最近社内におけるチームミーティングが建設的に進められているチームと、そうでないチームがあることを改めて認識した。
ミーティングが効果的に機能するためには、いくつかの要素を満たす必要があるのは言うまでもないが、ミーティング理論については数多く出ている名著に譲るとして、ここではすぐに活かせるキーポイントだけを共有しようと思う。
ただし世の中の派閥争いのあるような組織や、社内でも自分の意見を強く通すことで出世競争を勝ち上がっていくような組織においては、一切当てはまらないと思うので、ご注意を。
あくまでも全社員が一つのVisionに向けて本気で取り組んでいる組織という前提に基づいたキーポイントである。
表題にも記載したので今更感いっぱいだが、、、まさにディベートではなくディスカッションをしようということ。
英和辞典Weblioで調べてみると各動詞の意味はこんな感じ。
debate (相手を打ち負かそうと公式の場で) 討論する
discuss (ある問題をいろいろな角度から) 論じる、話し合う
つまるところ、相手を論破しようとしたり、自分の主張を通すことを目的とするのではなく、あらゆる意見や主張、アイディアの中から、より良いものを選定したり、より良い案にまとめ上げたりすることで、より目標の達成やビジョンの実現に効率的に近づくべく話し合うべき、ということ。
誰の意見や主張かではなく、どんな意見や主張か、のみに気を配り、良いものを積極的に取り入れていくべきだし、時には自分の当初の意見を大きく変えても全く構わない。
こんなことを言うとほとんどの人は「んなことわかっとるわい」と言う態度を取るが、出来る人はかなり少ないと感じる。かくいう私も若き頃はミーティングというのは戦う場だと思っていたこともあるくらいだから、なんともお粗末なものである。。。
出来る人と出来ない人の根本的な違いは何にあるのだろうか。
私なりに考えてみたが、当事者意識ということが一番しっくりくるような気がする。
当事者意識が高いか低いかによって、こだわることや関心を持つポイントが異なるのかもしれない。
当事者意識が高い人は、その目標やビジョンを如何にして実現するか、達成するかに心底関心が向きやすく、その手段やプロセスに対しては臨機応変かつ柔軟に考えられる傾向がある。そもそも本気で実現したければベストな手段やプロセスを常に模索するのは当然のことであろう。
一方で当事者意識が低い人は、どちらかといえば自分や自分の意見、さらには自分の評価などに関心の矢印が向きやすく、ミーティングの場を通して参加者内での自分のレピュテーションや勝ち負けを心のどこかで意識してしまいがちなのではないだろうか。
そういう視点でミーティングに望むと、参加者の意見に自分とは異なる良い視点が含まれていたとしても、自分とは異なるというポイントにばかり気持ちが向かってしまい、相手の粗や弱点を指摘しがちになる。一方で本気でより良い方法や手段を模索して、最終ゴールに到達することに熱中している人であれば、あらゆる情報や意見の中から取り込めるものがないか、より良いアイディアはないか、を必死に模索しようとする。
これが結果的にディベートになる人とディスカッションができる人の根本的な違いなのではないだろうか。
我々のようなフラットで自由な組織においては、ほとんどのミーティングにおいて、ディベートは必要ない。社外の人やストックホルダーとのディベートなどは時折必要になるものの、こと社内のミーティングにおいては、建設的なディスカッションができることが何よりも大事になる。
理想のチームとしてパフォーマンスをあげていくためにも、社内の誰もが適切なディスカッション能力を身につけることが望ましい。
そのためにも組織やチームが目指す目標に対して、どれだけ当事者意識が持てるかどうか、そのあたりの浸透や意識統一も、経営者としての大事な仕事である。
なんとなく書いていくうちに、つまるところ経営者次第みたいな結末になり、自分で自分の首を締めるような内容になってしまったが(汗)、日頃からついついディベートモードになってしまっている人は、ぜひともディスカッションすることを強く意識して参加してみることを推奨したい。
努力を続けていくことで見える景色がかわると思う。
もしかしたら現時点では社内は敵やライバルだらけに見えているかもしれないが、少しずつ信頼できる仲間がいるんだということに気付けるようになっていくはず。
誰にとっても信頼できる仲間やチームって最高にいいものだと思うので、ぜひ挑戦してみてほしい。
ミーティングが効果的に機能するためには、いくつかの要素を満たす必要があるのは言うまでもないが、ミーティング理論については数多く出ている名著に譲るとして、ここではすぐに活かせるキーポイントだけを共有しようと思う。
ただし世の中の派閥争いのあるような組織や、社内でも自分の意見を強く通すことで出世競争を勝ち上がっていくような組織においては、一切当てはまらないと思うので、ご注意を。
あくまでも全社員が一つのVisionに向けて本気で取り組んでいる組織という前提に基づいたキーポイントである。
表題にも記載したので今更感いっぱいだが、、、まさにディベートではなくディスカッションをしようということ。
英和辞典Weblioで調べてみると各動詞の意味はこんな感じ。
debate (相手を打ち負かそうと公式の場で) 討論する
discuss (ある問題をいろいろな角度から) 論じる、話し合う
つまるところ、相手を論破しようとしたり、自分の主張を通すことを目的とするのではなく、あらゆる意見や主張、アイディアの中から、より良いものを選定したり、より良い案にまとめ上げたりすることで、より目標の達成やビジョンの実現に効率的に近づくべく話し合うべき、ということ。
誰の意見や主張かではなく、どんな意見や主張か、のみに気を配り、良いものを積極的に取り入れていくべきだし、時には自分の当初の意見を大きく変えても全く構わない。
こんなことを言うとほとんどの人は「んなことわかっとるわい」と言う態度を取るが、出来る人はかなり少ないと感じる。かくいう私も若き頃はミーティングというのは戦う場だと思っていたこともあるくらいだから、なんともお粗末なものである。。。
出来る人と出来ない人の根本的な違いは何にあるのだろうか。
私なりに考えてみたが、当事者意識ということが一番しっくりくるような気がする。
当事者意識が高いか低いかによって、こだわることや関心を持つポイントが異なるのかもしれない。
当事者意識が高い人は、その目標やビジョンを如何にして実現するか、達成するかに心底関心が向きやすく、その手段やプロセスに対しては臨機応変かつ柔軟に考えられる傾向がある。そもそも本気で実現したければベストな手段やプロセスを常に模索するのは当然のことであろう。
一方で当事者意識が低い人は、どちらかといえば自分や自分の意見、さらには自分の評価などに関心の矢印が向きやすく、ミーティングの場を通して参加者内での自分のレピュテーションや勝ち負けを心のどこかで意識してしまいがちなのではないだろうか。
そういう視点でミーティングに望むと、参加者の意見に自分とは異なる良い視点が含まれていたとしても、自分とは異なるというポイントにばかり気持ちが向かってしまい、相手の粗や弱点を指摘しがちになる。一方で本気でより良い方法や手段を模索して、最終ゴールに到達することに熱中している人であれば、あらゆる情報や意見の中から取り込めるものがないか、より良いアイディアはないか、を必死に模索しようとする。
これが結果的にディベートになる人とディスカッションができる人の根本的な違いなのではないだろうか。
我々のようなフラットで自由な組織においては、ほとんどのミーティングにおいて、ディベートは必要ない。社外の人やストックホルダーとのディベートなどは時折必要になるものの、こと社内のミーティングにおいては、建設的なディスカッションができることが何よりも大事になる。
理想のチームとしてパフォーマンスをあげていくためにも、社内の誰もが適切なディスカッション能力を身につけることが望ましい。
そのためにも組織やチームが目指す目標に対して、どれだけ当事者意識が持てるかどうか、そのあたりの浸透や意識統一も、経営者としての大事な仕事である。
なんとなく書いていくうちに、つまるところ経営者次第みたいな結末になり、自分で自分の首を締めるような内容になってしまったが(汗)、日頃からついついディベートモードになってしまっている人は、ぜひともディスカッションすることを強く意識して参加してみることを推奨したい。
努力を続けていくことで見える景色がかわると思う。
もしかしたら現時点では社内は敵やライバルだらけに見えているかもしれないが、少しずつ信頼できる仲間がいるんだということに気付けるようになっていくはず。
誰にとっても信頼できる仲間やチームって最高にいいものだと思うので、ぜひ挑戦してみてほしい。