麻布十番で働くCEOのBlog(旧・南麻布で働く社長のblog)

成功報酬型求人メディアGreenの運営や、インターネットサービスの企画・開発を行う株式会社アトラエの社長のblogです。

2013年11月

弊社でもいよいよ2015年4月入社予定の新卒採用活動が少しづつ熱気を帯びてきている。

この時期から学生が就職活動をスタートすること自体が良いのか悪いのか、また全学生が卒業と同時に一斉に新卒入社する日本独特のリクルートスタイルについても賛否あるのではないかと思う。リクルートが担ってきた日本式就職活動スタイルの確立においては功罪あろうと感じる。

それについては置いておき、私自身直接学生と話しをすることが多いが、毎年毎年感じるのはまだ気付かないのか、そろそろ気付いてもいいんじゃないかという気持ち。


業界には成長途上にある業界と、成熟から衰退期に入りつつある業界が存在する。
勿論一概に全ての業界がそのライフサイクルにあてはまるわけではないものの、事業会社が戦う市場の多くは、一定ライフサイクル理論に則っているように思う。

そのときに、成長業界と成熟業界のどちらに若く有能な人材の未来が、機会が存在するのだろうか。
スポーツ選手で言えば、若いうちから実力や意欲次第で試合に沢山出れるチームと、一定の修行期間を経過しない限りどれだけ実力があっても意欲があっても試合には出してもらえないチームであれば、どちらが成長できるかは明白。


日本のここ数年の就職人気ランキングを見ると正直心からがっかりする。
ほとんど上位は成熟業界ばかりで、下手したら衰退業界さえも入っている。
逆に言えば成長業界はほんの一握りしかランキングされない。

東大や早大、慶大といった偏差値としては一流レベルの学生さえも、世の中や市場の本質を見抜けない。もしくは見抜いていても不安で大多数と同じ選択しか取れないのでは、日本は終わりだろう。

この原因は何か。

間違いなく終身雇用という制度にある。
終身雇用が良い悪いでいえば、良いところも沢山あるし、私自身も自分は社員を終身雇用したいという価値観を持つ経営者でもある。
一方で終身雇用だったが故に、就職活動において内定をもらったその時点で人生の生涯賃金や社会における「格」のようなものが決まってしまうという時代が長く続いた。確かにその時代であれば最も生涯賃金が高く、仕事が比較的楽しそうな会社を選ぼうと思うのも仕方ない。すなわち大学における偏差値が、企業における生涯賃金みたいな位置づけとなり、たった一つの軸による会社の序列が出来上がってしまっていたように思う。

その結果として日本の大卒のホワイトカラー市場だけが、適切な市場原理が働かなかったのだろう。

一方、昨今は日本においても終身雇用が崩壊していること、今後維持することは不可能であることは今更説明するまでもないはず。
つまり終身雇用でないということは、今まで市場原理を逸脱していたホワイトカラー市場も市場原理に晒される時代に突入してきているということに他ならない。

事実、ずっと市場原理に晒されてきた米国における大学生や大学院生の人気就職先は時代ごとに変化し続けている。その中心にあるのは成長業界であり、それは自らにとって豊富な成長機会を得ることや、時代の最先端の業界に飛び込むことで自らに特有のスキルや経験、人脈を身につけようという意志の現れであり、まさに変化の激しい市場原理の中で生き抜くために考え抜いた選択なのだろうと思う。


これからの日本は終身雇用からの脱却が求められる。

山一証券の倒産から始まり、都銀の相次ぐ合併、大手メーカーの時価総額の低迷と赤字化やリストラなどは序章に過ぎないのではないか。更にそこに乗り込んで来るグロバリゼーションの波。事実インターネット業界や金融業界のみならずメーカーもグローバル企業との熾烈な競争が展開されている。

そんな時代の中で会社組織という箱に依存することで安定が得られるわけはない。
安定した組織を築く経営手段はゼロではないかもしれないが、安定した個人になるためには、何よりも市場原理の中で必要とされる人材に自らがなっていく以外に道はない。

市場原理の中で必要とされる力や経験を身につけるにはどういう業界に飛び込むべきなのか。
そこから先は是非とも学生自ら真剣に考えてみてもらいたい。
わかっていても周囲の多くの人が選ぶ道と違う道を選ぶ不安感やリスク感を感じてしまい、尻込みしてしまう学生もいると思う。これは日本特有の村社会に根付く感覚なのかもしれない。
本来ユニークであればあるほど市場価値は高いはずなのに、人と同じことを良しとする傾向が拭えないまま現代に至っているように思う。

私自身も最近海外への出張や視察を意図的に増やしているが、どの国に行っても思うことがある。
それは、日本人は十分に世界でも戦える素養や文化を有しているということ。
ただしそのためには気持ちや考え方を少しだけ変えないといけない。

我々大人がもっともっと本質を見抜いてアドバイスしてあげる必要がある。

大企業のサラリーマンとして高度経済成長を経験し充実した人生を歩み、ここまでの日本を牽引してきた大人達が、これから市場原理に晒される時代を生き抜く若者に対して、過去の経験談やポジショントークしか伝えていけないようではいけないのではないか。時代は明らかに変わっている。時代の変化を見極めた適切なアドバイスができない、という今のような状況のままでは日本は沈んでいってしまう。

教育を変えるべきだという人も多い。私も長期的には国力を上げるためにも大事だと思う。
但し短期的に見れば、親、先輩、教師といった若者にアドバイスをする立場の人達がもっと今の時代を理解し、適切なアドバイスをしていくことが大事なのではないだろうか。

7年前に世界で初めて成果課金型の求人メディアGreenを立ち上げた時、周囲の人材ビジネス界隈の方々の反応は2つの意味でかなり厳しいものだった。

1つはビジネスモデルとして難易度が高く絶対にうまくいかないという類いのもの。
もう1つは人材紹介市場におけるダンピングだという批判の類いのもの。

それから6年が経過した昨年末、またしても世界で初めてのビジネスモデルであるJobShareを立ち上げるに至った。

いつの時代も世の中にない新しいビジネスモデルを成立させることは極めて難しいこと。
ただ儲けるためであれば二番煎じや三番煎じで、なおかつ複数企業が生き残れるような事業モデルを選択するのが賢いと思う。

それでもGreenの立ち上げ時に散々それを経験した弊社が、新たにJobShareを立ち上げようとする背景について少し共有させてもらいたい。


まず我々がインターネット企業でありながら、Human Resourceのサービスを立ち上げる根本的な想いとして「世の中で働くことを楽しんでいる人が少なすぎる」という感覚がある。

少し前に書いたニューヨーク旅行記でも少し触れたが、東京は明らかに閉塞感が強い印象がある。もっと自由にもっと自分の熱中できる仕事に、より多くの人が就くべきだと思うし、就けると思う。

そんな想いを実現する一つの解決策が「採用」を変えることだと思っています。

JobShareは「採用」をあるべき姿に変えるために立ち上げ、既に500社以上の企業に活用頂いている。

JobShareの仕組みは、採用企業の社員やその友達を中心に求人情報をSNS上にシェアし、さらにその周りのファンがシェアしていくことで、人のつながりを通じて求人情報が流通し、その結果採用企業が求める人材と出会うことができるというもの。


この仕組みにより、今までのように知名度が高い会社や採用予算が多い会社が採用しやすい仕組みではなく、社員やその周りの友達などにファンが多ければ多い会社ほど、採用しやすくなるという新しい流れを作ることができるはずだと考えている。


また別の角度から見れば、情報流通チャネルにおける信憑性の差を活用したサービスともいえる。

飲食店を探す時に、

^食店による広告を中心としたメディアから得る情報
⊃べログのような集合知を中心としたメディアから得る情報
自分の信頼する友人から得る情報

 祗◆祗という順に信頼性や信憑性が高まるのは明白。

時事情報についても最近はテレビや新聞といったマスメディア以上に、ソーシャルメディアなどから得る情報の方が即時性も信憑性も高かいことは、福島の原発の件でも明らかになったばかりであろう。

JobShareはまさに求人情報を中心とした企業の発信情報を、社員や友人による共感を動機としてソーシャルメディアを活用して多くの人々に届けることができるプラットフォームとも言えるかもしれない。


ちなみに現在JobShareでは、設立3年未満のスタートアップ企業に対して完全無料で全機能を提供している。これも日本のスタートアップを心底応援したいというベースの想いから取り組ませてもらっている。

まだまだサービス立ち上げから1年、試行錯誤、改良改修の日々ではあるが、着実に価値が提供できるようになりつつある。

是非とも多くの企業に使って頂き、より安価により良い人材を採用できる時代を築いていきたい。

ちなみにJobShare掲載に関するお問い合わせは以下より!!(オンラインでセルフに利用を開始することもできます)

JobShare掲載お問い合わせ 

最近思う。

経営者である以上、株主からも社員からも顧客からも一定の期待と責任を背負っているわけで、責任感や義務感で「やらなければ」という感覚やプレッシャーを感じることは往々にしてあるのが一般的。

もっと早く成長させないと、もっと大きなビジョンを描かないと、もっと成功確度の高い戦略を描かないと、もっと自分が一流のビジネスパーソンにならないと、、、、などなど。


ただ経営者という役割を担って合計14年目を迎えたからか、最近はもう少し肩の力が抜けてきたように感じる。

その上で少しづつ強まってきているのは、「もっと大きくしたい」「もっと社会に価値ある会社にしたい」「もっと楽しく働きたい」「もっと社員が仕事を楽しめる会社にしたい」「世界という市場で戦いたい」という感情というか想い。


そして「やらなければ」という責任感や義務感よりも、「やりたい」「やってやろう」という想いの方が全然健全だし、頭も断然冴えてクリエイティブに回転するから面白い。

やはり人は「やりたいこと」「興味のあること」「楽しいと思えること」に人生の時間を投資すべきなのかもしれない。もしくは「求められていること」や「やるべきこと」を「やりたいこと」や「楽しいと思えること」にどう変えていくか、という能力や意識が持てればベストなのかもしれない。


好きこそものの上手なれ

古く言い伝えられて残っている言葉というのは本質をついているものが多いな。

昨日の夜、7日間のニューヨーク旅行から帰国した。

みんなからは何故か驚かれるが、実は今回が初めてのニューヨーク。
いろんな意味で気付きや学び、そして影響を受けた7日間だった。

基本的には観光というよりも、マンハッタンの街中を隅から隅まで歩き回り、生活風景や人間観察をしながら自分もできるだけニューヨーカーと近しい生活を意識しながら毎日を過ごしていた。

何より今回の目的は観光ではなくニューヨークという街とそこでの生活や人々を知りたいということだったこともあったので。

多くの気付きというか発見があり、影響も受けたものの、まだうまく整理できていない上に文字で上手に伝えられる自信がないので少し端折って、大きな要素だけ書いてみようと思う。

・シンガポール、香港などと比べても類を見ないほどの多民族都市であった
・多様な文化、価値観、宗教、生活、感性が混在している
・NYは閉塞感のない自由な雰囲気がある一方で、東京は極めて閉塞感が強いと感じざるを得ない
・東京の方が都市という意味での開発は進んでいるし清潔感も高い
・ビジネスとしては金融、不動産、エンターテイメントくらいしか目立っていない印象を受けた
・東京よりも夢を持って生きている人が多い印象

他にもあるがこんな感じだろうか。多少感覚的だったり、思い込みも入っているかもしれない。
またビジネスに関しては街中における印象、つまりビルのロゴや働く人々の雰囲気からの判断なので、IT系企業やベンチャー企業も存在しているのかもしれない。。。

しかし私には感じられなかった。

上記は全てが微妙に関係しあっているのだが、何より大きいのは閉塞感がほとんどないこと。
いろんな民族が生活しているがゆえに、いろんな価値観が存在することが当然で、東京(日本)のように一つの軸や価値観による排他意識が全くないことが一番の要因なのではないだろうか。

実際、真冬に半袖だろうがビーサンだろうが、大企業で働こうが、路上でミュージシャンをやってようが、サラリーマンだろうがアーティストだろうが、年収も年齢も、宗教も全く人それぞれで、お互いを認め合う、もしくはお互いを気にしないような空気が存在している。

例えば日本で、三菱商事とI&G Partnersのどちらが良い会社かと質問すれば、99%の人は同じ回答をする。しかしニューヨークで同じ質問をしたら「良い会社というのは売上か?それとも社会貢献か?」となるだろう。人によって何が良いかは異なる、というのが多民族ゆえの常識となっている。


そんな中でインターネットビジネスのヒントも得た気がしている。

一つは多民族で多様な価値観や生活スタイルが存在するからこそ、大きく流行るサービスは至ってシンプルであるということ。シンプルに本質的なニーズを満たすサービスは人間や組織に共通しがち。それであれば多民族な市場でも支持されやすい。

アメリカ発のサービスが世界で支持されやすいのも、既に米国内が多民族ゆえに、極めてシンプルに人間や組織の本質的ニーズを満たすサービスを創ることが根本にあるのではないかと感じる。アメリカで受け入れられるものは、グローバルにも受け入れられる可能性が高いのもうなずける。


まとまりがなくなってきたのでそろそろ終わらせようw

何にせよもっと日本の閉塞感をなくし、自由な国にしていかないと明るい未来はない。
行く前の印象と違って、東京はニューヨーク以上に完成度の高い世界有数の都市ではないかと思う。
それなのに自分達で息苦しくしてしまっているような印象さえある。

もっといろんな生き方があっていい。お互いを妬むことなく、比較することなく、尊重し合い、応援し合いながら、自らの幸せに向かって何度でも挑戦し続けられるようになれば、東京は世界No1都市にだってなれるかもしれない。

百聞は一見に如かず、まさにその通りだった。

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