麻布十番で働くCEOのBlog(旧・南麻布で働く社長のblog)

成功報酬型求人メディアGreenの運営や、インターネットサービスの企画・開発を行う株式会社アトラエの社長のblogです。

いよいよ2018年入社の新卒採用活動が本格的にスタート。
毎年恒例の超多忙な時期に突入。

新卒採用は会社の未来に向けた投資であり、長期戦略においては極めて重要な取り組み。
今年も一切の手抜きなく、本気で過去最高レベルの仲間を集めるべく、全国飛び回る覚悟。


そんな中、学生との話の中で面白い質問があったので共有を。


「安定企業は存在しないと言うがベンチャーよりも大企業の方が安全ではないのか?」
「大企業からベンチャー企業は転職できるが、逆はできないと聞いたがそうではないのか?」



資本主義という自由競争社会において絶対的安定は当然ながら存在しないのは自明。
一方で竹の子のように次々に生まれるベンチャー企業と、歴史と実績を持つ大企業のどっちが倒産リスクが少ないかといえば、当然ながら後者であるのも事実。しかしながら考えるべきは、会社が倒産しないことや存続し続けることと、自分が望むような働き方が維持できるかどうかは全く別の話。

自由競争社会においては、プロスポーツ選手のように市場で十分な価値を持つ人達は、組織に依存することなく個人としての安定を得ることができる一方で、高度経済成長期のような一種の雇用保証は不可能なため、実力がないままに会社依存が高まっている人達は、近い将来厳しい現実と直面することになるのも自明。

さらに突っ込むと、大企業からベンチャーは転職できて、逆はできないという理論が成り立つとすると、大企業の社員が総合的に見てベンチャー企業の社員よりも市場価値が高く優秀であるという現実が成り立たなければいけない。さすがに実力がないのに大企業出身だからとか、ベンチャー出身だからということで採用するなどという非合理的な現実は起こり得ない。

もしそういう時代があったと感じるのであれば、それはそもそも大企業に入る人材とベンチャーに入る人材の能力差がとんでもなくあった時代の印象が残っているのかもしれない。現時点でも大企業を最初の就職先として選択する優秀な学生は後を絶たない。ゆえに第二新卒に近い若い世代であれば、大企業からベンチャー企業に行ける人は多いと言っても過言ではないかもしれない。しかしながら大企業にいるからベンチャーに行けるということではなく、もともと優秀な人材が大企業に入ってたというだけの話。

つまり結論としてはどっちからどっちであっても、十分な実力や経験、ノウハウなどを有することなく転職できるなどという非合理な話がまかり通るわけはない。常識的に考えれば誰でもわかる話ではないだろうか。どちらの環境で努力した方が力がつくか、シンプルにそれだけである。

そうでないとすると、読売ジャイアンツに属している選手はみんなヤクルトスワローズには移籍できて、逆はできないみたいな話が成り立つということになる。あるわけがない。実力、期待、信頼、あらゆる面で個人個人が評価されるのが自由競争社会である。

改めて、同じ会社を選んでも得られるキャリアは異なるのがこれからの自由競争社会。
つまり真の資本主義社会。

これからは会社に依存したビジネスパーソン人生ではなく、自らの意志に基づき選択し努力することで市場価値を積み上げていくビジネスパーソン人生へと変わっていく。

改めてこれから就職を考えている学生の人達には、その本質をしっかりと理解し、自らが情熱を注げるような悔いのない選択をしてもらえると嬉しい限り。

暗雲立ち込める日本の未来を変えていくのは、我々世代を含めた若い世代であり、その一人ひとりの選択や決断、そして努力によってのみ、日本は良い方向に進んでいくのだと思う。

最後に、久しぶりのエントリーがさほど面白くなかったことをお詫びしつつ、終わりたい(T_T)

働く上で成長したくない人というのはあまりいないだろう。
勿論、稼げれば成長なんてどうでもいいというタイプの人もいるのかもしれないが、多くの人はどうせ仕事に関わるなら自分も成長したいと思うのではないだろうか。

少なくとも弊社のようなベンチャー企業に飛び込んでくるような若者は100%成長意欲を持って入ってくる。しかしながらその後成長できる人となかなか成長できない人が存在するのは何故なのだろうか。

私なりの仮説として、いかに正確に自己認知ができるかどうかということがかなり重要だと思っている。
具体的に言えば、自分ができることとできないことを正確に把握することができるかどうか。
自分が目指すビジネスパーソン像との差異を的確に認識し、その差異を埋めるために、正しい努力ができるかどうか。

それに尽きるのではないかと思う。


極めて簡単な話しなのだが、多くの若手がその過程で「プライド」という見えない壁にぶつかる。

こんなはずじゃない、自分の強みが活かせてないだけだ、この仕事は向いてないのかもしれない、などなど、自己防衛本能がフル稼働して自分の見栄やプライドを全力で守ろうという意識が働く。

それによって自分の現状を適切に把握できず、結果として改善もできない。
PDCAを回すとよくいうが、現状認識なくしてPDCAなんて回るわけはない。

更には自信をなくしたり、落ち込んだりして、前に進めなくなってしまったりするケースも多い。

目指すビジネスパーソン像を高いところに設定すればするほど、簡単には到達しないわけで、焦りや悔しさを感じることも増えるのは致し方無いとしても、身近な人と比べてちょっとパフォーマンスが悪いだけで自信を失ってみたり、たいした努力もしないうちから落ち込んでみたり、というのは何の意味もなさない。

できる人からどんどん盗み、少しでも近づき、追い越すべく努力する以外に成長の道はない。
落ち込んだり、自信を失ったりする人に限って、身近な人との比較の中で優越感を感じたいという気持ちが強く働いているタイプが多く、これはいわゆる承認欲求やプライドが強い人に多いイメージ。

実は私自身も若きし頃はそんな傾向も多少なりあった。。。。
ただ負けん気と向上心だけがその数倍強かったことが功を奏して成長するに至っただけで。

なので気持ちはよく分かるが、ビジネスの世界は長い長いレース。こつこつと努力を積み上げていくことが何よりも大事。自分より優秀な人なんて世界中にいくらでも存在する。そこを意識しすぎても意味がないので、まずは自分が目指す姿や理想像、ロールモデルを設定し、そこに到達すべく現状の自分の課題を適切に認識し、改善努力をすることこそが、成長の第一歩。

ということで、成長したいならまずはしっかりと自己認知すべし!!

成長している人ほど自分の課題を正しく認識し、その改善にとんでもない努力をしている。それなくして自信を失ったり、落ち込んだりするのは、努力している人からみれば当然であり、そんな感情を持つこと自体がまだ早過ぎる。

小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところに行くただひとつの道だと思っています。
                                  by イチロー

天下のイチローでさえもこんなことを言ってるのだから凡人であれば当然小さな努力を積み重ねる以外に道はない。

もうすでに何度かご紹介しているので、このブログを読んでくれている方々はご存じの方も多いと思うが、弊社アトラエは出世という概念がなく、一般的にいう上司・部下という発想もほとんど存在していない、極めてフラットな組織で運営されている。

「ほとんど存在していない」という言葉を使ったのは、上場企業として重要なコーポレート・ガバナンスのための決裁や稟議のために、フラットながらもプロジェクトごとにリーダーと呼ばれる決裁者が存在しているために、上記のようなニュアンスを含めた次第。

そんな細かいことはいいとして、そんなフラットな組織で各自が自律的かつ機能的に柔軟にバリューを発揮したり、お互いの強みを活かしながらチームとしてパフォーマンスを上げていくために重要なことが一つある。

それは自分の取り組んでいることや自分の状況、自分の状態、自分の活動内容を、できうる限り関係する仲間に共有すること。つまり情報発信を無駄だと思えるくらいにすること。

自分の情報を常に発信することで、過去に同様の経験している人がサポートしてくれたり、情報を提供してくれたり。

また常にお互いがお互いの状況をなんとなくでも把握することで、チームとして補完しやすかったり、といろんなメリットがあるもの。

一方で多くの組織では自分の仕事は自分の中で完結させたいという思考に陥りがち。
横槍を入れられたくない、ダメ出しされたくない、ミスしてもバレたくない、どうせ意味ない、など、旧態依然とした組織で働くゆえのいろんな防御本能が働いた結果なのだろう。


よくフラットな組織はいいよね、と言われるものの、実はフラットな組織でパフォーマンスを上げるためには、組織風土の構築、採用する人材へのこだわり、社内の価値観の統一など、かなりこだわる必要があり、一朝一夕にはいかないもの。

逆に無理にフラットにすると組織やチームとして全くワークしなくなり、パフォーマンスがだだ下がりになったり。。。。


アトラエとしては知識産業が中心となる次世代の新たな組織のあり方として、従業員の知恵を最大化するフラットで自由闊達な組織のあり方を今後も模索していきます。

売上をもっとあげたい、経営者なら誰もがそう思っているだろう。
かくいう私も勿論今の売上に満足しているわけもないのだが。

その一方で組織のリーダーとして「売上を上げろ」という指示を出すのは、私の感覚からすると明らかに組織をダメにするミスリードの典型だと思っている。

売上を上げる、利益を増やす、みたいなことを事業運営・組織運営の目標とすると、事業やサービスを通して顧客に価値を提供するという最も大事なマインドが次第に薄れていくものである。

売上を上げるためには顧客に提供する付加価値を高めるか、もっとも多くの顧客に価値を届けるか、ということでしかないわけで、リーダーとしてはそういうメッセージを出すことによって、顧客に価値のない売上なんてありえない、今よりももっと顧客に価値を届けることに力を尽くせというニュアンスが組織全体に伝わり、風土やカルチャーを醸成することにつながる。


多くの組織で目標とされがちな売上や利益だが、その数値の持つ本質的な意味や、その数値を実現するためのプロセスへの拘り、何故それだけの数値を目標にしているのか、それらのストーリーを関わるメンバーにしっかりと理解、腹落ちさせられているかどうかこそが、リーダーとしての重要な役割だろうと思う。

誰も売上を上げたくないなんて社員はいない。
でも一方で売上をあげるために働きたいと思う社員なんていない。

日本経済が右肩上がりで成長しなくなった現在においては、単に経済的な条件だけで優秀な人を惹き付けることはできなくなっている。人材の流動化が高まり、より知識産業化が進む世の中において、組織は今まで以上に人を採用し、育成し、定着化させることに力を費やす必要がある。人や組織こそが、競争の源泉であり、唯一無二の武器となりうるのだと考える。

そんな時代においては、従来のピラミッド形の出世を前提とした組織体系にそれほど大きな価値も意味もなく、年功序列に至ってはもはや弊害しか生まない。老若男女、あらゆる人の知恵を活かし最大化できる組織こそが競争優位に立つ時代。

まさに組織理論は次の世代に突入せざるを得ない状況を迎えていることをひしひしと感じる今日この頃である。

若い社員と仕事をしている中で、仕事の進め方や意識の仕方という観点から、大きく2つのタイプに分かれることが最近わかってきた。

1つは完全に下っ端として事務作業やスケジュール調整や印刷などを徹底してこなし、何か考えるべきことや判断すべきことがあれば、常に「どういたしましょうか?」「どうすればいいですか?」と聞いてくれるタイプ。

もう1つは、すべての事柄に対して自分で考え、自分で判断・意思決定をした上で、「こう考えたのでこう進めようと思いますが、それで問題ないでしょうか?」「こうやりますけどいいですよね?」と自分なりの判断・意思決定をした結果を報告・連絡・相談にくるタイプ。


前者は恐らく、門前の小僧なのに経を読めるようにならないパターン。
後者はかなり近いうちに、経を読めるようになるパターン。

つまるところ丁稚奉公だけをいくらしても仕事ができるようになんてならんということ。
先輩や上司の仕事をどんどん盗んでいき、変わりにやってしまうことが大事。
大事なのは、そのリスクまで自分でとって勝手に進めてしまうと事故る可能性が高いのと、とはいえ会社組織としての意思決定プロセスを無視することとなり、ただの暴走野郎になってしまうということ。意思決定や判断を自分なりに最後の砦としての意識をもった上で行い、その結果をもって先輩や上司に報告・連絡・相談をすることを繰り返すことで、自分の判断軸のズレなども理解できるし、意思決定の責任を無駄に背負うことなく仕事を進めることができる。

相談にくるものくるものが「いいね」「進めて」「その通り」という内容になると、いよいよ「もうお前の判断に任せるよ」という日はかなり近づくわけで、いよいよこちとらライバルとしてうかうかしていられなくなるもの。

考えろ、と言われて考えるのではなく、自ら率先して「自分なら」「自分が責任者の立場だったら」「自分が経営者だったら」と考えることで、視点が高まり、圧倒的な修羅場経験を積むことができる。しかもその答え合わせまでできるのであれば、そんな最高の修羅場経験はない。

優秀な先輩や上司とプロジェクトを組むということはそれほどに大きなチャンスだということをどれだけの若手が認識しているだろうか。

多くの人は「口うるさく言われてやりづらい」とか「全然自分の意見を通してもらえない」「厳しすぎる」などと平々凡々なサラリーマンの言い訳みたいなものに逃げ道を求めてしまっていないだろうか。

やるなら上司や先輩を追い越すくらいの気持ちでやることが大事。

成長の機会なんて組織にいれば働き方一つ、意識の持ち方一つを変えるだけでゴマンとある。

若手社員には是非ともお人好しの丁稚奉公ではなく、向上心をもったライバルになってもらいたいものである。

最近会社員の副業についてFacebook上でもいろいろと話題になっている。
いくつかの会社は副業OKと宣言することで、先進的な働き方ができることを打ち出していたりするものの、組織へのロイヤリティや不公平感が生まれることを嫌い、副業は基本NGとしている会社がまだまだ大半だろうとは思う。

取締役はOKで、従業員はNGという会社も多いはず。
会社の就業規則というのはそもそも従業員向けのものなので、就業規則が副業NGとあれば、従業員は副業NGとなり、取締役はその制約を一切受けない。

最近働き方が多様化してきていることによって生まれてきた問題なのだろう。
個人が情報発信できる時代になってきたことで、個人でいろんな副収入を得ることが、以前とくらべてやりやすくなったということもある。
技術者などはフリーでも稼げたり、夜働くことで副収入を得ている若い女性もいたり、AirBnBなどによって不労所得を得ているなど、副業と一言でいっても多種多様である。


会社経営者の立場としては、なかなか副業OKと声高に言いづらいのが正直なところだろうが、一方で隠して働いている人が多いのも事実なので、認めることでより信頼し合える関係を築こうというのが、副業OKとしている経営者達の発想なのだろう。


ではアトラエとしてはどう考えるべきか。
以前より幾度と無く議論をしてきたが、結論としてはルールは設ける必要はないと考えている。

唯一思うのは、今よりもお金を稼ぐために時間を切り売りするような副業はやめて欲しい、と。
本業をおろそかにしたり、誰が聞いてもダサいこと、かっこ悪いこと、会社組織や仲間に対して後ろめたいことはやるべきではないと思っているし、そういう社員はアトラエにはいないと信じている。

逆に知人に結婚式の映像制作をお願いされて手伝ったら数万円の報酬をもらったとしても、そんなの別にどうでもいいと思う。講演したら車代をもらってしまったとかも全然いいと思う。

本来会社の売上に計上できるような仕事や、アトラエで培ったノウハウや情報を他社に流すことでお金を得たりするような輩は間違ってもうちにはいない。


副業OKと声高に叫ぶのも少し微妙かなと思うし、一方で全ての副収入をNGとすることで、上記のようなちょっとした友人の手助けや、ビジネスパーソンとして価値ある機会さえも失うようであれば、それも何かおかしな話しだと思う。

人として常識的な範囲で、倫理観や道徳観をもって判断できればそれでいいのではないだろうか。
もしアトラエの社員で判断に迷うようなケースがあれば、是非直接聞きに来てくれればいいと思う。

組織は人の集合体。経営陣や従業員という概念を超えて、一人ひとりがお互いを信頼しあうためにも、ルールで縛るのではなく、共通の価値観や倫理観によってかっこいい働き方を実現する組織でありたいものである。

外資金融は給与が高いがクビになるリスクや容赦ないハードワークが求められる。コンサルティングファームは給与はまずまずでクビになるリスクを考慮すると、ミドルリスクミドルリターンか。成長ベンチャーは当初の給与は安いが株式や成長性を考慮すると結構アップサイドもあるかも。。。


こんなことを考えながら就職先を検討している学生は結構多いのではないだろうか。
自分が賢いと思い込んでいて(失礼ながらw)、学歴的にも選択肢が多いタイプの学生が考えがちな思考プロセスである。恐らく判断軸は、やりがいと経済条件のバランスが良く充実したビジネス人生を送ること、もしくは生涯賃金が最も高い選択肢を選ぶこと、あたりではないだろうか。

結論から言えば上記イメージについてはそれほど間違っていないように思う。
一方でこういう思考プロセスのタイプの人が、なかなか成功しないのも事実で、そこには大きな勘違いがある。


話しは少し脱線するが、宮里藍や石川遼が出てきた時、親達はこぞって子供にゴルフをやらせ、錦織圭が出てきたら今度はテニスを習う子供が増えるという現象が起きる。まあ勿論スター選手に憧れてスポーツを始めることは決して悪くない。ただもしゴルフをやれば儲かるかもしれない、テニスは結構稼げるみたいだ、と思ってやらせようとするのであれば(極めて一部の親達だけだろうが)、それは大きな間違いであろう。

彼らは人数倍もの練習や努力を重ねてきた結果として世界レベルのトッププレイヤーとなり、今がある。同じスポーツをやっている多くの人の中でも成功者である。どのスポーツを選んだかはあまり関係なく(ネガティブリストはあるだろうが)、どちらかといえば、その世界でトッププレイヤーになれるかどうか、が大事だったりする。


話を戻そう。

私も周りには外資金融で成功している人もいる。弁護士として成功している人もいる。そして勿論ベンチャー企業でイキイキと働きながら資産を築いた人達も沢山いる。

しかしその逆もいる。外資金融に就職しながらも全く性に合わずに転々としてしまっている人もいるし、司法試験に合格しながらも弁護士としてうだつがあがらない人、ベンチャー企業に飛び込んだものの、単なる一般的なサラリーマンと同じような日々を送っている人もいる。それどころかそういう人達の方が、成功している人達よりも多い。


結論として道を選ぶ時点で未来が確約されるような世の中ではないということ。
選ぶべきではない選択肢は存在するだろうが、どの道を選んだらどうなるかということは誰にもわからない。大事なのは、選んだ道を正解にするだけの努力や取り組みができるかどうかなのだと思う。

人と違う道を進むのは時に不安もあるかもしれない。
私は28歳で起業したが、35歳くらいまでの間は本当に貧乏だった。サラリーマン時代の方がゆとりがあったくらいで、友人と飲みに行くときも奢ってもらったり、安い居酒屋で集まったりしてもらいながら、何とかやっていた。それでもビジネスはめっちゃ楽しくて、毎日が充実していたのを覚えている。
寝る時間を削り、週末も含めて本当に文字通り死ぬほど働いてきた。貧乏暇なしとはこのことか、などと意味ないことを考えながら働いていたことを覚えているw


脱線ばかりしているが、何が言いたいかというと、スポーツでもビジネスでもどの道を選ぶかだけでは一流にはなりえない。選んだその道において誰よりも努力をし、価値を創造することができない限りは、充実したビジネスライフは送れない。

ベンチャー入ったら一流になれるなんて嘘じゃんか。

そんな風に思っている新入社員も結構いると思うが、誰もそんなことは言っていない。自分次第でその可能性や機会が多分に存在するというだけである。そのあたりを勘違いすると、本当に隣の芝は青い症候群になり、転々と勝ち馬を探しながら生きていくだけで市場価値の低い人材で終わってしまう。


先日大学時代の友人たちと久方ぶりに集まって語らったが、改めて凄い奴らだと思った。弁護士としてトッププレイヤーとして活躍していたり、外資金融で活躍して都内に家を持っていたり、広告代理店で世界を飛び回りながら活躍していたり、ニューヨークで働いていたり、、、、、

私も彼らに負けないくらいベンチャー経営者として活き活きと働いてきたし、今も働いている自信もあるが、やはり彼らから多くの刺激を受けてきたことも影響しているように思う。お互い違う道を選んだものの、彼らと会った時に恥ずかしいような働き方はしたくないと。

お金があるとか、給与がどう、ということではない。
胸を張って夢を語れるか、堂々と自分のやっていることを自分の言葉で語れるか、彼らから尊敬してもらえるような働き方ができているかという意味で。


最後に、どんな道を選んだとしても、20代、30代の体力があり自由な時間が多い時に本気で努力して本気で力をつけないと、何者にもなれない。週末や金曜日の夜くらいしか楽しみのない、憂鬱なサラリーマンでいいならいいかもしれないが、ビジネスリーダーとして社会に価値ある何かを残したい、他人よりも充実したビジネスライフを送りたい、そう考えるのであれば、やはり他人よりも努力をする以外に道はない。

努力した人が皆成功しているわけではないが、成功している人は皆人の数倍の努力をしてきている。

改めて道を選ぶ時はどんなに大変でも自分が人一倍頑張り抜けると思える道を選ぶことをお薦めする。

ちょっと株式上場後のドタバタにより、久しぶりのエントリーになっちゃいました(^_^;)

ビジネスをやっている人を大雑把に2つに分けるのであれば、視点の高い経営リーダー的人材と、いわゆる視点の低いサラリーマン的人材に分類されるような気がしている。

我々のような小規模な成長ベンチャー組織を選択する人達は、当然ながら前者をイメージして、前者になりたくて入ってくるわけだが、必ずしも経営リーダー型ばかりかといえば、そうでもないケースはある話し。


一番の違いが能力だと考えている人が多いかもしれないが、実は能力は二の次だと思う。
最も重要な要素は、エネルギーや意識の方向性、つまり矢印が内向きか外向きか、それこそが大きな分岐点になっているのではないだろうか。

つまるところ、自分に意識が向いている人と、自分以外の外に向いている人ということ。

自分に意識が向いている状態というのは、自分の評価や給与、仕事内容、成長、市場価値みたいなことにばかりを意識して仕事をしている人。

自分以外に向いている状態というのは、顧客への提供価値や組織としての成長、成果の向上などを意識しながら仕事に取り組めている人。


この差はかなり大きい。


自分に矢印が向いていると、常に不安だし、常に外部からの評価でしか自信や満足が得られなくなってしまう。これはどんな組織に属しても極めて不安定で本質的に価値があることや信ずる道を進む上では大きな足かせになってしまう。何せ評価されたいから、評価してくれる人を自分も慕うようになり、評価されないことはやりたくなくなっていく。それがどんなに真に価値があると思ったとしても。

そして常に他人との比較の中で生きていくことになるため、常に満足度は低いし、何かあるとすぐにモチベーションが下がりやすい。


一方で外向きの矢印を持つと、社内での評価や出世よりも、生み出している価値や成果や貢献といったことと向き合いながら仕事をすることになる。これは実は極めて重要で、会社組織というのは社外に対して価値を創造するために人が集まってチームを組んだものである以上、社外に対してどんな価値を創造し、どんな成果を生み出すか、でしか評価されない。


わかりやすい例でいえば、自分の評価が組織としての評価よりも重要なタイプはかなり厳しい。
サッカーでいえば、自分が点を取って翌日の誌面で評価されていれば、最悪チームが負けていてもいいと考えるタイプの人。

大事なのはチームとして勝つことにフォーカスし、そこに向き合う中で、その勝ちにどれだけ貢献できるかを真剣に考えぬいてプレイすること。こういう人こそが真に強いリーダーであり、プレイヤーなのだと常に思う。

向上心や負けん気は多いに結構だが、矢印の向きを間違えると、その意欲が単なる出世競争や他人との評価の差や経済格差に対する固執やストレスにつながり、バッドスパイラルに陥る。

誰もが一度は経験する道なのだとは思うが。。。。


そんな時にはこの人のこの言葉が刺さる。


下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ。
小林一三


自分が今任せられていることややるべきだと思うことを本気で楽しみ、周囲の期待を超えたパフォーマンスを出すができれば、ほっておいても自分の信頼や信用力を高める結果となり、より自分のやりたいことによって組織に貢献する機会を得ることができるはず。

上場企業として多くの株主の目に晒されるわけだが、その評価に一喜一憂することなく、我々が生み出す社会に対する価値を少しでも大きくしていくことに集中して取り組んでいこうと思う今日この頃。

6月15日にとうとうアトラエはマザーズ上場企業の仲間入りを果たしました!

創業から13年という長い道のりを経て、やっとスタートラインに立つことが出来たというのが正直な気持ちです。設立以来、周囲の起業家仲間が順調に会社を伸ばして、次々に上場していく中で、自分は同じ土俵にさえ立つことができないで時間ばかりが経過することをもどかしく思ったものです。

13年もかかったものの、それによる強みもあろうと思っています。(負け惜しみみたいですがw)
リーマン・ショックも乗り越え、創業からこだわってきた組織作り、カルチャー作りを一切妥協することなくやり続けてきた上での上場ということで、本質的な組織としての土台はかなり強固なものがあると自負しています。


株主の皆さんとは駆け引きをする関係ではなく、自分達の考えや組織・事業についてしっかりと知って頂き、応援して頂くことが大事なのだろうと認識しています。事業ですので勿論短期的にはうまくいかないこともあるでしょうし、挑戦すれば失敗もあると思っています。それでも誠実にちゃんとコミュニケーションをとっていくことで、少なくとも一部の株主はファンとして応援してくださるものと思っている次第です。

何にせよ、この半年は本当に土日もなく仕事ばかりだったこともあり、今は少しだけホッとしているというのが正直なところです。

勿論ここからより重い責任を背負って経営していくわけですが、プレッシャーが高まれば高まるほどに、やりがいや挑戦心を感じるタイプなので、自分ではそれほど心配してません。次のまま、今の仲間達とやっていけば、間違いなくこの会社は伸ばしていける、そう思ってます。


最後に、お花や贈答品のとんでもない量や、多くの経営者仲間からのお祝いのコメントや会食のお誘い、本当に自分達は多くの人達に支えられて、応援頂いて、今があるのだと改めて実感しています。

Atraeという言葉にもあるように、人々を魅了する会社であり続けられるよう、社員共々全力で取り組んでまいりますので、引き続きよろしくお願い致します。

上場後初のブログ更新ということで、極めてつまらない、無難な内容ですが、お許しをw

しかし証券コード6194、この響き、なんだか嬉しい♪♪

この2ヶ月くらい、新聞各紙では幾度となく就職人気ランキング企業などを掲載してきた。
それを見るたびに複雑な気持ちになる。

とにもかくにも大きな会社で直近の業績が良い会社が列挙されているだけに見えるからである。もしくは前年度の平均賞与額の実績や、最近の平均給与などを見て、学生が選んでいるのではないかと思うくらいである。

そこからSHARP、東芝、三菱自動車などだけはすっぽりと名前が消えていたり、でもJALやSONYは再び人気企業になっていたり、商社は昨今の赤字発表のせいか順位が大幅に落ちていたり。。。。


日本の未来の経済を背負っていく若者達の社会への第一歩となる選択が本当にこんなんで大丈夫なのだろうかと心配になる。


一方で先日の日経新聞には米コロンビア大学の卒業生の就職先についての記事が出ていた。
内容としては、従来コロンビア大学卒業生の主たる就職先であった金融や政府機関への就職者が近年大幅に減少し、その多くがIT・インターネット領域の成長企業を選択する傾向が強くなってきているとのこと。コロンビア大学でそうなら、スタンフォード大学やマサチューセッツ工科大などであれば、もうとっくにそうなっていることだろう。

自分が働く業界がITやインターネットだから、そこがいいと言いたいわけではない。

明らかに学生が働き先を選ぶということにおいて、思考停止になっていることが危険だと思っている。


日本は豊かな国だと思われているだろうし、生涯安泰だと思っている人も多いだろう。
勿論現時点でGDPレベルは中国に抜かれたとはいえ世界3位の経済大国ではある。

しかしながら国民1人当りのGDPということでいえば、もはや20位以内にさえ入れないような国であることを多くの学生は知らないのではないだろうか。つまるところ1億人以上の人口がいるからこれだけのGDPを維持しているが、実際に国民1人当りでいえば、もはや韓国と同じかそれよりも低いくらいの経済レベルであるということである。

そういう現状において、多くの若く優秀な学生1人1人がレガシーな組織の中で、マニュアライズされた仕事を何十年もこなすような仕事を選ぼうとしているのだから、極めて不思議でならないし、思考停止だとしか思えない。

改めて情報が多い世の中だからこそ、自らその情報を集め、ちゃんと考え、判断する力をつけていかないといけないと思う。

日本という国やそこに存在するだけの会社という存在が自分の未来を守ってくれるという考えはもはや幻想に過ぎないのだから。

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