麻布十番で働くCEOのBlog(旧・南麻布で働く社長のblog)

成功報酬型求人メディアGreenの運営や、インターネットサービスの企画・開発を行う株式会社アトラエの社長のblogです。

最近まさに資本主義の限界が近づいているのではないかと感じている。

米国を代表するGAFAMや中国を代表するBATHといった企業の時価総額の変遷を見るたびにそう感じざるをえない。

GAFAMはこのコロナ禍において、東証一部上場企業2170社の合計時価総額をたった5社で上回ってしまったことは驚きを超えて、資本主義が来るところまできてしまったような印象をもった。そのうちの1社が弊社アトラエであるがゆえに、力の差を痛いほどに感じるわけだが・・・。


資本主義は当然ながら人類にとってMuch Betterな仕組みであり、それによって経済発展を遂げてきたことには疑いの余地はない。一方でピケティ理論でも言われているように、資産の収益率が所得の伸びを上回っていることで、富を持つ人とそうでない人の格差は拡大していくことも事実。

ただでさえ社会保険料や所得税、住民税などがここまで高くなってくると、給与所得による資産形成は極めて難しくなり、より不労所得を得ることの経済合理性が高まる。


事実我々のようなアントレプレナー・起業家と呼ばれる人種は、IPOはもちろんのこと、会社の売却などにより持ち株を売り出すことで莫大な資産を築く人が少なくない。私もそういった資本主義の恩恵に預かっている一部であることには疑いの余地もないわけで、それによって多少なり良い生活をさせてもらっているのも事実ながらも、だからといって資本主義が素晴らしいという手放しで思えるわけでもない。

日本においていえば、日々第一線で手術をしたり治療にあたっている医師、特に大学病院などで高度な技術を駆使しながら命を救っている人達の所得は少なすぎるように思える。我々起業家も人の数倍働き、社会に価値を創造してきたという自負はある一方で、そういった医師と比較したときに彼らの数十倍の資産を得るほどに人類に貢献したのかと言われると正直疑問もある。

一部の本気で日本を良くしようと日々奮闘されている官僚や政治家や教育者もそうかもしれない。

資本主義における合理性の中で、自身の時間や労力をどこに投資をすると対価が最大化するのか、まさに人生のROIを考えれば、当然ながらウォールストリート以上にシリコンバレーになるわけで、それがGAFAMであると思うと、資本主義の限界を感じてしまう。

もちろん経済の専門家でもなんでもない単なる一人の起業家としての肌感覚に過ぎない話でしかないが、日々情報を収集しながらも会社のあるべき方向性を考え続けてきた中で、最近特にこんな感覚を持っているということをブログに残しておこうと思った次第である。

今度資本主義に詳しい方にいろいろと教ろう♩
楠木先生とかかな♩

猛暑とコロナにより、いよいよリモートワークがより効率的に感じてしまう今日この頃。

経営者仲間の間でも、オフィスの一部解約をコロナ初期に決断・実行した話や、今後段階的にフリーアドレス化をして、リモートワークを推奨することでオフィス利用は50%まで削減していくことで利益率を高めていくなどの話題が事欠かない。

ここから先は組織創りやカルチャー醸成に重きをおいてきた私なりの経験に基づく見解だが、変化に適応し成長し続ける強い組織ほど、オフラインでのコミュニケーションやオフィスにおける環境や空気感を重視しているように感じる。

弊社ではコロナよりも前からリモートワークも自由、出退勤時間も自由と、極めて社員の自主性を重んじた組織運営をしてきており、コロナによりオフィスで働く社員の割合が変わった程度で、それ以外は特にルールを変更する必要もなく今に至っている。

実際にリモートワークは、集中して何か作業することや、会議も短時間で集中して実施しやすかったり、営業活動においても移動を伴わないために極めて効率的に実行できるなど、様々なメリットを感じるのは事実である。経営者にとっては何よりもオフィスコストが削減できるとなれば最高であろう。固定費をあまり抱えないIT企業にとっては、オフィスコストは人件費の次に大きなコストとなっているケースが多く、ここを削減できるということは利益率を向上させられるということに直結する。

しかし私はここに危機感を覚える。

私は17年間今の会社を経営してきて、また多くの企業経営を間近でみてきた中で、オフィスにおける偶発的なコミュニケーションから生まれるイノベーションやコラボレーション、さらには人材育成やエンゲージメント向上、価値観の浸透、カルチャーの醸成というものに多大なる価値を感じている。

企業経営を論理と合理で考えすぎることによって、一時的には利益率が向上し、業務効率が高まるかもしれないが、5年10年というスパンで企業の成長や進化を考えたときには、やはりオフラインでのコミュニケーションを重要視すべきではないかと思う。

もちろんオンラインでもオフラインのような仮想空間を構築し、コミュニケーションツールを駆使することで補えるという可能性も否定はしないし、そこへの挑戦や努力はすべきだと思う一方で、多くの会社が業務効率とコスト削減という短期的な視点によるオフィス解約、オフィス削減へと踏み込んでいるように見える。

オフィスで同じ志をもつ仲間と顔を合わせ、切磋琢磨しながら何かを生み出すべく必死に仕事に取り組む、そんな熱狂する組織こそが、この先の読めない変化の時代を生き抜く強い組織なのだと感じる。インターネット企業の経営者の割には随分とアナログで古臭い考え方のように感じられてしまうかもしれないが、人間の本質は今も昔も大きくは変わらない。

「仕事をする」「職務をこなす」のではなく「何かを成そうとする」ためには、やはり一筋縄ではいかないことが多い。本気で実現するためには、強いポリシーを持ち、長期視点で組織を運営していく必要があるのではないか。

社員をオフィスに出社させるのではなく、どこでもいつでも自由に働ける状況においても、常にオフィスに自分の居場所が存在し、信頼できる仲間が存在し、ついオフィスに行きたくなる、オフィスの方が仕事がはかどる、そんなオフィスづくり、組織づくりにこだわり続けたい。

リモートワークが当たり前の世の中になり、いよいよ旧態依然としたヒエラルキーによる管理型組織がワークしなくなり、必然的に自律分散型組織への注目が高まってきている。

とはいえそれでもまだ「リモート環境でも部下が働いているか監視するツール」などを全力で探していたり、作ろうとしている人達もいるというから驚きだ。


そういう人たちに「あなたは上司が見てなければサボりますか?」と聞くと決まってこう答える。
「自分は仕事も好きだしやる気もあるので上司が見てなくても当然サボらない。」

自分はサボらないけど、部下はサボると思っている。でもさらにその人の上司からすれば、その人さえも監視してないとサボると思われているわけで、まさにこれが性悪説で作りあげられたヒエラルキー型組織の悪い例。


ちなみに余談だが、人事評価においても面白くて、弊社のような360度評価だと評価者として能力が不足している人が評価するのはどうかと思うというような意見を頂くことが多い。私はそういう人にはこんな質問をしている。

「あなたは部下のことをちゃんと評価できている自信がありますか?」

ほとんどの人はそれなりにできていると答える。次にこう聞いてみる。

「あなた自身への上司からの評価は適切にされていると思いますか?」

多くの人は「・・・・」となる。

自分はできてるけど、自分への評価は適切ではないと考える人がかなり多いということであり、やはり気付かぬうちに自分中心で客観的ではなくなっているということなんだろう。


話を戻すが、リモートワーク中心になり、仕事を細かく指示することも難しくなってきていたり、完全なる職務概要を定めてそれを実行すればいいというケースも知識産業化によって減ってきている。
そういう状況においては、今まで以上に、自らが自らの仕事を創造することが重要になる。もちろん最低限度の役割としてやるべきことはあるが、それに加えて何ができるか何をすべきか、それを自ら考え生み出せる人が活躍する時代に突入している。

言い換えれば、タスクベースで仕事をこなす人よりも、ミッションベースで仕事ができる人の方が圧倒的に価値があるということ。

上司がやるべきことを指示してそれをミスなくソツなくこなすことが優秀だった時代から、目標や戦略方針を理解した上で、自分が何をするのがもっとも貢献できるか、今チームの中で自分が何をしなくてはいけないか、ということを自ら考え実行できる人こそが優秀だと言われる時代が到来している。

こういう時代に個人事業主や経営者が強いのはまさに最初から自分に上司がいないから、自ら考える以外に誰も指示してくれないから。仕事をサボれば自分に跳ね返ってくるし。。。

サラリーマンで給与をもらい、上司に指示されることを実行することに慣れてしまった人は、このリモートワークを機会に、大きく感覚を変えていくべく挑戦してみてほしい。ちょうどうるさい上司から細かく管理監視がされなくなっているこの機会をチャンスと捉えて、今の組織、今のチームで何をすればもっと本質的に目標の実現や顧客価値向上に繋がるかということを考え、生み出し、実行してみるべし。

VUCAと言われる不確実性の高い時代だからこそ、どんな組織でもどんなプロジェクトでも、自分なりの価値を発揮できる人材になっていくことが、唯一最大の安定だと思う。


最後に、このリモートワーク状況で多くの会社が気付いたと思うが、労基法が多くの業界や組織の実態に全く適していないということ。さっさと変えて欲しい。

今回のコロナショックによってリモートワークが不可避となり、腰の重たい大企業も流石にリモートワークを導入し始めざるを得なくなってきた。

最近多くの経営者から、オフィスの縮小を検討しているという話を聞く。その背景としてはリモートワークの方が捗るという社員からの声があるという。

個人的にはその考え方に少し違和感と不安感を抱いている。

もちろんリモートワークに慣れたことと、自宅の環境を整えたことにより、オフィスへの出社が以前ほど必要ではなくなるのは間違いない。そういう意味では多少なりオフィスをスリム化してコスト削減を図るのは当然のことだし、全くもってアグリーである。

ただリモートワークを本当に主たる働き方とするような組織が、この不確実な時代に勝ち残っていけるのかということについては、正直疑問が残る。


リモートワークとの相性という意味では2つの要素が関わってくると考える。

一つはやるべき仕事の質の問題。

やるべきことがある程度明確になっているケースにおいては、リモートワークは効率的な側面を発揮する。例えば事務作業や開発作業などなど。
一方でやるべきことが不明確だったり、考える仕事や企画する仕事などはリモートだから効率が上がるかというとそうではない側面もある。仲間と共に議論したり、無駄に話をしてる中から生まれるものなども多々ある。クリエイティブというのは効率性からは生まれないのかもしれない。


もう一つはエンゲージメントの問題。
よく仕事をライスワークと捉えているか、ライフワークと捉えているか、という話がある。前者は文字通り生活のために稼ぐために働くということであり、後者は生活のためだけではなく、そこにやりがいや生きがいを見出して働くということである。
出社してオフィスで無能で口うるさい上司やがんじがらめの規則に無駄にストレスを感じながらライスワークをしてきた人からしたら、リモートワークは最高の環境なのは想像に難くない。
一方で信頼できる仲間とライフワークに勤しんできた人たちにとっては、リモートワークは効率的で集中しやすいという側面を感じつつも、満たされない気持ちが日に日に増しているのではないだろうか。元来、人は人と協働したり対話したいという欲求を持っている上、それが同じビジョンを目指す信頼できる仲間であれば尚更会いたいと思う方が自然だろう。「寂しい」という気持ちが近いかもしれない。


つまり仕事の質と組織・仲間に対するエンゲージメントの掛け算によって、リモートワークがより望ましいケースとそうでないケースがありうるのだと考える。

ただしVUCA【Volatility(変動)、Uncertainty(不確実)、Complexity(複雑)、Ambiguity(曖昧)】と呼ばれる今のビジネス環境を考慮すると、我々のような事業会社においては、仕事の質はよりクリエイティブで知識労働が中心となり、仕事に生きがいややりがいを感じるようなエンゲージメントの高い組織を作っていかねば勝ち残っていけない。

つまりリモートワークとの相性は決してよくないと考える。

弊社アトラエは長期に渡りエンゲージメントも高く、フラットで上下関係のない自律分散型組織としてビジネスに取り組んできた。働く上でのルールも極小であり、リモートワークへの転換は正直全くもって抵抗なくスムーズだった。

それでもアトラエのメンバーはオフィスに来て働けるようになる日を待ち通しく思っている。
正直私自身も、オフィスで仲間と顔を合わせながら働くということが、いかに自分にとって大切で快適な時間だったのかということに気付かされた。

今回のコロナショックを一つの転機として、会社組織のあり方や働き方は大きく変わるだろう。会社は属する組織から有機的に同じ目標に向かうチームへと進化していき、雇用形態も多様化がますます進んでいく。それはその通りだと思う。

しかし経営者として安易に合理性や効率性に偏った意思決定をすべきではないと考える。組織がパフォーマンスをあげるということはそんなに単純な話ではない。VUCAと呼ばれる時代だからこそ、エンゲージメントが高く、変化に柔軟に適応する自律分散的な組織を作ることが重要ではないか。

もちろん人は弱い。一人でそうそうストイックに頑張れるような人は多くない。
それを自ら理解・認識した上で、だからこそ仲間と同じ空間で、対面しながら一緒になって切磋琢磨する環境を選択するような人たちが集まった組織が真に強い組織ではないだろうか。

「関わる人たちを幸せにする」ためにも、組織の生産性は極めて重要なファクターだと考えているが、決して効率的で合理的な働き方をすることが大事なわけではないし、それが長期的に見て高い生産性につながるとも思っていない。一見無駄に感じる世間話も、ランチや飲みの時間も、仲間と経験するあらゆる時間が自分達の人生を豊かにしてくれるし、ライフワークをより魅力的なものにしてくれる。

無駄やミスを許容し、人が生き生きと社会に価値あるビジネスに取り組める、そんな組織にとっては、仲間が集まるオフィスはこれからも極めて重要な自分達の基地なのかもしれない。

流行りのZoom飲みももちろん楽しいが、私個人としてはやはり友人達と顔を合わせて同じ空間で酒を酌み交わす時間が待ち遠しい。
早くそんな当たり前だった日常が戻ってきてくれることを祈ってやまない。

コロナウィルスによる緊急事態宣言が発令され、よもや延長される可能性が高いとも報道されている今日ですが、みなさんいかがお過ごしですか。

個人的にはFacebookでも散々発信しているように、いろんな立場の人がいろんな視点で持論を述べているものの、色々なズレを感じています。未知のウィルスであるのはもちろんながら、既に把握できているデータを元に考え、予測を立て、意思決定を行っていくことが大事であり、感染症の専門家などの意見に耳を傾けつつも、日本国としてどう対応するかの意思決定は国の経営者である政府が責任を持って実行すべきだと考えます。今の日本は感染症専門家の意見に引っ張られ過ぎており、メディアも煽りすぎることで、事実を歪んで認識してしまう人が大多数になっている気がします。
もちろんそうしないと自粛ムードが消え、感染爆発してしまうという意図もわからなくはないですが、ちゃんと説明し、論理的に事実を伝えれば、日本人はちゃんと理解すると思います。
そして何よりも大事なのは、「医療崩壊を防ぎつつ経済を回す」ということに他ならないと考えます。

とここまで書いておいてなんですが、久しぶりにブログを投稿したのは、コロナ対策の話ではなく、こういう危機に直面することでより経営の本質を見直すきっかけが生まれるということについて書こうと思ったからでした・・・。


昨今いろんなメディアや専門家の「行き過ぎた資本主義」「株主偏重経営の破綻」といった論調が目立つようになってきました。その背景には、今回のコロナによる世界経済低迷において、株主価値向上に寄り過ぎた経営の脆さが露呈したことがあるのでしょう。

私自身はリーマンショックにより人生最大の苦難を経験して以降、会社とは何のために存在するのか、経営とは何を目指すものなのか、ということと向き合い考え抜いてきました。そんな私が辿りついた結論は、会社とは関わる全ての人を幸せにするために存在するということ。経営とは関わる全ての人の幸せを実現しながら、その輪(影響範囲、関わる人の数)を広げていく努力をすること。そういう考えに至りました。

関わる全ての人というのは、従業員、顧客、株主に加え広く社会だと考えています。関わる全ての人を幸せにするのが会社のMust条件であり、その影響範囲を広げていくことができればより理想であるというイメージでしょうか。


より具体的にいえば、夫婦で営む小料理屋さんで、お客さんに喜んでもらえる美味しい料理を提供し、しっかりと健全な経営を行い、納税までしているとしたら、これは関わる全ての人を幸せにしており、素晴らしい存在だと思います。あとはその影響範囲を拡大する挑戦をするかどうかは、本人達のやりがいや価値観に基づいて決断すれば良いと思います。

逆に売上が大きい会社であっても、社員が幸せを感じられていなかったり、顧客が価値を享受できていなかったりするのであれば、会社としてのMust条件を満たしていないので至急改善すべきだと思います。

いつの時代も不確実性が一定ある中において大事なのは、常に関わる人を幸せにするために、驕らず謙虚に地道な努力を継続することであり、それこそが普遍的かつ本質的な経営の意義だと思います。


弊社アトラエではまさにその考えのもと、社員全員が一丸となって自分達を含め、関わる人の幸せを実現すべく努力を重ねてきました。どれだけ順調に成長しても、どれだけうまくいっている時でも、慢心することなく、挑戦と改善を続けてきました。例えば短期的な売上以上に生産性や働きがいや顧客満足度を重視してきました。

そういった努力と挑戦の結果として、ざっくりですがROEでは10%以上自己資本比率約90%という、極めて健全な財務基盤を有しつつも、一定の資本効率で利益を生み出すことができています。

売上成長スピードやIPOのタイミングなどで多くの企業と比較されて評価してもらえなかった時期もあり悔しい思いもしました。時にはキャッシュを持ちすぎだから株主還元すべきだというご指摘を頂くこともありました。しかしそれでも関わる全ての人の幸せを実現することが会社の存在意義であり、そのために必要であれば、強い意志を持って信念を貫き続けてきました。時代により様々な経営理論が存在してきましたが、いつの時代も原理原則本質論は変わらない、私はそう考えています。

改めて今回のコロナショックのタイミングで、企業経営や行きすぎた資本主義の揺り戻しが起き、人類社会にとって有益で価値あることに取り組む会社こそが評価される世の中になっていく、そう考えています。そしてそうなって欲しいと思っています。

最近メディア取材や講演などが多く、発信する場が増えてきたので、ブログは少しサボってたのですが、久しぶりに投稿してみます。

これも様々な取材などで頻繁に言っているワーディングですが、会社は関わる全ての人々が幸せになるための仕組みであるということ。

少し前の米国のビジネススクールなどでは、株式会社とは株主の利益の最大化を目的とした組織株式会社の所有者は株主であるというような表現が多かったように思います。もしこの表現が正しいとすると、働く人達は株主の利益を増やすために努力するということになります。すごく感覚的に言えば、私は「そんなことのために人生の時間を費やしたくない」、当時若かりし頃に上記のような説明を聞いた時は率直にそう思いました。

もう少しいろんな知識が身につき、経験を重ねていく中で思ったのは、自分達が株主の会社であれば、株主の利益の最大化を目指して働くということが、イコール自分達の利益の最大化に繋がるということ。まあ今思えばなんとも利己的な若造でした(笑)。

さらに苦難を乗り越え経験を積んでいく中で感じたのは、だったらこれから雇う株主ではない社員達はなんのために働くのか?という疑問です。自分達一部の創業者は株主=自分達なのでわかりやすいですが、今後増えていく社員達のことを考えると、結局これって自分が最初に「そんなことのために人生の時間を費やしたくない」と思ったのと同じだと。。。。

そういった思考プロセスを経て結果的にたどり着いた考え方は、

会社=関わる全ての人々が幸せになるための仕組み

という考え方。

1600年に最初の株式会社としてオランダで生まれた東インド会社の時から、まさにWin-Win-Winの関係性によって絶妙なバランスを保っていたのが株式会社という仕組みなのでしょう。近江商人が信頼を得るために、売り手と買い手がともに満足し、さらに社会貢献もできるのが良い商売であると考えていた三方よしの精神もまさに同じです。


現代の株式会社にとって関わる人々とは、「社員」「顧客」「株主」「社会」ということになろうかと思います。もちろんパートナー企業や社員の家族なども広義には関わる人であることはいうまでもありません。

この関わる人々が幸せになれていない状況のまま、社員数だけ増やしたり、売上だけ増やしたり、事業だけ広げていっても、それは継続性に疑問がありますし、個人的にはそもそもその会社の存在意義を疑います。

そんな会社を作るくらいなら、数人で腕によりをかけた素晴らしい小料理屋を営み、日々近所の常連さんが喜んで足を運んでくれる、そんな生業の方が関わる全ての人々の幸せを実現しているという意味では価値があると感じます。

では我々はなぜ東証一部に上場してまで実現難易度が高いビジョンを掲げて挑戦しているのか。
それはやはり関わる全ての人々が幸せになるための仕組みとして、関わる全ての人々の対象範囲を広げていくことができたら、それこそめっちゃかっこいい、そう思ったからにすぎません。

寿司職人として自分でお店を出し、常連さんが足繁く通う名店も素晴らしい。
でもそういう素晴らしい寿司文化を世界に広げようと挑戦する人もそれはそれで素晴らしい。
大切なのは関わる人々が、その活動や存在を通して幸せになっているかどうか。
その対象範囲が広ければ広いほど、その組織や活動の存在意義があるように感じます。

昭和時代、高度経済成長期の日本においては、一部そういう家族主義的な会社組織があったと聞きます。ただその時には顧客と社員という視点が強すぎて、株主の幸せを実現するという概念は少し置き去りにされていたのかもしれません。一方で近年の資本主義においては、株主利益の最大化に偏った考え方が長期に蔓延していました。頭がいい人ほどそれが正しいとしてきました。

それがここ最近、米国の主要企業の経営者団体ビジネス・ラウンドテーブル(BRT)が、顧客や従業員、サプライヤー、地域社会、株主などすべてのステークホルダーを重視する方針を表明したりと、世の中の流れは間違いなく本質的なところに立ち戻らざるを得なくなっているのではないでしょうか。

SDGsへの強い関心や流れなども、まさに人類にとって原理原則本質論への回帰であり、株式会社の意味を問い直すことと近しいベクトルを感じます。


新型コロナウィルスにより世界中がパンデミック状態で、経済的な損失も計り知れないですが、こういう時こそ組織のリーダーは、関わる全ての人々の幸せのためにできることをしていく必要があるのでしょう。

私ごときに何ができるのかはわかりませんが、社員と協力し、世の中が少しでも早くまた活気を取り戻し、幸せな人が少しでも増えるよう、全力を尽くしたいと思います。

あけましておめでとうございます。
アトラエは本日より2020の活動を開始しています。
今朝、全社朝会で私からみんなに伝えたことを備忘録的にここに残しておこうと思います。

2019年はアトラエにとって極めてポジティブな1年でした。
既存事業の継続的な成長に加えて、新規事業が目に見えて成長してきた一年であり、それに伴い資本市場からも一定の評価を頂けた1年だったと認識しています。

ただ2019年までの約5年間はいろんな意味で追い風の中でビジネスが展開できていたという自覚もあります。正直全社員が頭に汗をかく程に知恵を絞らなくても、しっかりとやるべきことをやっていれば順調に伸びることができたと言っても過言ではないと思っています。もちろんそれはそれだけ先見性を持って、競争優位性を持った事業を時間をかけて皆で作りあげてきた結果とも言えます。

しかしながら2020年はいろんな意味で変化に適応していく必要があると思っています。
ここは感覚値も含めてですが、市場環境、競合環境を踏まえて、いろんな面で大いなる創意工夫と挑戦、さらには改革をしていかない限り、ここから5年は今までのように順風満帆に成長し続けることはできないとさえ感じています。

ポジティブな時にこそ、しっかりとダウンサイドを認識し、早め早めに次のリスクを見越したアクションをとることが経営においては大事だと常々思っています。そういう意味でも株式市場も含めて、現在は好調だと思う一方で、次にくる厳しい局面に備えておくことが大事だと考えています。

とはいえ悲観的に捉える必要はないと思っています。
今まで成長する会社の中で様々な役割を担っていた社員達にとって、こういう時にこそ「自分がアトラエを作ってきたんだ」と将来言えるような役割を担うチャンスがあります。組織としても事業としても、経営としても、あらゆる面で様々な改革・挑戦をするこの時だからこそ、各人が「あの時自分のあの挑戦があったからこそ今のアトラエがあるんだ」と将来思えるような挑戦をしていってもらいたいと思います。


話は変わりますが資本主義の限界も少しずつ見えてきたようにも思います。ただひたすらに売上や利益、株価の成長を追い求める姿には、もはや多くの人が魅力を感じなくなっているのではないでしょうか。私自身は会社とはあくまでも関わる人の幸せを実現する仕組みでしかないと思っています。アトラエはいつの時代であっても、大切な人に誇れる会社であり続けると同時に、関わる人達を幸せにできる会社の実現、そして関わる人達を増やしていくことに挑戦していく存在であり続けます。

最後になりますが、私にとって2020はグローバルと多角的経営への挑戦になると考えています。グローバルはまさに日本市場以外に様々な側面で挑戦していくということ。多角的経営というのは、今までGreenという主力事業を中心としつつ、新規事業の種まきをしていた会社でしかなかったことに対して、複数の事業を同時並行的に伸ばしつつ、従来のHR的な事業領域を超えた事業への挑戦や投資など、様々なことに同時多角的に取り組んでいくべく、組織もリデザインしていく必要があると思っています。

もちろん根本思想は全く変える必要はないと思っていますが、今まで以上に多くのリーダーシップが求められるでしょうし、適切な意思決定システムや人事評価システム、さらには文化や価値観の浸透のための方法に磨きをかけていく必要があります。

ということで、2020年アトラエは次なるステージに挑戦します!
社員一同、今年も覚悟を持って取り組んでまいりますので、何卒よろしくお願いします。

とんでもなく久しぶりのブログ更新・・・・。
ずっとサボってました。。。

最近メディア取材や経営者の方々から相談を頂く中で、自律分散型組織、いわゆる最近でいうところのホラクラシーやティールと行った組織運営手法について聞かれてることが多くなってきたので、その辺りについて少しだけ書いてみることにしました。


背景としては、日本型の上意下達のヒエラルキーの強い組織運営が、合理性や生産性という面でも、社員の働きがいやエンゲージメントという面でも、制度疲労を起こしていることがあるのではないかという気がしています。

その理由としては色々とあるのですが、今回はそっちを深掘っていくよりも、自律分散型組織におけるポイントについて整理してみたいと思います。

自律分散型組織の反対は中央集権型組織です。
中央集権型組織というのは、中央(経営中枢や管理者)が権力をもち組織をコントロール(意思決定や指揮命令)する組織。それに対して自律分散型組織というのは、それぞれの個やチームが自律的かつ能動的に動きながらも、協力しあいながら活動していくような組織のイメージです。
ブロックチェーンなどの技術進化によって、国自体も今後自律分散型国家に向かっていくなどと言われていますが、それよりも先に会社組織などの変化や進化の方が圧倒的に早そうな気配ですね。


弊社アトラエでも自律分散を強く意識し、一人一人がオーナーシップと当事者意識を強く持ち、労使関係ではなく共通の目的の実現を目指す仲間として協働する組織を構築すべく試行錯誤してきました。

その際にもっとも重要となるのが、情報共有意思決定評価の3つになります。

情報共有は昨今テクノロジーの進化によって劇的にコストが下がり、大きな組織でもリアルタイムで情報共有をすることが容易になっているので、実現方法という意味ではさほど難しくないと思いますが、カルチャーや個々人のメンタリティが阻害要因となることが多々あると思われます。思ったよりみんな情報共有したくなかったり、抱え込んだりするインセンティブが組織内では働くようでw

意思決定についても、中央集権にせず、かといって完全多数決などとなると多数決のバグが確実に露呈します。ここは極めて難しいところです。弊社ではプロジェクト単位で自律的にビジネスを推進しており、そのプロジェクトの予算管理や決裁権をもつプロジェクトリーダーという役割が存在します。大事なのは出世や上司という概念ではなく役割としてのプロジェクトリーダーです。ちなみにプロジェクトリーダーだけはCEOが任命するということにしており、CEOとプロジェクトリーダーによって構成する意思決定メンバーによって、会社における重要な意思決定がされています。
イメージとしては仲間の中で意思決定に長けたメンバーが、仲間を代表して意思決定をし、その結果や背景を仲間にしっかりと報告、共有するという感じでしょうか。もちろん全社員、その意思決定に対して不満をいうこともできますし、反論することもできます。
必要に応じてプロジェクトリーダー以外のメンバーも意思決定に加わってもらうことも多々あります。社員たちは自分達が責任を負いきれないと思うイシューや会社にとって影響度が大きいイシューを、各自の判断で意思決定メンバーに委ねる形になります。
たまに経験の浅い若手社員が自分の判断でいける!と勘違いして、とんでもない暴走をして、トラブルになるパターンもありますが・・・w
それも一つの経験ですし、周囲が察知して「それは流石に適切な人に相談するなり、意思決定メンバーにエスカレーションした方がいいよ」と促すことで、なんだかんだそういう暴走事例も抑制されている印象です。


最後に評価ですが、誤解されやすいのは、フラットな自律分散型組織だからといって、給与がみんな同じとかいうことではありません。どちらかというとドラスティックに貢献に応じて給与は変わるべきだと思っています。とんでもなく頑張って貢献する人もいれば、極めて高いロイヤリティを持ちながらも限られた時間や能力でできる限りの貢献をしてくれている人もいます。そういった仲間の貢献度合いが適切に評価されることが大事だと考えています。ただし正しい評価などというものは存在しないと思っていますし、そもそも人が人を評価することなんぞ無理だと思っています。
よって、我々は社内に、株式市場のような市場性の原理を導入したいと考え、試行錯誤して評価システムを構築しています。詳細は控えますが、360度の評価に基づき、ある意味で自動的に「この会社にとって重要な役割を担っている人」のランキングが出せる仕組みを構築しており、その序列に基づいて給与原資を分配するようなイメージです。
給与原資を決める意思決定は、会社にとって重要な意思決定ということで、上記した意思決定メンバーによって決定されますが、その後の分配については360度評価の結果に基づいて実施されます。正確には、現在はまだ評価アルゴリズムの改善を進めているので、最後は意思決定メンバーによる微調整が行われていますが、将来的には市場性に基づき自動的に給与が決まる仕組みを構築したいと目論んでいます。
ちなみに給与のための評価ではなく、成長のための評価やフィードバックについては、究極的には本人が受けたいと思う人から受けるのがいいと思っています。自分が尊敬する仲間からアドバイスをもらう方が成長すると思いますし。


だらだらと書きましたが、自律分散型組織が万能な訳ではないと思っていますし、あらゆる企業がフラットになればいいとも全く考えていません。そして我々もフラットにこだわっているのではなく、意欲ある社員が無駄なストレスなくビジネスに熱中・熱狂できる組織形態にこだわっています。それが結果的に今の形になったというだけです。

ティール組織についてよく聞かれますが、ティール組織の本はまだちゃんと読んでません・・・。
手元には持っているものの、分厚すぎて腰が引けたまま今に至っていますw
なのでティールについては詳しく話せません。ただ自律分散型組織を実運用しているという意味では、かなり長いこと試行錯誤してきてはいて、上記した3つのKFSは、まさに実践の中でたどり着いた結論です。

テクノロジーの進化(コミュニケーションコストの低下)、競争優位の変化(オペレーショナルエクセレンスからクリエイティビティへ)などに合わせて、組織のあり方にも進化や変化が求められていると強く感じる今日この頃です。

昨日SNS経由で、米主要企業の経営者団体ビジネス・ラウンド・テーブルが、従来の「株主第一主義」を見直して、従業員や顧客、さらには地域社会など、広く利害関係者に配慮した経営をしていくというニュースを目にした。

今回の米国の柔軟な変わり様にはびっくりした。
株主至上主義、時価総額経営、米国主導で世界経済、特に日本を強く牽引してきた価値観を、いとも簡単に切り替える柔軟さというか、変わり身の早さは、さすがとしか言いようがない。

私自身、会社設立以来、会社とは関わる人を幸せにするための仕組みだと言い続けてきた。
先輩経営者から会社とは株主のモノであると言われても、「そんなのありえない」「そんな会社で働きたい優秀な奴なんていない」と突っぱね、独自の理論で「会社」を再定義し、そのポリシーに基づいて経営をしてきた。


今年の4月のブログ「会社は関わる人を幸せにするための仕組み」ではまさにそのことについて書かせてもらった結果、多くの反響をいただいた。

究極的にいえば、誰かだけが得をして、誰かが損をするようなことや、賢い人が賢くない人を利用するようなことは、長期的に見れば成り立たないのは当然であり、倫理的、道徳的な観点からももちろんだが、インターネット社会になったことで世の中にそれが簡単に露呈するようになったことが大きい。

ビジネス界をリードする立場にある経営者達は、今一度会社という仕組みの本質を考え直す必要があると思う。

シンプルに考えれば、いくら株主とはいえ多くの人が見知らぬ株主のために人生を賭けてビジネスに没頭するという発想に無理がある。

もちろん株主も大切なステークホルダーであり、弊社の場合は全社員が株主でもある以上、株価や時価総額については常に意識をしなければならないのはいうまでもない。しかしその最大化が唯一無二の活動目的ではない。社会のため、顧客のため、もっといえば人類を前進せしめるような活動をしていきたい。

経営とはテクニックではなくこういった信念に基づき、短期の誘惑に負けずに、長期に渡り社会や人類に貢献する活動をおこなっていくことなのだと改めて思った。

この30年、40年もの間、特に強いポリシーもなく米国流を模倣してきた日本の企業や経営者が、このニュースをみてどう反応し、どう変わっていくのだろうか。

この機会に日本らしさ、日本の持つ本質的な強さに目を向け、ポリシーある企業経営をしていくことができれば、日本は再び世界をリードする存在になれるのではないかと思うのは私だけではないのではないか。

相変わらずドタバタしており、ついついブログの更新も億劫になってしまいがちな令和元年。

今朝の朝会(社員全員での週初めの情報共有の場)でとあるメンバーから「人と違う道を選択するのが不安だった」というような話があった。

思えば私自身も45年の長い人生のかなりの意思決定において、人と異なる道を選択してきたような気がする。

1997年に内定をもらったインテリジェンスへの入社を決断。
これは親族はもとより、教授、友人、ほぼ全ての人達から猛反対を受けるようなことだった。
思えばそのあたりから感覚は麻痺していたのかもしれない。
1998年に同社に入社するも、根性試しとでも言おうか、私からすれば無意味だと思えるような名刺獲得ノルマについても全て無視して、自分が価値あると思える仕事にのみ取り組んだ。
その後、社内でもそれなりの評価を頂き、子会社の社長や主力事業部のリーダーに抜擢いただくも、2003年には独立起業の道を選択。
その時も親族含め多くの人から「もったいないから辞めない方がいい」「なぜ出世ラインのど真ん中にいるのに辞めるんだ」と言われた。入社時に入社することを反対していた人達さえもが、今度は辞めることに反対するのだから、もはや笑うしかなかった。


起業後も、土地勘のあるアナログ人材ビジネスからインターネット企業へと転換する決断をする際にも、高収益のアナログ人材ビジネスを残すべきではないかという多くの意見を全て突っぱねて、売上が一時的に落ちようとも、完全にインターネット企業へと転身することを決断した。周囲からはそういうパターンでうまくいった企業は見たことはないと言われたり、理想を追求しすぎるのがお前の欠点だと言われたりもした。

日本というのはほぼほぼ単一民族に近い国柄だからなのか、島国という特性なのか、村社会の名残りなのか、同調圧力が極めて高いという印象がある。多様性への理解がとんでもなく低いように感じる。

野茂やイチローがメジャーリーグに挑戦したときも、期待や応援する声よりも批判する声が多かったように思う。中田がセリエAに挑戦したときもそうだったように記憶している。

私がそんな状況下であっても、多少なり人と異なる道を選択し、ここまでやってこれた背景には、USENの宇野さんやサイバーエージェントの藤田さん、DeNAの南場さんといったファーストペンギン的な先輩起業家の存在が極めて大きい。

会社組織においても、自分の経験や知識を超えた挑戦やアイディアはなかなか理解できないもの。つい批判したり否定したくなる。しかし自分が理解できないことを、受け入れられない組織においては、イノベーションは生まれない。

アトラエが目指すフラットで民主主義的な組織というのは、決して多数決で物事を決めるような保守的な組織ではなく、個性や異端を許容し、多様性を武器とし、多数決ではなく、最適な知見や経験を有する人が勇気と責任を持って意思決定するような組織であり、共に信頼しあいながら一つのビジョンの実現に向けて切磋琢磨できるような組織だと思っている。

すでにアトラエそのものが他の組織とは違う道を進んでいる。
当然失敗すれば叩かれることも多くなるし、今までもそんなやり方はうまくいかないと言われ続けてきた。
それでも自分達が信ずる道を選択し、ファーストペンギンとして次世代の理想となるようなビジネスチームを構築していくこと、それこそが「世界中の人々を魅了する会社をつくる」というビジョンに込めた想いである。

一部上場したくらいで成功したつもりになって保守に回ったり、大多数が常識だと言うような道に安易に流されることなく、常にアトラエらしく、そして常に挑戦者であり続けたい。

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