麻布十番で働くCEOのBlog(旧・南麻布で働く社長のblog)

成功報酬型求人メディアGreenの運営や、インターネットサービスの企画・開発を行う株式会社アトラエの社長のblogです。

とんでもなく久しぶりのブログ更新・・・・。
ずっとサボってました。。。

最近メディア取材や経営者の方々から相談を頂く中で、自律分散型組織、いわゆる最近でいうところのホラクラシーやティールと行った組織運営手法について聞かれてることが多くなってきたので、その辺りについて少しだけ書いてみることにしました。


背景としては、日本型の上意下達のヒエラルキーの強い組織運営が、合理性や生産性という面でも、社員の働きがいやエンゲージメントという面でも、制度疲労を起こしていることがあるのではないかという気がしています。

その理由としては色々とあるのですが、今回はそっちを深掘っていくよりも、自律分散型組織におけるポイントについて整理してみたいと思います。

自律分散型組織の反対は中央集権型組織です。
中央集権型組織というのは、中央(経営中枢や管理者)が権力をもち組織をコントロール(意思決定や指揮命令)する組織。それに対して自律分散型組織というのは、それぞれの個やチームが自律的かつ能動的に動きながらも、協力しあいながら活動していくような組織のイメージです。
ブロックチェーンなどの技術進化によって、国自体も今後自律分散型国家に向かっていくなどと言われていますが、それよりも先に会社組織などの変化や進化の方が圧倒的に早そうな気配ですね。


弊社アトラエでも自律分散を強く意識し、一人一人がオーナーシップと当事者意識を強く持ち、労使関係ではなく共通の目的の実現を目指す仲間として協働する組織を構築すべく試行錯誤してきました。

その際にもっとも重要となるのが、情報共有意思決定評価の3つになります。

情報共有は昨今テクノロジーの進化によって劇的にコストが下がり、大きな組織でもリアルタイムで情報共有をすることが容易になっているので、実現方法という意味ではさほど難しくないと思いますが、カルチャーや個々人のメンタリティが阻害要因となることが多々あると思われます。思ったよりみんな情報共有したくなかったり、抱え込んだりするインセンティブが組織内では働くようでw

意思決定についても、中央集権にせず、かといって完全多数決などとなると多数決のバグが確実に露呈します。ここは極めて難しいところです。弊社ではプロジェクト単位で自律的にビジネスを推進しており、そのプロジェクトの予算管理や決裁権をもつプロジェクトリーダーという役割が存在します。大事なのは出世や上司という概念ではなく役割としてのプロジェクトリーダーです。ちなみにプロジェクトリーダーだけはCEOが任命するということにしており、CEOとプロジェクトリーダーによって構成する意思決定メンバーによって、会社における重要な意思決定がされています。
イメージとしては仲間の中で意思決定に長けたメンバーが、仲間を代表して意思決定をし、その結果や背景を仲間にしっかりと報告、共有するという感じでしょうか。もちろん全社員、その意思決定に対して不満をいうこともできますし、反論することもできます。
必要に応じてプロジェクトリーダー以外のメンバーも意思決定に加わってもらうことも多々あります。社員たちは自分達が責任を負いきれないと思うイシューや会社にとって影響度が大きいイシューを、各自の判断で意思決定メンバーに委ねる形になります。
たまに経験の浅い若手社員が自分の判断でいける!と勘違いして、とんでもない暴走をして、トラブルになるパターンもありますが・・・w
それも一つの経験ですし、周囲が察知して「それは流石に適切な人に相談するなり、意思決定メンバーにエスカレーションした方がいいよ」と促すことで、なんだかんだそういう暴走事例も抑制されている印象です。


最後に評価ですが、誤解されやすいのは、フラットな自律分散型組織だからといって、給与がみんな同じとかいうことではありません。どちらかというとドラスティックに貢献に応じて給与は変わるべきだと思っています。とんでもなく頑張って貢献する人もいれば、極めて高いロイヤリティを持ちながらも限られた時間や能力でできる限りの貢献をしてくれている人もいます。そういった仲間の貢献度合いが適切に評価されることが大事だと考えています。ただし正しい評価などというものは存在しないと思っていますし、そもそも人が人を評価することなんぞ無理だと思っています。
よって、我々は社内に、株式市場のような市場性の原理を導入したいと考え、試行錯誤して評価システムを構築しています。詳細は控えますが、360度の評価に基づき、ある意味で自動的に「この会社にとって重要な役割を担っている人」のランキングが出せる仕組みを構築しており、その序列に基づいて給与原資を分配するようなイメージです。
給与原資を決める意思決定は、会社にとって重要な意思決定ということで、上記した意思決定メンバーによって決定されますが、その後の分配については360度評価の結果に基づいて実施されます。正確には、現在はまだ評価アルゴリズムの改善を進めているので、最後は意思決定メンバーによる微調整が行われていますが、将来的には市場性に基づき自動的に給与が決まる仕組みを構築したいと目論んでいます。
ちなみに給与のための評価ではなく、成長のための評価やフィードバックについては、究極的には本人が受けたいと思う人から受けるのがいいと思っています。自分が尊敬する仲間からアドバイスをもらう方が成長すると思いますし。


だらだらと書きましたが、自律分散型組織が万能な訳ではないと思っていますし、あらゆる企業がフラットになればいいとも全く考えていません。そして我々もフラットにこだわっているのではなく、意欲ある社員が無駄なストレスなくビジネスに熱中・熱狂できる組織形態にこだわっています。それが結果的に今の形になったというだけです。

ティール組織についてよく聞かれますが、ティール組織の本はまだちゃんと読んでません・・・。
手元には持っているものの、分厚すぎて腰が引けたまま今に至っていますw
なのでティールについては詳しく話せません。ただ自律分散型組織を実運用しているという意味では、かなり長いこと試行錯誤してきてはいて、上記した3つのKFSは、まさに実践の中でたどり着いた結論です。

テクノロジーの進化(コミュニケーションコストの低下)、競争優位の変化(オペレーショナルエクセレンスからクリエイティビティへ)などに合わせて、組織のあり方にも進化や変化が求められていると強く感じる今日この頃です。

昨日SNS経由で、米主要企業の経営者団体ビジネス・ラウンド・テーブルが、従来の「株主第一主義」を見直して、従業員や顧客、さらには地域社会など、広く利害関係者に配慮した経営をしていくというニュースを目にした。

今回の米国の柔軟な変わり様にはびっくりした。
株主至上主義、時価総額経営、米国主導で世界経済、特に日本を強く牽引してきた価値観を、いとも簡単に切り替える柔軟さというか、変わり身の早さは、さすがとしか言いようがない。

私自身、会社設立以来、会社とは関わる人を幸せにするための仕組みだと言い続けてきた。
先輩経営者から会社とは株主のモノであると言われても、「そんなのありえない」「そんな会社で働きたい優秀な奴なんていない」と突っぱね、独自の理論で「会社」を再定義し、そのポリシーに基づいて経営をしてきた。


今年の4月のブログ「会社は関わる人を幸せにするための仕組み」ではまさにそのことについて書かせてもらった結果、多くの反響をいただいた。

究極的にいえば、誰かだけが得をして、誰かが損をするようなことや、賢い人が賢くない人を利用するようなことは、長期的に見れば成り立たないのは当然であり、倫理的、道徳的な観点からももちろんだが、インターネット社会になったことで世の中にそれが簡単に露呈するようになったことが大きい。

ビジネス界をリードする立場にある経営者達は、今一度会社という仕組みの本質を考え直す必要があると思う。

シンプルに考えれば、いくら株主とはいえ多くの人が見知らぬ株主のために人生を賭けてビジネスに没頭するという発想に無理がある。

もちろん株主も大切なステークホルダーであり、弊社の場合は全社員が株主でもある以上、株価や時価総額については常に意識をしなければならないのはいうまでもない。しかしその最大化が唯一無二の活動目的ではない。社会のため、顧客のため、もっといえば人類を前進せしめるような活動をしていきたい。

経営とはテクニックではなくこういった信念に基づき、短期の誘惑に負けずに、長期に渡り社会や人類に貢献する活動をおこなっていくことなのだと改めて思った。

この30年、40年もの間、特に強いポリシーもなく米国流を模倣してきた日本の企業や経営者が、このニュースをみてどう反応し、どう変わっていくのだろうか。

この機会に日本らしさ、日本の持つ本質的な強さに目を向け、ポリシーある企業経営をしていくことができれば、日本は再び世界をリードする存在になれるのではないかと思うのは私だけではないのではないか。

相変わらずドタバタしており、ついついブログの更新も億劫になってしまいがちな令和元年。

今朝の朝会(社員全員での週初めの情報共有の場)でとあるメンバーから「人と違う道を選択するのが不安だった」というような話があった。

思えば私自身も45年の長い人生のかなりの意思決定において、人と異なる道を選択してきたような気がする。

1997年に内定をもらったインテリジェンスへの入社を決断。
これは親族はもとより、教授、友人、ほぼ全ての人達から猛反対を受けるようなことだった。
思えばそのあたりから感覚は麻痺していたのかもしれない。
1998年に同社に入社するも、根性試しとでも言おうか、私からすれば無意味だと思えるような名刺獲得ノルマについても全て無視して、自分が価値あると思える仕事にのみ取り組んだ。
その後、社内でもそれなりの評価を頂き、子会社の社長や主力事業部のリーダーに抜擢いただくも、2003年には独立起業の道を選択。
その時も親族含め多くの人から「もったいないから辞めない方がいい」「なぜ出世ラインのど真ん中にいるのに辞めるんだ」と言われた。入社時に入社することを反対していた人達さえもが、今度は辞めることに反対するのだから、もはや笑うしかなかった。


起業後も、土地勘のあるアナログ人材ビジネスからインターネット企業へと転換する決断をする際にも、高収益のアナログ人材ビジネスを残すべきではないかという多くの意見を全て突っぱねて、売上が一時的に落ちようとも、完全にインターネット企業へと転身することを決断した。周囲からはそういうパターンでうまくいった企業は見たことはないと言われたり、理想を追求しすぎるのがお前の欠点だと言われたりもした。

日本というのはほぼほぼ単一民族に近い国柄だからなのか、島国という特性なのか、村社会の名残りなのか、同調圧力が極めて高いという印象がある。多様性への理解がとんでもなく低いように感じる。

野茂やイチローがメジャーリーグに挑戦したときも、期待や応援する声よりも批判する声が多かったように思う。中田がセリエAに挑戦したときもそうだったように記憶している。

私がそんな状況下であっても、多少なり人と異なる道を選択し、ここまでやってこれた背景には、USENの宇野さんやサイバーエージェントの藤田さん、DeNAの南場さんといったファーストペンギン的な先輩起業家の存在が極めて大きい。

会社組織においても、自分の経験や知識を超えた挑戦やアイディアはなかなか理解できないもの。つい批判したり否定したくなる。しかし自分が理解できないことを、受け入れられない組織においては、イノベーションは生まれない。

アトラエが目指すフラットで民主主義的な組織というのは、決して多数決で物事を決めるような保守的な組織ではなく、個性や異端を許容し、多様性を武器とし、多数決ではなく、最適な知見や経験を有する人が勇気と責任を持って意思決定するような組織であり、共に信頼しあいながら一つのビジョンの実現に向けて切磋琢磨できるような組織だと思っている。

すでにアトラエそのものが他の組織とは違う道を進んでいる。
当然失敗すれば叩かれることも多くなるし、今までもそんなやり方はうまくいかないと言われ続けてきた。
それでも自分達が信ずる道を選択し、ファーストペンギンとして次世代の理想となるようなビジネスチームを構築していくこと、それこそが「世界中の人々を魅了する会社をつくる」というビジョンに込めた想いである。

一部上場したくらいで成功したつもりになって保守に回ったり、大多数が常識だと言うような道に安易に流されることなく、常にアトラエらしく、そして常に挑戦者であり続けたい。

最近ドタバタしており、長らくブログを更新できずにいました。。。

今日は真のチームとは、理想のチームとは、ということについて社内のメンバーに向けたメッセージも含めて書こうと思います。

元来、アトラエではチームプレイヤーであることを極めて重視しています。
採用の基準としても、日々の言動においても、セルフィッシュであることを強く戒め、チームプレイヤーであることを徹底しています。

一方、それが少しマイナスの影響を持ち始めているようなシーンが散見されるようになってきたことが、最近ずっと気になってきました。

真のチーム、理想のチームとはどういうチームなのか。

私は、一人一人の努力やプロフェッショナリズム、スペシャリティがベースにあり、その上でチームとしての連携や切磋琢磨によって相乗効果が生まれる、そんなチームが理想だと考えています。まさにスラムダンクの湘北高校バスケ部が理想の事例でしょうかw

しかし一方でフラットでチームでということを強調しすぎることにより、お互いが仲間に厳しく要求したり、厳しく接することができなかったり、一人一人としてのプロフェッショナリズムやスペシャリティがあまり言及されないままに、依存体質の仲良しサークルのようになってしまう危険性を常に孕んでいると感じます。


昔、サッカー日本代表の中田さんがテレビか何かでこんなことを言っていました。

「自分は今の日本のレベルに合わせたパスではなく、今の世界のレベルに合わせたパスを出している。今のみんなのレベルにパスを合わせるのではなく、世界レベルのパスにみんなが必死に追いつかなければいけない。」(ちょっと言い回しまでは覚えてないののですが・・・)


営業として、いろんな会社の営業の人と対峙して自分の方が圧倒的に力があると誇れるか?
経理として、本当に他の経理担当よりも知識があり正確性高く決算を締められているか?
エンジニアとして、誰よりも顧客思考を持ってバグなくスピーディーに開発できているか?
デザイナーとして、採用担当として、マーケッターとして、、、、、


ベンチャー企業でなんとなく仕事していると、会社が急成長していることによって自分までがすごく成長しているかのような錯覚に陥ることが多々あります。会社の評価やレピュテーションが上がっていくことによって、自分まで社会から評価されているような錯覚に陥ることがあります。

そしてアトラエのようなフラットな組織においては、個々人のずれた認識や錯覚、弛んだ感覚を修正するのは簡単ではありません。強く自分を律していく、自分よりも仕事ができる人からの適切な評価やフィードバックを積極的に受ける、そういうことを自らしていかない限り、気づいたら自分のレベルが全く上がっていないなんていうことが多々起こります。

アトラエは働きやすい組織ではなく、働きがいのある組織でありたいと思います。
ただ楽しくではなく、厳しくもやりがいのある組織でありたいと思います。
仲間とも依存関係ではなく、尊敬しあい、信頼しあえる関係でありたいと思います。

2019年新卒のメンバーには社会人として最低限毎朝日経新聞は読めと口を酸っぱくして言っています。だからといって朝10時をすぎてデスクでのんびり新聞読んでいる姿を見ると、正直何も期待する気がなくなります。成長意欲や貢献意欲があれば、何も言わずとも大事な午前中のゴールデンタイムを新聞を読む時間にあてないのではないかと思います。

パフォーマンス出せばいいんだろと思うかもしれませんが、そういうタイプの人が長期的にパフォーマンスを出す可能性は極めて低く、ありがちなのは途中で言い訳をして逃げていくパターン。自己防衛が強いタイプですね。たくさんの若者と働いてきたからこそ、おおよそわかります。


改めて働きがいのある会社ランキング1位などと表彰されて浮かれている場合ではありません。
組織として体脂肪率が高くなっていることを早く感じ取り、しっかりと筋肉質のチームへと戻していくことが重要です。

このメッセージを読んで少しでも多くのアトラエメンバーの意識が今一度高まることを期待しています。

今年に入ってから、働き方改革、ホラクラシー型組織、ティール型組織、エンゲージメント経営などの文脈から、多くの講演や取材の依頼を頂戴するようになった。また若い起業家や経営者の方々からの相談も多く、少しでも役に立てるのであればということで、時間の許す限りお会いするようにしている。


そんな中でよく聞かれるのは、どうやったら社員がエンゲージメント高く、意欲をもって働いてくれるのか、というような類のこと。

それに対して必ず聞き返すのは、

「●●さんは本当に社員の物心両面の幸せを実現しようと思ってますか?」

ということ。


もちろん組織改善のためのティップスや常套手段、効果的な取り組みなどは多々あるものの、大前提として経営者としての意志や意欲、情熱がそこになければ、いくら小手先のティップスを実践しても残念ながら長続きもしなければ、改善さえままならずに終わるだろう。

組織改善において大切なのは、制度やルールなどハードの改善よりも、社員の心理や意欲や人間関係といったソフトの改善から始めること。何よりも経営陣が本気で社員の物心両面の幸福を実現しようと思えば、社員との対話や問題点の把握からスタートする以外にないことは容易にわかるだろう。しかしながら多くのケースでは、残業時間削減や、フレックス制度の導入など、ハードの改善によってエンゲージメントを改善しようとしている。残念ながらそれは土台間違っている。


そもそも会社とは何か。
平成の30年間、日本は安易に米国から時価総額経営や目標管理制度など、一見資本主義においては合理的に見える経営スタイルを模倣しすぎてしまったように思える。

私は会社というものは、関わる人々が幸せになるために人間が知恵を絞って作り出した仕組みだと思っている。

関わる人々というのは、狭義には、働く人々、クライアントやユーザーなど顧客、そして株主だろう。実際には地域社会やパートナー企業などを含めた広義の関わる人々を幸せにするのが会社の主たる目的だと考えている。


経営のバリューサイクルとは、以下のようなものだと考える。


働く人々の物心両面の幸福の実現
      ⬇️
サービスやプロダクトによる顧客への価値提供
      ⬇️
顧客からの対価による売上・利益の向上
      ⬇️
株主価値の向上
      ⬇️
納税・雇用・パトロネージュによる社会貢献
      ⬇️
働く人々がより一層誇りをもち働きがいを感じる


経営とはこのバリューサイクルを適切に回すことであり、そのサイクルをとおして幸せにできる人の数が多ければ多いほど、優れた経営ができているということなのではないだろうか。時に赤字の状態でも会社を売却して成功を納めたとされる起業家も数多くいるだろうが、それは投資家や株主として成功したということであり、上記サイクルを適切にまわし、社員の幸せ、顧客の幸せ、社会への貢献が実現できていないようであれば、経営者としての成功とは言えないのではないかと思う。もちろん株主や投資家としての成功であることには疑いの余地はないので、だからといってそれが悪いことだと言いたいのではないが。

個人的には最近、日本を含め、米国や中国などの資本主義が少し行き過ぎているような印象すら抱いている。会社が時価総額や売上の成長を追求し続けることのためだけに存在しているかのような感覚を持っている経営者も多いのではないだろうか。もちろん関わる多くの人々を幸せにするために、売上や株価というのは大事な要素の一つであるのは間違いない。そこに異論は一切ないが、それが唯一最大の目的でないというのも事実ではないかと思う。

成功している会社はもっと社会全体への貢献や富の還元を意識していくことで、社会がサステナブルにまわっていく存在であるべきではないだろうか。

そういう意味でも、アトラエは行き過ぎた資本主義に迎合して株主価値や売上を向上させ続けるだけではなく、関わる人々を幸せにすることを第一義と、さらには地域社会や日本全体にも微力ながら貢献できる存在になるべく、チーム全員で力を合わせていく。

いつの時代も原理原則本質論こそが大事であり、経営者やリーダーたる人は決してその本質からぶれてはならない。

本日の日経新聞の1面の特集記事「働き方進化論」の中で、「何のために働くか」という質問に対して、「自分を成長させるため」と回答した人が20代で54.6%に上ったという記載があった。

個人的にはなんとも微妙な結果だと感じてしまった。

会社というチームで働く目的が自分を成長させるためなのだとしたら、会社は社員の育成機関なのだろうか。当然ながらそうではない。そもそも自分を成長させてどうしたいのだろうか。将来の経済的な不安をなくしたいということなのだろうか。それであれば十分な資産がある人であれば、自分を成長させたいとは思わないのだろうか。いろんな疑問が生まれてくる。

単なる持論にすぎないが、私は会社というのは単なるビジネスというフィールドにおけるチームでしかないと思っている。そしてフリーランスや副業など多様な働き方が受け入れられるようになった現代において、チームの意味というのは個人では成し遂げられないようなことを成し遂げるために集まった仲間なのではないかと考えている。

当然ながら一時的であっても戦力が欲しい会社と、一定期間で経験を積みたい社員の利害が一致すればそういう関係もありだと思う。一方で半数以上の人が働く目的を自己成長のためだと答えているのが実情だとすれば、極めて微妙な感覚が残る。

イチローや松井は、常に自分の記録よりもチームの勝利に少しでも貢献することの方が大事だと話していた。チームの勝利に貢献するために自分を磨き続けてきたのだろう。

もちろん人には成長意欲も向上心もある。成長し続けることも一つの目的かもしれない。しかしそれが単なる経済的な不安からの解放を目的とするものなのであれば、少し残念な気がする。人生を賭けて実現したい夢があり、そのために成長を志すような人がもっと増えると日本も変わっていくのではないか。

会社というのは社会に価値がある何かを実現するために仲間が集まってできたチームにすぎない。やはり会社に所属することの一番の目的は、その会社が持つビジョンやミッションの実現であり、そこに対する共感がないようであれば、どんなに能力が高くても弊社では採用しない。

もちろん会社のために犠牲になれという意味ではない。
自分の興味や関心のあることと、会社のビジョンやミッション実現への貢献の重なるところを見出すことこそが、チームの一員として最高に楽しくやりがいをもって働くための唯一の方法なのだと思う。

チームで何かを成し遂げるべく熱狂することの楽しさをもっと広めていかないといけない、そう思った今日の日経新聞一面。。。

おかげさまで最近は日々多くのメディアからの取材依頼を頂いている。
そのほとんどは働き方改革やエンゲージメント、組織運営や社員を活かす組織作りなどの文脈なのだが、その中で頻繁にお話ししている労使関係からの脱却とチーム作りについて少し整理して見ようと思う。


従来、会社組織というのは労使関係というものが存在してきた。今もほとんどの会社で存在している。その背景には、炭鉱業や鉄鋼業や製造業など、巨大資本を必要とする産業において、資本家なしには事業を生み出すことさえ難しく、それによって雇用が生まれてきた。また当時は資本家の多くは、経営者であり、つまり労使の「使」はいわゆる資本家であり経営者のことだったのだと推察される。

この場合、労働者という立場からすれば、労働を提供し、対価として給与を得るわけであり、合理的に考えれば、提供する労働力や労働時間を最小化し、対価を最大化したいという考えになりやすい。対価というのは給与もそうだし、会社の経費による飲食なども該当する。

一方で「使」である経営者からすれば、いかにコストを抑えつつパフォーマンスを出すかを考えるのが一般的だろう。つまるところ、安い投資でたくさん働いてもらいたいという意識を持ちやすい。

これが労使関係における至極合理的なメカニズムである。

だからこそ経営者は労働者を管理・監視しようという感覚になるし、労働者としては経費でもなんでも予算枠いっぱいまで使おうという感覚になる。

ある意味でいえばよほどバランスよく運営していかない限りは、一種の利害相反が起きやすい構造だといえる。


私自身はその感覚を徹底的に変えたいと思って組織作りをしてきた。
私は会社とは「関わる人たちを幸せにするために人が作り出した仕組み」だと思っている。関わる人たちというのは、狭義でいえば、社員・顧客・株主であり、広義でいえば、その家族やパートナーや社会というイメージである。さらには、ビジネスという領域で何か成し遂げたいことを成し遂げるために人が集まったチームであると考えている。成し遂げたいことがビジョンやミッションと呼ばれるものだと考えている。

つまり会社とは、ビジョンやミッションの実現のために、それに共感・賛同した人たちが集まり、その実現に向けて切磋琢磨するチームのことではないのだろうか。

そういった考え方に加え、昨今の知識産業では巨大資本が不要になってきていたり、経営者とは別の資本調達手法が充実してきていることから、従来の労使関係を引きずる必要性もないと考える。

そういった背景や考え方に基づくと、給与というのはチームとして社会に生み出した価値に対する対価の配分だと捉えた方が納得感がある気がしている。端的にいえば、みんなで頑張って稼いだ原資を、株主と社員と事業への再投資(顧客)で分配するわけであり、その社員分をどうやって一人一人に配分するかということでしかないのではないか。

そう考えれば、生産性は高めたりコストを下げたりする方が自分達の給与原資を増やすことができうるわけで、社員としても経営者と同じように考える合理性が高まる。つまり労使の利益相反はほぼなくすことができる。これが新しい時代の会社組織においてあるべき関係性だと考える。

労使関係からチームへ

経営者も社員も一致団結して、一つのチームとして価値あるビジョンの実現へと熱狂する組織であり続けたいものである。

「アトラエは少数精鋭にこだわっていると思いますが・・・」

取材で頻繁に聞かれるこの質問。

ぶっちゃけ少数精鋭になんて全くこだわっておりません(笑)。
あらゆるポジションで積極的募集をしています。

ただあえて言うなら、こだわっているのは生産性です。

私は会社の存在意義は関わる人を幸せにすることに尽きると思っています。
関わる人とは狭義には、社員、顧客、株主であり、広義にはそれに加えてパートナー企業や社会そのものが加わってきます。

生産性を高めていくことなくして、社員の給与水準を高めることもできず、高い利益率を実現することもできず、十分な再投資もできないことを考えれば、生産性を意識するのは当然だと思っています。さらにはリーマンショックのようなリセッションが起これば、膨張した組織はひとたまりもないのは、リーマンショック経験者なら誰もが目の当たりにしてきたこと。

一部の起業家達は、次から次へと大型の資金調達を実施し、赤字であっても高い役員報酬に豪華なオフィス、マーケティングへの惜しみない投資など、一見大胆ですごいなぁと思いつつも、リーマンショックのトラウマを抱える私としては怖さが拭い去れません。

組織の体脂肪率というものがあるのだとしたら、リセッション時に体脂肪率が高いと生き残れない。
そしてやはりビジネスの基本はキャッシュフローベースでの黒字経営にあると考えています。もちろん短期的かつ戦略的な投資による赤字は全く問題ないとも思っていますが、単なる赤字と戦略的赤字は意味が異なります。お金余りの今はその違いをあまり気にしてないようにさえ見えます。

個人的には未上場ベンチャー企業のバリュエーションは正直かなり高い水準にあると思っています。そして、将来的に株式市場で、そのバリュエーションを超える企業価値に到達するのは、そんなに簡単ではありません。これは自分の経験則上も、周囲の仲間達の状況を見ても、本当にそう思います。


弊社も一昨日、第一四半期の決算発表をしました。
正直それなりに順調に成長することができています。
採用する社員もこだわって採用しているので、急速に倍々に増やしたりはできないですが、毎年10人以上の仲間を採用し、少しずつながら拡大しています。

オフィスも4月の新卒の受け入れで一旦手狭になるため、昨年から移転を含めて検討を重ねてきましたが、現時点で我々が理想とするオフィスが空いてなかったこと、2021年年始になれば理想とするオフィスビルに空きがでることなどから、現在のオフィスを拡張工事することで2年間は耐え凌ぐという決断をしました。

今のアトラエの業績や資金力を考慮すれば、2年だけでも別のオフィスに一旦移るという決断をすることも十分にできたと思います。が、やはり東証一部になっても、いくら儲かっていたとしても、我々はいつまでもベンチャー企業であり、常に挑戦者だという気持ちを捨てたら終わると自覚しています。掲げているビジョンの実現にもまだまだ遠く及ばない以上は、まだまだ挑戦は続きます。

最近入ってきた社員からすれば、ケチだなと思うのかもしれませんw
それでもこういう決断の一つ一つが生産性を高め、組織の体脂肪を健全に保ち、ひいては関わる人々の幸せに繋がっていくのだと信じています。

大切な人に誇れる会社であり続ける

我々が大事にするバリューです。
オフィスにおける判断一つとっても、全員がこの価値観に基づいて適切な判断ができていることを本当に誇らしく思います。

いつの時代も、いつまでも、関わる人を幸せにできる、かっこいいベンチャー企業であり続けたいと思っています。

世の中、どんな経営者も成功した暁には

「優秀な仲間に恵まれました」
「すべては社員の頑張りのおかげです」

というわけで、決して、

「全ては私の能力の高さです」

とは言わない。そりゃそうだ。。。
前者の方が魅力ある賢い経営者に映ることくらいわからない経営者は成功なんてしないだろうしw

それを重々わかった上で最近嬉しいニュースが続いたのでそれについて書こうと思う。


まず一つにはマザーズ上場、東証一部への市場変更という重要なミッションをCFOとしてやり遂げた梅村が、取締役を退任することになった。そして彼はそのままアトラエの社員としてGreenの営業チームに入り、猛烈に頑張ってくれている。

おそらくCFOとしてマザーズ、一部と上場を果たしながらも、その後社員として営業に従事している人材は、日本でも彼だけではないだろうか。そういう決断をした彼の思いは以下のFacebookへの投稿で垣間見ることができる。

https://www.facebook.com/y.umemura/posts/2503962986341988

取締役さえも単なる役割分担であり、常に柔軟に「世界中の人々を魅了する会社をつくる」ために自分に何ができるかを考え続ける彼の姿勢は、多くの社員にとって極めて重要なロールモデルとなるはずである。

またさらに2009年に新卒として入社しつつも、途中で転職していたメンバーが、今年からカムバックしてくれた。今はまだ契約社員ではあるが、近い将来正社員として再び同じ釜の飯を食う(古い?!)ことができると確信している。

たった一度の人生ゆえにいろいろな選択肢がある。それでも社外に出ていろんな経験をした仲間が、アトラエで再び頑張ろうと思ってくれるというのは嬉しいものである。そんな彼も今後のアトラエのメンバーにとって、もしくは過去に辞めていったメンバーにとっても、大きなロールモデルとなるだろう。

最後に、1年間業務委託でエンジニアとして手伝ってくれていたメンバーが、3月より正式に社員としてアトラエにジョインしてくれることになった。

彼はもともと知人と二人で起業を経験しており、その片手間で業務委託として週3日ほどアトラエで頑張ってくれていた。技術力の高さもさることながら、その誠実でおだやかな人柄は、アトラエにフィットしていると感じる逸材であり、当初より多くのメンバーが代わる代わる口説いていたw

そんな彼が起業という道を断ち、アトラエで再び夢の実現を志す決断をしてくれたのは、本当に嬉しい。起業でなくてもアトラエであれば夢が実現できる可能性が十分にあり、場合によっては起業する以上にその実現可能性が高いと感じることができたという。
アトラエという仲間や器を十分に活用し、自分が実現したい価値を実現してもらいたいものである。起業からアトラエ参画という、これもアトラエにとって一つの嬉しいロールモデルにたりうる事例だろう。

今年に入り、こんなアトラエらしい仲間の異動や参画が相次ぎ、そして全員極めてエンゲージメント高く活躍してくれており、まさに経営者冥利に尽きる。

前提としてアトラエはフラットで自律分散型の組織運営をしている。ルールよりも倫理観を重んじ、管理や監視よりも性善説を重視している。そんなアトラエでは取締役さえもポジションや肩書きではなく、単なる役割にすぎないと考えている。CEOという役職さえも、あくまでも会社全体のより中長期の戦略を考えたり、ビジョンの浸透を促したり、採用や広報の看板になったりという役割にすぎず、絶対的な存在ではない。

長年そんな組織理論を発信し続けてきたわけだが、それがいよいよ様々なところで現実のものとなりつつあり、またそういったロールモデルの存在が、さらに社員の中にアトラエにおいては当たり前のことだという感覚を根付かせてくれる。

理想の組織の実現を目指して創業し16年、少しずつながら着実に近づいている実感がある。
未曾有の変化の激しい時代においては、強いチームをつくることこそが経営におけるもっとも重要な仕事の一つであると信じ、これからも継続してより強いチームをつくっていこうと思う。

最近取材や経営者仲間の間で頻繁に聞かれる質問の一つが、エンゲージメント従業員満足度の違い。またそこにロイヤリティやモチベーションなども入ってくるともはやよくわからなくなりやすい。

私も多くの専門家の人にご教示頂いたり、書籍から得た情報をもとに、自分なりに整理して理解をしているので少し紹介したいと思う。

まず大前提として、エンゲージメントという概念は、仕事や会社に対するモチベーションやロイヤリティ、従業員満足度というものをある意味包括している感覚がある。モチベーションというのはなんらかの行動をとる上での動機となる感情であり、仕事や会社に対するモチベーションというのはエンゲージメントの一部とも言えるのではないかと思う。会社に対するロイヤリティという概念もエンゲージメントの一部と考えても差し支えないと思う。

一方で従業員満足度という要素もエンゲージメントに似た概念ではあるが、いくつか異なる点があるのではないかと思う。まず一つは時間軸が少し異なる。従業員満足度というのは今日に至るまでの過去の仕事や報酬や評価などに対する感情であり、エンゲージメントはまさに今この瞬間の感情にフォーカスしている。

また従業員満足度を高めると社員はより心地よい状態にはなるが、活き活きとしてパフォーマンスが上がっていくというわけではない。多少なりともパフォーマンスへの正の影響はあろうが、さしたる相関は今のところ見つかっていない。それ以上に従業員満足度を高めるためには給与向上や福利厚生の充実、オフィス環境の改善など、それ相応のコストが発生するため、パフォーマンス向上以上にそちらのインパクトの方が高くなるリスクを孕んでいる。

一方でエンゲージメントというのは社員がエネルギッシュに意欲を持って取り組む感情の度合いであり、明確にパフォーマンスと正の相関があることが既に複数の研究結果で証明されている概念である。

両者の違いを、活性化↔︎不活性化快感情↔︎不快感情という二軸のマトリックスで整理するとこんなイメージになる。
Engagement.001

これはエンゲージメントの国内第一人者でもあられる北里大学の島津教授からお教え頂いた概念図である。確かにこうやって整理してみると極めてわかりやすい。

エンゲージメントは残業時間を減らしたり、福利厚生を充実させたりすることで向上するようなものではない。もう少し根本的な働きがいややりがい、承認欲求や信頼関係を高めることでしか、向上していかないもの。

私は日本で働く人々のエンゲージメントは極めて低いのではないかという仮説を持っている。
そしてそれが平成30年間の経済成長鈍化の一番の要因なのではないかとさえ思っている。

今まさに働き方改革と銘打って様々な改善施策が検討・導入されているが、いまだに弱者救済的、労働者保護といった側面が強く、決して働く人々のエンゲージメント向上には繋がらないのではないかと思っている。

セーフティネットを用意することももちろん重要なことだが、トップラインを引き上がることもそれと同じ以上に大事なことだと思う。

少子高齢化という大きな経済的課題に直面しながらも、日本がそれに抵抗し経済成長していくにどう変わっていくべきか。わかっているのは間違いなくかなり厳しい状況に追い込まれており、変わらなければこのまま沈みゆくだけだということだろう。

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