶりに投稿してみます。

これも様々な取材などで頻繁に言っているワーディングですが、会社は関わる全ての人々が幸せになるための仕組みであるということ。

少し前の米国のビジネススクールなどでは、株式会社とは株主の利益の最大化を目的とした組織株式会社の所有者は株主であるというような表現が多かったように思います。もしこの表現が正しいとすると、働く人達は株主の利益を増やすために努力するということになります。すごく感覚的に言えば、私は「そんなことのために人生の時間を費やしたくない」、当時若かりし頃に上記のような説明を聞いた時は率直にそう思いました。

もう少しいろんな知識が身につき、経験を重ねていく中で思ったのは、自分達が株主の会社であれば、株主の利益の最大化を目指して働くということが、イコール自分達の利益の最大化に繋がるということ。まあ今思えばなんとも利己的な若造でした(笑)。

さらに苦難を乗り越え経験を積んでいく中で感じたのは、だったらこれから雇う株主ではない社員達はなんのために働くのか?という疑問です。自分達一部の創業者は株主=自分達なのでわかりやすいですが、今後増えていく社員達のことを考えると、結局これって自分が最初に「そんなことのために人生の時間を費やしたくない」と思ったのと同じだと。。。。

そういった思考プロセスを経て結果的にたどり着いた考え方は、

会社=関わる全ての人々が幸せになるための仕組み

という考え方。

1600年に最初の株式会社としてオランダで生まれた東インド会社の時から、まさにWin-Win-Winの関係性によって絶妙なバランスを保っていたのが株式会社という仕組みなのでしょう。近江商人が信頼を得るために、売り手と買い手がともに満足し、さらに社会貢献もできるのが良い商売であると考えていた三方よしの精神もまさに同じです。


現代の株式会社にとって関わる人々とは、「社員」「顧客」「株主」「社会」ということになろうかと思います。もちろんパートナー企業や社員の家族なども広義には関わる人であることはいうまでもありません。

この関わる人々が幸せになれていない状況のまま、社員数だけ増やしたり、売上だけ増やしたり、事業だけ広げていっても、それは継続性に疑問がありますし、個人的にはそもそもその会社の存在意義を疑います。

そんな会社を作るくらいなら、数人で腕によりをかけた素晴らしい小料理屋を営み、日々近所の常連さんが喜んで足を運んでくれる、そんな生業の方が関わる全ての人々の幸せを実現しているという意味では価値があると感じます。

では我々はなぜ東証一部に上場してまで実現難易度が高いビジョンを掲げて挑戦しているのか。
それはやはり関わる全ての人々が幸せになるための仕組みとして、関わる全ての人々の対象範囲を広げていくことができたら、それこそめっちゃかっこいい、そう思ったからにすぎません。

寿司職人として自分でお店を出し、常連さんが足繁く通う名店も素晴らしい。
でもそういう素晴らしい寿司文化を世界に広げようと挑戦する人もそれはそれで素晴らしい。
大切なのは関わる人々が、その活動や存在を通して幸せになっているかどうか。
その対象範囲が広ければ広いほど、その組織や活動の存在意義があるように感じます。

昭和時代、高度経済成長期の日本においては、一部そういう家族主義的な会社組織があったと聞きます。ただその時には顧客と社員という視点が強すぎて、株主の幸せを実現するという概念は少し置き去りにされていたのかもしれません。一方で近年の資本主義においては、株主利益の最大化に偏った考え方が長期に蔓延していました。頭がいい人ほどそれが正しいとしてきました。

それがここ最近、米国の主要企業の経営者団体ビジネス・ラウンドテーブル(BRT)が、顧客や従業員、サプライヤー、地域社会、株主などすべてのステークホルダーを重視する方針を表明したりと、世の中の流れは間違いなく本質的なところに立ち戻らざるを得なくなっているのではないでしょうか。

SDGsへの強い関心や流れなども、まさに人類にとって原理原則本質論への回帰であり、株式会社の意味を問い直すことと近しいベクトルを感じます。


新型コロナウィルスにより世界中がパンデミック状態で、経済的な損失も計り知れないですが、こういう時こそ組織のリーダーは、関わる全ての人々の幸せのためにできることをしていく必要があるのでしょう。

私ごときに何ができるのかはわかりませんが、社員と協力し、世の中が少しでも早くまた活気を取り戻し、幸せな人が少しでも増えるよう、全力を尽くしたいと思います。

あけましておめでとうございます。
アトラエは本日より2020の活動を開始しています。
今朝、全社朝会で私からみんなに伝えたことを備忘録的にここに残しておこうと思います。

2019年はアトラエにとって極めてポジティブな1年でした。
既存事業の継続的な成長に加えて、新規事業が目に見えて成長してきた一年であり、それに伴い資本市場からも一定の評価を頂けた1年だったと認識しています。

ただ2019年までの約5年間はいろんな意味で追い風の中でビジネスが展開できていたという自覚もあります。正直全社員が頭に汗をかく程に知恵を絞らなくても、しっかりとやるべきことをやっていれば順調に伸びることができたと言っても過言ではないと思っています。もちろんそれはそれだけ先見性を持って、競争優位性を持った事業を時間をかけて皆で作りあげてきた結果とも言えます。

しかしながら2020年はいろんな意味で変化に適応していく必要があると思っています。
ここは感覚値も含めてですが、市場環境、競合環境を踏まえて、いろんな面で大いなる創意工夫と挑戦、さらには改革をしていかない限り、ここから5年は今までのように順風満帆に成長し続けることはできないとさえ感じています。

ポジティブな時にこそ、しっかりとダウンサイドを認識し、早め早めに次のリスクを見越したアクションをとることが経営においては大事だと常々思っています。そういう意味でも株式市場も含めて、現在は好調だと思う一方で、次にくる厳しい局面に備えておくことが大事だと考えています。

とはいえ悲観的に捉える必要はないと思っています。
今まで成長する会社の中で様々な役割を担っていた社員達にとって、こういう時にこそ「自分がアトラエを作ってきたんだ」と将来言えるような役割を担うチャンスがあります。組織としても事業としても、経営としても、あらゆる面で様々な改革・挑戦をするこの時だからこそ、各人が「あの時自分のあの挑戦があったからこそ今のアトラエがあるんだ」と将来思えるような挑戦をしていってもらいたいと思います。


話は変わりますが資本主義の限界も少しずつ見えてきたようにも思います。ただひたすらに売上や利益、株価の成長を追い求める姿には、もはや多くの人が魅力を感じなくなっているのではないでしょうか。私自身は会社とはあくまでも関わる人の幸せを実現する仕組みでしかないと思っています。アトラエはいつの時代であっても、大切な人に誇れる会社であり続けると同時に、関わる人達を幸せにできる会社の実現、そして関わる人達を増やしていくことに挑戦していく存在であり続けます。

最後になりますが、私にとって2020はグローバルと多角的経営への挑戦になると考えています。グローバルはまさに日本市場以外に様々な側面で挑戦していくということ。多角的経営というのは、今までGreenという主力事業を中心としつつ、新規事業の種まきをしていた会社でしかなかったことに対して、複数の事業を同時並行的に伸ばしつつ、従来のHR的な事業領域を超えた事業への挑戦や投資など、様々なことに同時多角的に取り組んでいくべく、組織もリデザインしていく必要があると思っています。

もちろん根本思想は全く変える必要はないと思っていますが、今まで以上に多くのリーダーシップが求められるでしょうし、適切な意思決定システムや人事評価システム、さらには文化や価値観の浸透のための方法に磨きをかけていく必要があります。

ということで、2020年アトラエは次なるステージに挑戦します!
社員一同、今年も覚悟を持って取り組んでまいりますので、何卒よろしくお願いします。

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