麻布十番で働くCEOのBlog(旧・南麻布で働く社長のblog)

成功報酬型求人メディアGreenの運営や、インターネットサービスの企画・開発を行う株式会社アトラエの社長のblogです。

2014年10月

我々が戦う主戦場である『Technology × HR』の領域。

昨今北米を中心にこの市場に注目が集まりつつある。
LinkedInというモンスターを筆頭に、ソーシャルやビックデータや動画など、Technologyを活用した新たな採用ツールやマッチングテクノロジーが次々と生まれてきている。

Human Resourceという市場は、人類が働くという行為を行う以上はなくなることのない鉄板市場。
また「働く」という要素は、その人の人生の幸福度において、家族や友人の次くらいに位置するほど影響力を持つ大事な要素だと思う。

さらに企業にとっても「人」「物」「金」「情報」という4大リソースの中でも、とりわけ「人」の持つ重要度が高まっており、ことIT・ネット業界のような知識労働社会においては「人」以外に差別化は見出しづらいほどである。


そんな流れからか、日本においてもHR業界以外、特にIT業界出身者による新規参入が相次いでおり、競争環境も大きく変わりつつあるように感じる。

そんなHuman Resource市場で11年以上に渡ってTechnologyの最適活用を試行錯誤してきた弊社としては、自らの主戦場においてそうそう簡単に負けるわけにはいかないわけで、ただいま主力サービスであるGreenを必死に伸ばしつつも、それに次ぐ第二の矢を気合い入れて仕込んでいる次第。

既に我々(私)よりも圧倒的に知名度があるHR系ベンチャー企業も増えてきてしまっており、なかなか寂しい思いをしておりますが、いぶし銀ベンチャーも大人しく静観しているつもりは毛頭なし。

さて若いライバル達と気合入れて戦うとするかw

最近少しばかり政治に興味を持ち始めている今日この頃。
政治といっても自分が政治家になりたいという意味ではなく、日本という国の実質経済成長が止まってしまっている現状において、どのようにして明るい未来を実現するのか、という視点で政治の世界に嫌がおうなしに興味を持ちつつあるという感じ。

つい先日も女性閣僚が2人も同時に辞任するというドタバタ劇があったが、そんなことしてる場合じゃないだろと思ってしまう。

ここ数年マニフェスト選挙が歌われているが、正直マニフェストで選ぶのは現実的ではないと感じる。
マニフェストを理解することは大事だが、実際にいくら立派なマニフェストを掲げようとも、それが実行できなければ意味がないし、そもそも我々民間人の持つ情報だけでどの政策が正しいかなんて判断すること自体が少々無理がある。

そして全てを公開せよ、と要求することも明らかに無理がある。
国を運営していく上では当然ながら公にしづらい事情や情報、条件や問題などが沢山存在するはず。
それらを考慮した上で都度都度ベストな選択を下していく必要がある。

その中でマニフェストを公開して、国民がそれを理解して投票するという選挙になれば、当然人気投票に近しい内容・結果にならざるを得ない。


個人的にはそういう背景を考慮した上で、政治家は人柄(信念・誠実さ)と実力(判断力・実行力)で選ぶべきだと考えている。政策については正解はない中で常に答えのない判断をしていくのが政治の世界。それであれば自分が信頼した政治家が下す判断を信じてついていくのが最も自分として納得感が持てる。

人柄と実力を兼ねた政治家達が議論を尽くして選んだ道であれば、判断精度は高いはず。
それで間違っても修正すればいい。


ただ現状の政治の世界は、自分達の政権、自分の当選を維持するためだったり、一部の既得権益を守るため、という利己的なバイアスが強く働いた判断が要所要所でなされているような印象を受けてしまう。


確かに当選しなければ正しいことを考えていても実行できる立場にはなれない。
また一方で正しいことだけを主張してもなかなか当選できない。
そんな矛盾を抱えながら苦しんでいる政治家は多いのかもしれない。
いよいよそんな矛盾した選挙システムがおかしいとしか思えない。。。


我々としても、果たして誰が信頼できる政治家なのか、人柄・実力が十分な人なのかどうか、を判断するのは正直簡単ではない。

たまたま先日とある政治家の方とご一緒させて頂いたが、素晴らしい人物だった。
そういう場でご一緒できれば、その人の人柄や実力を垣間見ることができるが、そういうご縁でもない限り判断が難しいし、そんなご縁なんてほとんどないのが一般的なわけで。。。

なにかいい方法はないものだろうか。

私自身問題を提起しただけで、あまり答えを持ち合わせていないのだが、これから生まれてくる人達のためにも、日本の政治をこのままにしておいてはいけないと強く思う今日この頃。

起業して12年目、経営者としては15年目、年にして40歳。

最近久しぶりに会う後輩や、社内の古株のメンバーから丸くなったと言われる機会が増えた。

自分の中ではいいことなのか良くないことなのか、今ひとつわからないのだが。。。


ただ正直社内の若手との年の差が15歳前後は離れてきていることもあり、滅多なことがない限り、私自身が厳しく叱ることも、厳しい要求を突きつけることもなくなりつつある。


勿論私に変わってそういう役割を担う中間管理職がいればいいのだが、社内がフラットな組織を標榜していることもあり、明確なマネジメント層が存在していないことによって、他人に厳しく要求したり、ダメ出しをしたりする人は限られている。
つまるところ、明確に上司として部下を育てる責務を担う人が少ない組織体になってしまっているということ。


勿論各自が自分に厳しく、自分で成長していけるのが一番いいのは言うまでもない。
ただやはり自分で設定するレベルや目標はどうしても現実的なラインになりやすい。
そこにダメ出しをしたり、そのレベルや目標を強制的にでも引き上げてあげることは、本人の成長にとっては極めて大事だったりもする。

それが組織としてできなければ、結果として若手社員の成長を鈍化させてしまったり、ビジネス上の常識に欠落したまま年数を重ねてしまうような結果にもつながりかねない。

挨拶、返事、敬語の使い方、メールの書き方、タスクの管理の仕方、報告・連絡・相談、といった基礎的なものから、顧客とのコミュニケーションや複数人数のプロジェクトの管理の仕方、要求に対するアウトプットのクオリティ管理、目標設定の水準や、タスク実行期限の設定など、もっと厳しく要求しあう組織になっていく必要がある。


かといって中間管理職を設置してピラミッド型組織にすれば解決するかというと、ことアトラエという組織においてはそうではないと考えている。

やはりフラットで実力主義で、上下関係ではなく役割分担しているチームとしてビジネスを前に進めていく集団でありたい。プロアスリートのチームや一流のオーケストラのチームのように。


そのためには私がトップからガミガミ言うまでもなく、お互いがお互いに指摘し合い、要求し合い、改善し合うようなカルチャーが根付かなければいけない。

自分も言われたくないから言わない、という気持ちももちろんよくよくわかる。

そんな気持ちを押し殺した上で、

「そんなレベルじゃ恥ずかしくて顧客の前に出せないぞ」
「もっと高い目標掲げようぜ」
「こんな仕事にこんな時間がかかるようじゃ俺ら一流とは言えないだろ」
「クオリティが低すぎるぞ」

と仲間に対して言い合っていかないといけない。例え先輩であっても後輩であっても。

それが言える人は自分にも厳しくせざるを得ないし、実質厳しくなるもの。

経営者やマネージャーと呼ばれる人が仕事ができるようになっていったり、遅刻をしなくなっていったり、ミスをしなくなっていくのは、そういう責任感やプライドによるものも大きかったりする。
さすがに部下に「お前今度遅刻したら会社に来なくていいぞ」と叱っておいて自分が遅刻するようなら、威厳も尊敬もあったもんじゃない。


例えばサッカー日本代表の選手もみんな頑張っているはず。
でもそんな中で「こんなレベルじゃワールドカップで1勝もできずに終わるぞ。もっと気合入れろ!」と叱咤する本田圭佑がいるわけで、本田も意識してそういう役目を担っているはず。

多くのケースではそういう指摘をもらったとしても「あいつ何ピリピリしてんだよ。こっちだってちゃんとやってるんだよ。そんなことより自分はどうなんだよ。」という感情に陥りやすい。

それでは建設的にチームとして向上していけない。
お互い言い方には多少なり配慮するとしても、目指すべき一流レベルに対してどうなのか、ということ、そしてそれに対するマイナス面はどんなことであっても真摯に受け止め改善していくことが大事だと思う。

改めて社内におけるあらゆる要求値を、お互いにもう数段階高めていきたい。

そしてお互いに高見を目指して、全社員の市場価値も右肩上がりに成長し、それに伴い会社も右肩上がりに成長していく、そんな組織がやっぱりかっこいいと思う今日この頃。

ということで久しぶりに私も鬼軍曹時代を思い出して頑張ってみようかなw


世の中にはいろんな経営スタイル、経営手法があるとつくづく思う。

目一杯レバレッジを効かせてハイリスクハイリターンを目論む経営者もいれば、無借金経営で自分達のフリーキャッシュフローの中で安全性を確保しながら地道な成長を志す経営者もいる。

経営者として別にどちらが正解・不正解ということはないと考えている。
ただ自分や役員・社員以外の第三者の株主から出資を受けた時点で、ある一定の成長を実現しなければいけないのが経営者の責務ではある。


私自身、2003年に創業してからリーマンショックが起こった2008年末くらいまでは、赤字でも売上やKPIを伸ばしていければ問題ないと考えて、早く成長することばかりを意識した危うい経営を展開していた。何かあれば第三者割当増資をすればいいくらいの気持ちでリスクを取るべき、みたいな発想だったように思う。

今でも笑えない話しだが、リーマンショックによって売上が前年対比で約半分近くに落ち込み、当然ながら我々以上に銀行やベンチャーキャピタルといった金融機関の環境も悪化の一途をたどる。つまるところ、我々が急いで増資して生き延びようとしても、その時にはもうどこも助けてくれるような状況にはなかったのである。

その当時のことを書き始めると長くなるので、この程度にとどめておくが、リーマンショックを乗り越えるためにあらゆる努力・工夫をした。それに伴いそれなりの数の社員が辞めていった。
全て経営者としての自分の未熟性が生んだ結果にすぎない。

そんな経験から学んだことは、経営者としてやはりリスクサイドのコントロールは絶対条件であるということ。そして調子に乗ることなく、一定の信念と判断軸をもって、地に足のついた経営をしていく必要があるということ。

当時は自分のことをリスクテイカーだと自画自賛していたような節があるが、今思えばただの無知で無謀なリーダーという側面の方が大きかったように思う。
恐らく多くの方にもいろいろ経営相談してはいたものの、赤字でも上場できる、まずは売上を伸ばすべき、資金はいくらでも調達可能、など、当時の自分達にとって都合の良いアドバイスだけが耳に入ってしまっていたのかもしれない。


そんな反省もあり、2010年以降はあらゆる面を見直し、黒字経営を意識して継続してきた。
固定費の増加を最小化し、テクノロジーを駆使することにより、ダウンサイドのコントロールを徹底することと、市況の変化に対するアンテナを強く意識すること。それによって生まれる余裕の範囲内での投資をしてきた。

しかし我々は中小企業ではなくベンチャー企業である。
一定のリスク・コントロールをしながらも、チャレンジしていかなければ社員達にとっても面白くもなければ、株主の期待にも応えられない。
この数年間は土台作り、自力を高めることに専念しつつも、勝負のタイミングを今か今かと待ち続けてきた。


そしてこの10月より始まった2015年9月期こそがその勝負のときだと判断した。
まさにここからがアトラエにとってチャレンジ期間。だからこそこのタイミングで社名も変え、オフィスも移転し、新たな事業も準備し、本格的に勝負を仕掛け始める。

もちろん今活躍するスタートアップと比べるとスピード感でも注目度でも見劣りしているかもしれない。
しかし長期的に伸び続ける企業、運や偶然性に依存することなく、どんな壁にぶつかろうとも自力で何度でも成長軌道に乗せなおすことができる組織を創りあげる上で、十分な土台ができつつあるという自負もなくはない。

もはや誰からもちやほやされない中年起業家と優良中小企業ではあるが、今期取り組む挑戦を成功させることができれば、今まで以上に市場に大きな価値を提供することができ、結果として飛躍的な成長を実現することができるはず。

ワクワクしつつも、脇を締めて、実直に取り組んでいきたい。
アトラエとして初めて迎えた期が飛躍のスタートとなるように。

マネジメントに関する書籍や講演などは今も昔も人気がある。
やはり組織において個人として成長していくとどうしてもぶつかる壁なのだろう。
自分のことは何とかなっても、他人(仲間)のことを何とかするのはそうそう簡単ではない。

ではマネジメントとは何なのだろうか。

私は前職の時からマネジメントについてこう答えてきた。


マネジメントとは短期と長期、双方のパフォーマンスの最大化を仲間と共に実現することである


ゆえに短期成果を最大化できたとしても、その方法が長期成果に対してマイナスの影響を与えるような方法であれば、マネジメントという責任・役割からすると間違っている方法論だと考える。
あくまでも私流では、だが。

かといって長期成果に重きを置き過ぎた施策ばかりを実行した結果、短期成果がさっぱり上がらなければ、これまたマネジメントとしては失敗と言わざるを得ない。


即戦力という誘惑に駆られて、まるで兵力強化のための傭兵でも雇うかのように中途社員ばかりを、しかもスキルや経験ベースのみで雇って短期成果を出していたとしても、残念ながら長期的にはうまくいかない組織を沢山見てきた。


アトラエは創業以来、新卒採用を中心として文化や価値観の共有を強く意識して運営してきた。
また働く人々の力を最大化する働き方やルールを考え、試行錯誤し続けることで、ここまでやってきた。

まだまだ試行錯誤は続くものの、少しずつながら形になってきていると感じている。今になって振り返れば、少し長期的な意識が強すぎたかな、と思わなくもないが、まあ今となってはそれが良かったと言い張るしかないのだが。。。


組織にとって正しい人を採用すること、そしてストレスの少ない職場や人間関係、必要性や社会性のある事業、自身の貢献や成長など、人が力を発揮できる環境や組織を創ることが、長期的なパフォーマンスにつながると考えている。

そのためにも個々の家族や生活に最大限合わせたフレキシブルな働き方を受け入れたり、画一的な出世競争ではなく個々人にあった仕事場での成長のステップやスピードを意識することを当然と考えたりできるカルチャーを創りあげてきた。


そんな普通とはある意味異なる組織を創るためには、不必要な先入観や価値観をほとんど持たない新卒社員の方が相性が良かった。だから新卒からアトラエを選んだ社員は今のカルチャーやルール、働き方に、全く違和感なく、それどころかそれが普通だと思っている節さえある(^_^;)


ま、それでもいいんだけど、転職するとその違和感に苦労するから要注意。


ちとまとまりがなくなってきたが、上場すると四半期開示さえ求められる現代において、長期的な視点で組織を創っていくことはそれほど簡単ではないだろうし、私自身もそういう立場になったらできるかどうか未知数ではある。

ただ長期に渡り、意欲ある人がモチベーション高く働き続けられる組織を創れなければ、遅かれ早かれ組織の成長は鈍化し衰退していく。月曜から金曜まで目標をひたすら達成することを意識し続ける仕事や、業務をこなし続けるような仕事を20年も30年も続けられるわけはない。少なくとも私は3年も続けられない自信がある。

であればどういう仕事であればサスティナブルに全力でモチベーションをもって継続していけるのか、実はそれほど難しい話しではないように思う。例えばそもそも経営者自身は、ほとんど人は特段意識せずにそれが出来ているわけだし、プロアスリートやミュージシャンなども良い模範かもしれない。

ビジネスの世界で、そんな組織が創りあげられたら愉し過ぎる。

アトラエはそんな世界観をもって生まれてきた会社。

で、是非いつかハーバードやスタンフォードなどのMBAにおけるケースとして取り上げられたい!!
そんなことで、これからも理想の組織の実現を目指して邁進していきますw

タイトルと内容がちょっと違ってしまったようだけど、徒然なるままにということでお許しを。

世の中はめまぐるしいスピードでグローバル化している。
特にインターネット業界ではグローバル競争が当たり前の様相を呈してきている。

そんな中、日本というのは極めて特殊な国なんだと痛感することが多くなってきている。
その背景には、敗戦国という経験、世界第二位の経済大国であった経験、島国であり同一民族により構成されていることなどがあるのだろう。

しかし日本の高度経済成長は間違いなく終わった。

今後は過去の栄光にすがることなく、あらゆる現実を正しく認識・理解し、迫り来る混沌とした時代、変化の激しい先の見えない時代を楽しむくらいの意気込みで望まなければ沈んでしまうのではないかとさえ思う。

そんな中で女性・シニアを労働力として活用すること、さらには国をあげて子育てや教育を重視することの重要性や必要性は言うまでもないだろう。

なかなか日本でその辺りが進んでいかない背景には、国民のグローバル感覚の乏しさや多様性への許容力の低さがあるように感じる。

偉そうに言ってるが、かくいう私も最近まで典型的な国際感覚ゼロの日本人ビジネスマンだったと反省しきりなのだが。。。

本格的にエンジニア不足やグローバル競争を考える上で、グローバル展開を意識する必要性があり、その思考の中で、多様性への理解や国際感覚を身につけること、さらには語学の必要性を痛感した。世界では文化も宗教も生活習慣も価値観やコミュニケーションも異なる人が沢山いる。それを理解し受け入れない限りはグローバル展開なんて到底できない。


特に多様性を許容するということの重要性については凄く感じる。
多様性を許容するということは、自分と違う考え方や価値観を受け入れるということ。

日本の教育では正解は何かということばかりを教え込まれてきた。
良い大学に入り、良い会社に就職し、家柄の良い人と結婚し、、、、誰もが同じようなレールを歩むことを良しとされていた時代が長くあり、今でも残っている。
しかしその感覚のままではこれからの混沌とした時代を勝ち残ることはできない。

しっかりと現実を見つめ、世界を理解し、自分がとるべき行動や選択をしていくことが大事だと思う。
赤信号みんなで渡れば怖くない、はもはや、赤信号みんなで渡っても赤信号だ。

誰にとっても理想の結婚相手なんて存在しないように、会社も働き方も生き方も、人それぞれ。
自分にとって幸せな道を選べばいい。
そして自分らしい道を頑張って選んでいる人を、自分と違うという理由で批判したり、揶揄したりするのはそろそろやめよう。


今朝はたまたまこんな記事がバズっていた。

村田マリがシンガポールに移住した理由とは?


村マリさんのように本当に試行錯誤しながら新しいロールモデルとなろうとしてくれている女性を批判するのは簡単だけど、彼女が道を切り開いたことで多くの人達に選択肢が増えたのは事実。
自分がそういう女性に好意を持つかどうかや、そういう生活をしたいと思うかどうかは別の話。
あくまでも多様な生き方の1つであり、それを受け入れようとしない、認めようとしないのは、日本がこれから国際的にリーダーシップをとっていく上で変えていかなければいけないところだと思う。
私自身、自分には絶対にできない選択だろうと思うからこそ村マリさんの生き方を心から尊敬するし、少しヤキモチを感じたりもする。


改めて自分達の会社ももっと積極的に多様性を受け入れ、一日も早く世界で活躍する日本企業にしたいと思う今日この頃。日本人としての誇りをもって世界に出たいw

先週末は小田原ヒルトンにて第12期のキックオフとなる社員総会へ。
笑いあり涙ありの素晴らしい会で、改めて素晴らしい仲間に恵まれいてることに感謝。

表彰された人はおめでとう。
惜しくも表彰を逃した人は是非次で獲得すべく頑張ってほしい。

Odawara
Odawara2



今回の社員総会で改めてこの会社が実現したいことから伝えたいと思い、自分なりに改めて頭の中にある創業時からの思いを今一度整理しなおす時間を設けてみた。

会社は経営者の価値観や経営ポリシーによって大きく異なる。

私自身は本質的に自分に関わりのある人達からの評価が気になる性格らしく、やはり会社経営においても、そこに関わる人達が幸せになること、そこに関わる人達が楽しいと思うこと、やりがいを感じることを重視する傾向にある。

先日私の知人経営者が

「とにかく規模を拡大して影響力を持ちたい。そうしなければ楽しくない。楽しいことにしか興味がない。」

と言っていたのをふと思い出した。


誤解を恐れずに言うなら私も楽しいことにしか興味はない。

ただ私にとっては、楽しいこと=影響力があること=規模拡大という等号は成り立たなかった。
私にとって楽しいこと=関わる多くの人達が幸せを感じてくれること、これは比較的成り立つ気がする。

そして関わる人達としてどういう人達を選定するかによって、その人達が幸せになるための要素が異なるように思う。

誰でも幸せになれる組織なんて存在しない。

アトラエでは、世界基準におけるトップチームを目指したい人達だけに集まって欲しい、と明言している。そして株主にはそういうチームを応援したいと思ってくれる人達に集まってもらいたい。

そういう人達が幸せになるためには、社会的な影響力(スケール)や認知されることは当然大事な要素となるし、1人当たりの労働生産性(=給与水準)も勿論大切な要素となるし、社会性や提供価値についても極めて大事な要素となる。

なので1つの要素だけ突き詰めてもあまり意味はない。
規模拡大だけできたとしても、恐らく社会性や生産性が伴わなければ社員は幸せや安心感を感じられず、結果として私自身も楽しいとは感じられないはず。


なので結局のところ、社員が幸せを感じる要素を満たしつつ、一方で売上や利益をしっかりと伸ばし、応援してくださる株主に報いること、そして弊社のサービスを活用してくれる個人や法人に更なる価値を提供し喜んで頂くこと、それらがバランス良く成り立つような組織を作っていく必要がある。

売上・利益が第一義になっている組織も沢山あるし、それが悪いとは到底思わないが、何となくアトラエには馴染まない。

世の中への提供価値の総和やその価値のレベルを徹底的に高めていくことを第一義の目的としつつ、その活動を通して、社員も株主も顧客も幸せなれるような組織創りができたらこれ以上の理想はない、そんな感覚がアトラエには合っているのではないかと思う。


現代における資本主義は正直完璧ではなかったのだろうと感じている。
あくまでもベストではなくベターな仕組みだったのではないか。
勿論それに代替するベストなアイディアを持っているわけではない。
しかし確実に世の中は変わってきており、資本主義のほころびが大きくなってきている気がしてならない。

そんな時代においては、過去のベスト・プラクティスを頑張って模倣するだけでは次世代の理想の組織は創れない。こういう時代だからこそ、改めて人として本質的に何が大事なのか、何を追い求めるべきか、という原点からゼロベースで考え直す必要があるように感じる。


いつの日かスタンフォードやハーバードのMBAのケースに取り上げられるような、アトラエをそんな次世代の理想の組織にまで進化させたい、心からそう思う今日この頃。

さて明日から全社員と内定者で小田原に行ってきます。

一泊二日の弾丸旅行ですが、目的は社内では社員総会と呼んでいる半年に一度の全社イベントです。
ま、いわゆる期の始まりのキックオフですね。

弊社では創業以来、半期に一度この社員総会を実施しています。

社員総会では、前半期の振り返りから始まり、この半期の戦略方針や今後の中長期の方向性などを共有したり、それ以外にも演芸や表彰など、盛りだくさんです。


一定期間ごとに全社でイベントを開催して情報を共有するということは、どこの企業でもほぼやっていることだとは思いますが、そのイベントをどの程度重視しているか、どの程度力をかけているか、は各社様々だと感じます。


私自身は前職時代にいろいろ経験させてもらい、自分自身そういう場で全社の戦略方針を深く理解したり、会社へのロイヤリティを高めたり、新しい期に臨む気持ちを新たにもったりしたこともあり、極めて重要なイベントだと捉えています。


我々が掲げる行動指針Atrae Standardの中に『城をつくる意識を持て』というものがあります。

社員にただ作業としてレンガを積んでもらうことを期待するなら、そもそもこんなイベントは必要ないかもしれません。しかし社員ひとりひとりに城を創ることを求めるのであれば、当然ながら城の設計図をしっかりと共有し理解してもらうこと、そして各セクションにおける進捗状況などを共有すること、将来像や何のために城を創っているのかということを伝え続けていく必要があります。


社員総会はまさにそういう場。

だらだらと日常で時間が過ぎないように、半期に一度、全社員で改めてこの半期の努力の結果を検証し、新たなる未来を創造するための戦略を共有することで、気が引き締まるのは勿論のこと、一人ひとりの戦略理解度が高まるものと思います。

だからこそ内定者を含めて全社員がちゃんと戦略や目標を理解できるように、また私がイメージしている未来を限りなく同じレベルでイメージしてもらえるように、頑張らないとです。

このイベントは何人になっても、グローバルになっても、いろいろと工夫しつつも必ず継続していくつもりです。


なんて余裕ぶってブログ書いてますが、明日の準備にてんやわんやなので内容薄くてすみません(T_T)

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