世の中の多くの人は、組織に属しチームとしてパフォーマンスを出すことを期待されている。
でもチームで働く、チームでパフォーマンスを出すというのは結構難しい。
1+1+1=3
になればまだいい方で、これが2やヘタしたら1になってしまうようなチームもあるのではないか。
個々は優秀でも少し歯車が狂えばチームとしてのパフォーマンスは出ない、なんてことはよくある。
何がポイントか。
一般的に良く言われるのは、
・ゴールやビジョンの共有
・全員の参加意識と高いコミットメント
・情報の共有や闊達なコミュニケーション
みたいなこと。もちろんすべて大事。
でも私が長年チームとしてパフォーマンスを出そうと試行錯誤してきて、一番働きやすかったり、最もパフォーマンスが出しやすいと感じるポイントは人として信頼関係を構築できるということ。
もっと言えば組織としての最終意思決定に対して、意思決定プロセスにおいては全力で議論したり反論したりしても、最終決定された道筋に対しては全員が責任をもって自分の意思決定として受け入れることができるかどうかなどがまさにそう。
根本における仲間同士の信頼関係なくしてはそれはできない。
組織である以上は全員一致で物事が決まることの方が少ないわけで、もちろん自分の本意ではない意思決定がくだされることもありえるだろう。そのことに対してずっと影で愚痴を言っていたり、うまくいかなかったときに「ほら言ったことか、あっちの方が正しかった」と振り返るようではチームプレイヤーとしては望ましくない。
でもこれ、実は結構難しい。
現に私も前職で会社勤めをしていた時代にはしょっちゅう経営陣の判断に文句を言いまくっていた記憶がある。。。orz
ベンチャー企業では朝令暮改なことも多く、社員は振り回されやすい。
ただその機動性や俊敏性がベンチャー企業の強みであり、積極的に軌道修正はしていった方がいいと思っているし、朝決めたことでも違うとわかれば変なプライドは捨ててでもすぐに変えるべきだと思う。
だからこそ私と社員の間の日常からの信頼関係は凄く大切で、それがあるから一言えば十を理解してくれるのだと思う。
またうちみたいなフラットな組織であれば、私が全て決断しているわけでもないので、私自身もチームの一員であることを強く意識しなければいけない。
私と社員の意見が食い違って、総合的に考えて社員の意見を尊重して失敗するようなケースも当然ありうる。
そういう時にどうしても「だから言っただろ」と口に出かかってしまうが、総合的に考えてそっちの道を選んだ時点で私も仲間であり、結果は結果としてポジティブに受け止めて前に進むことが大事。なのにいざ失敗を目にすると過去の自分の意見の正しさが証明されたかのよう気持ちに陥りがちなので気をつけないといけない。
うちの社員が昨日のBlogでこんなことを書いていた。
決めた判断については誰も不満や、ああしとけばよかったという事を言わず、常に前に意識が向いていたことはとても大切なことだったなと。
要は社員同士でスノボのために雪山に向かったものの、道中におけるいくつかの判断ミス(本人達はミスだと認めてないが、、、)により大変な事態に陥っていたときの話である。結構なトラブル状態にも関わらず全員口をそろえて「学びがあった」「楽しかった」「いい経験になった」「彼(彼女)はなかなかすごい活躍だった」などとみんな超前向き。こういう時にチームプレイヤーとしての真価が問われるのかもしれない。ある意味究極のアクティビティ経験かも。
ちなみに弊社では新卒採用における一次選考ではグループワークを導入しており、4〜6人を1チームとして、協力しあわなければ成果を出せないようなワークに挑戦してもらい、その人の能力を見極めるようなことをやっている。
それはまさに上記のようないかなる状態でも、いかなるメンバーであっても、チームとしてのパフォーマンスの最大化を第一義として最大限努力ができるかどうかという点を総合的に見させてもらっている。おかげで2015年も最高のチームプレイヤー達がすでに6人も採用できている。
組織がいかに拡大したとしても、常にチームとして1+1+1が3よりも大きくなるようなチームでありつづけたいものである。
でもチームで働く、チームでパフォーマンスを出すというのは結構難しい。
1+1+1=3
になればまだいい方で、これが2やヘタしたら1になってしまうようなチームもあるのではないか。
個々は優秀でも少し歯車が狂えばチームとしてのパフォーマンスは出ない、なんてことはよくある。
何がポイントか。
一般的に良く言われるのは、
・ゴールやビジョンの共有
・全員の参加意識と高いコミットメント
・情報の共有や闊達なコミュニケーション
みたいなこと。もちろんすべて大事。
でも私が長年チームとしてパフォーマンスを出そうと試行錯誤してきて、一番働きやすかったり、最もパフォーマンスが出しやすいと感じるポイントは人として信頼関係を構築できるということ。
もっと言えば組織としての最終意思決定に対して、意思決定プロセスにおいては全力で議論したり反論したりしても、最終決定された道筋に対しては全員が責任をもって自分の意思決定として受け入れることができるかどうかなどがまさにそう。
根本における仲間同士の信頼関係なくしてはそれはできない。
組織である以上は全員一致で物事が決まることの方が少ないわけで、もちろん自分の本意ではない意思決定がくだされることもありえるだろう。そのことに対してずっと影で愚痴を言っていたり、うまくいかなかったときに「ほら言ったことか、あっちの方が正しかった」と振り返るようではチームプレイヤーとしては望ましくない。
でもこれ、実は結構難しい。
現に私も前職で会社勤めをしていた時代にはしょっちゅう経営陣の判断に文句を言いまくっていた記憶がある。。。orz
ベンチャー企業では朝令暮改なことも多く、社員は振り回されやすい。
ただその機動性や俊敏性がベンチャー企業の強みであり、積極的に軌道修正はしていった方がいいと思っているし、朝決めたことでも違うとわかれば変なプライドは捨ててでもすぐに変えるべきだと思う。
だからこそ私と社員の間の日常からの信頼関係は凄く大切で、それがあるから一言えば十を理解してくれるのだと思う。
またうちみたいなフラットな組織であれば、私が全て決断しているわけでもないので、私自身もチームの一員であることを強く意識しなければいけない。
私と社員の意見が食い違って、総合的に考えて社員の意見を尊重して失敗するようなケースも当然ありうる。
そういう時にどうしても「だから言っただろ」と口に出かかってしまうが、総合的に考えてそっちの道を選んだ時点で私も仲間であり、結果は結果としてポジティブに受け止めて前に進むことが大事。なのにいざ失敗を目にすると過去の自分の意見の正しさが証明されたかのよう気持ちに陥りがちなので気をつけないといけない。
うちの社員が昨日のBlogでこんなことを書いていた。
決めた判断については誰も不満や、ああしとけばよかったという事を言わず、常に前に意識が向いていたことはとても大切なことだったなと。
要は社員同士でスノボのために雪山に向かったものの、道中におけるいくつかの判断ミス(本人達はミスだと認めてないが、、、)により大変な事態に陥っていたときの話である。結構なトラブル状態にも関わらず全員口をそろえて「学びがあった」「楽しかった」「いい経験になった」「彼(彼女)はなかなかすごい活躍だった」などとみんな超前向き。こういう時にチームプレイヤーとしての真価が問われるのかもしれない。ある意味究極のアクティビティ経験かも。
ちなみに弊社では新卒採用における一次選考ではグループワークを導入しており、4〜6人を1チームとして、協力しあわなければ成果を出せないようなワークに挑戦してもらい、その人の能力を見極めるようなことをやっている。
それはまさに上記のようないかなる状態でも、いかなるメンバーであっても、チームとしてのパフォーマンスの最大化を第一義として最大限努力ができるかどうかという点を総合的に見させてもらっている。おかげで2015年も最高のチームプレイヤー達がすでに6人も採用できている。
組織がいかに拡大したとしても、常にチームとして1+1+1が3よりも大きくなるようなチームでありつづけたいものである。