麻布十番で働くCEOのBlog(旧・南麻布で働く社長のblog)

成功報酬型求人メディアGreenの運営や、インターネットサービスの企画・開発を行う株式会社アトラエの社長のblogです。

2015年11月

今の日本の産業界において右肩上がりで成長している唯一の業界はインターネット・IT産業。
先日とある経営者のこんな講演を耳にした。

日本の経済を再興させるためにはこの業界の成長を加速させ、この業界における雇用創造は勿論のこと、レガシーな業界におけるイノベーションが必要だと感じる。


まさにますます産業の中心が知識産業へとシフトしている現代において、経営のキーファクターが人や組織へとシフトしていくのは自明だろう。BSに掲載される有形・無形の固定資産ではなく、人や組織、文化や価値観といった決算書には載らないような会社の資産こそが勝敗を分ける、そんな時代に突入しつつある。

そんな中で人を採用し、人を育成し、人を定着させ、人を活かす、ことこそが経営の要であり、経営者が最も頭を悩ませつつも時間を投資すべきポイントになっていくはず。

まさに我々はTechnologyを駆使することで、そのお手伝いをしていくことを生業にしていこうと考えているわけだが、中でも最近凄く大事だし、自分の中で意識しているのは「人を活かす」ということ。


というのも私の経験則上、こんな風に思っている。

採用することに重きを置いている会社が最も多い。
次に育成することに重きを置いている会社が多い。
定着に力を割いている会社は意外にも少ない。
そして人を活かすという領域になるとほとんどの企業はできていない。

かくいう私自身も人を活かすというところまではなかなか到達できていないこともあり、最近ではそのあたりを強く意識するようにしている。


一番危険なのは、ある特定の業務・職務が出来るかどうかで、優秀か否かを判断してしまうこと。
どうしてもオペレーションが苦手だったり、対人コミュニケーションや交渉が苦手だったり、論理的思考力が弱かったり、と苦手な要素はある。でも論理的思考力が苦手でも行動力や対人コミュニケーションに長けていて、営業的な仕事を任せるとどんどん信頼と売上を勝ち取ってくるような人もいる。

特定の業務・職務を任せ続けることで、社内で間違ったレピュテーションを構築してしまったり、本来の能力とかけ離れた評価しかしてあげられないのはあまりにももったいないし、お互いに不幸な話。
しかしついつい社内でしか通用しないような評価の仕方になりがちだし、目の前の仕事が上手にこなせるかどうかで評価や社内レピュテーションが決まりがちなのも事実。

その時に経営陣までもがそこに乗っからないように気をつけないと、将来の大事なダイヤの原石を潰してしまいかねない。

多くのそういう人達はチームを変わることで大きく羽ばたいたりする。

人にはそれぞれ強み・弱みがあり、チームとしてパフォーマンスを出す上ではお互いが補完しあうようなフォーメーションが大事になってくる。つまるところ適材適所が大事だという、昔から言われ続けている至極当たり前の話なんだけどw


ただここで難しいのが、強みを活かすことも大事なんだが、全社員に要求すべきベーシックスキルというのも存在すると考えている。これなくしては強みを活かすこともままならない。

例えるなら、いくらメッシがテクニシャンでも、プロサッカー選手として十分に走り回れるための最低限の体力や、最低限のフィジカルは必要であり、そこなくしてプロの世界での華麗な活躍はありえないのと似ているかもしれない。

その基礎力が不足していると、そもそもどんな強みを持っていても活かすに至らないので、その場合はまずそこから鍛えていくしかないということになる。その間こそが最も本人もしんどい。何せ苦手なことにも一定レベルまでは努力して取り組むことが求められるわけなので。

しかしそこを乗り切った先にやっと自分の強みを存分に発揮できるフィールドや機会が待っているということを強く意識することが大事。

リーダーたるもの、そこまでは何としてもメンバーを引っ張っていくべきだと思う。
そしてメンバーは簡単に自信を失ったり、将来を不安視したりせずに、自分の強みが活かせるところまでベーシックスキルを磨くことに専念することも大事。

もちろん社員数が増えていけばいくほど、一人ひとりの特性やポテンシャルを見極め、活かすことが難しくなる。そのためにも社内のリーダー達全員が同じような意識や感覚を共有し、常にあらゆる社員の特性や強みを見極める努力をしていく必要がある。

少なくとも自分達が面接して評価して期待して採用した人材である以上、雇用の責任も含めて、しっかりと一人ひとりの社員と向き合うことが大事だと思う。

この知識産業社会において、優秀な社員を採用し、育成し、定着させ、そしてその全ての社員のパフォーマンスを最大化できる組織が成長・成功できないわけはない。

経営者は今こそそこにフォーカスすべきではないだろうか。

自戒の念を込めて久しぶりのエントリーでした♪

今シーズンもいよいよ新卒採用活動が始まる。
なんだか年中新卒採用している感じがするw

まあアトラエの最も重要な採用リソースなので致し方ないのだが。

それはともかくとして、最近の学生と会うと思うのは、あまり「欲」がないということ。
欲といっても様々な欲があるわけだが、どの欲も総じて弱いような気がしてならない。

勿論社会が成熟していく過程において、どういう社会情勢や環境下で生きてきたのか、ということによって、多少なり欲求の方向性が異なることは理解しているつもりなのだが、欲求の方向が異なるというよりも欲求自体をあまり感じないタイプの人が増えているような気がしてならない。

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これは有名なマズローの欲求5段階説だが、決して自己実現の欲求に段階的に少しずつ昇華していってるといる印象でもない気がする。


私の世代はバブル世代とは異なるものの、結構みんな欲求の強い世代だということは、経営者仲間を見ていても、友人を見ていてもある程度は感じることができる。

お洒落な服を着たい、かっこいいクルマに乗りたい、広くて快適な家に住みたい、美味しいものを食べたい、そんな至極単純な欲求がもともとの仕事のスタートラインにあったような気がする。

だからといって金稼ぎが全てだとも全く思わないし、思ったこともない。

どうせ一生仕事に関わるのであれば、自分の好きなことや世の中に価値があること、評価されるようなことをして、稼げればなおさら幸せだろうし、何よりたった一度の人生である以上、楽しく生き甲斐のある人生を送りたい、そんな思いを持っていたのが我々世代の特徴なのかもしれない。

これはマズロー欲求5段階説でいえば、生理・安全・親和・自我といった、いわゆる欠乏欲求が満たされるようになってきた時代に育ったからこそ自己実現の欲求を持つようになった世代だと言えるのかもしれない。

では最近の若者の欲のなさはなんなんだろうか。

もしかしたら清貧こそが美徳なり、の日本人的価値観によって抑圧され続けた結果なのだろうか。

個人的には資本主義社会のベースは一定の健全な欲求で成り立っているような気がする。
そしてそこに対して努力する人が一定数居てこそ成り立つ社会なのだと思っている。

欲を持つことは悪とされ、努力することが無となってしまう、そんな国にしてはいかんのではないか。

最近海外のアントレプレナーと接することも増えてきている中で、日本のアントレプレナーは本当に優秀な人が多いと感じる。語学力と国際感覚の問題だけで、それ以外は決して海外の注目されているアントレプレナーと比較しても負ける気がしない。

そんな出る杭をもっと引っ張りあげ、社会を活気づけ、多くの人が欲を持つようになっていかないと、日本という国の経済が再び立ち上がっていく気がしないのは私だけだろうか。。。。

「◯◯さんは仕事ができる」
「△△さんは仕事ができない」
「◎◎さんはプレイヤーとして優秀」
「★★さんはプレイヤーとしてはいまいちだけどマネージャーとしていい」


日々仕事をしているとこんな会話は日常茶飯事ではないだろうか。
かくいう私自身も経営の根幹を成すのは人であり組織だと思っているので、経営ミーティングなどでの議題の半数程度はそういうことのディスカッションや課題などについて話合っているくらい。

では仕事ができるとか、できないとかって何なんだろうか?
成果を出す人と出せない人の差には何が影響しているのだろうか?
凄い優秀な営業マンがなかなかマネージャーとして成功できない理由は何なんだろうか?


私の経験則上、究極的にはPDCAという言葉に集約されているのではないかと考えている。
今更何をそんな使い古されているビジネス用語を、、、、と思われるかもしれないが、なかなかどうしてこの言葉は奥が深い。

前置きが長くなったが、今日は少しこのことについて書いてみようと思う。


結局仕事というのは、

Plan  目標やそこに向けた戦略・戦術などを立案する
Do   立案した戦略・戦術に基づいて実務を遂行する
Check 遂行した結果について検証し、戦略・戦術の正しさやそことの差異を検証・認識する
Action 検証・認識結果を元により精度が高い戦略・戦術を立案し、再度実行に移す

というサイクルでしかないように思う。

プレイヤーと経営者などマネージメント層の人の仕事の違いは、このサイクルを個人で回すのか、組織で回すのかでしかない。

そして大きな組織のマネジメント層になればなるほどに、PDCAでいうところのPやCに費やす時間が増えていき、逆に大きな組織のプレイヤー層になればなるほど経営陣や上司の立てた戦略や戦術、方法論に基づいて実行する(Do)するのみが求められる傾向が強くなる。これが従来の大企業の構造ではないだろうか。

プレイヤーとして優秀というのは、営業でも経理でもエンジニアでも、ある程度の方向性や目標や商品やターゲットさえ決まっていれば、Doについては人よりも上手にできる人、ということだと言ってもいいかもしれない。

しかしいくら営業が優れていても、いくらコードを早くかけたとしても、目標設定や戦略立案、企画や方法論を考えられないようでは、チームにおけるリーダーとしてはさすがにワークしない。


ちなみに経営者もまさに同じだと思っている。

会社組織というチームにおけるPDCAを如何に高速で回せるかが、優秀な経営者とそうでない経営者の差なのではないだろうか。

ちなみに良く言うビジネスアイディアが豊富な起業家というのは、経営者としてのセンスが良いのではなく、サービス企画や新規事業開発といった領域におけるDoの能力が優れていると考える方が近い気がしている。

会社において決まった仕事をDoのみしている実行部隊の人達や、そのDoをする人をただ束ねてマンマネジメントをしている人達は、まず自分達が何を目指しているのかを再度確認し、そこに向けて自分が何を担うことができれば最も貢献できるのか、を経営視点で考え直し、そしてそれを自分もしくは同僚・仲間・部下とどうやって実行していくか、などを意識して仕事をしてみると良いかもしれない。


良くDeNA創業者の南場さんがおっしゃる戦略ファームでの経験が経営者や起業家としては足かせだったというオモシロ話の本質は、私なりの解釈では、結局経営とはPDCAを組織で回すことであり、戦略ファームはPlanのところのみにフォーカスしたビジネスを展開しているDoの組織であることの差に起因するのではないかと思う。

正直適切な戦略や戦術をPlanすること以上に、大人数の組織で適切にDoすることの方が遥かに難しい。

銃弾の飛んでこない司令室で如何に高度な戦略を立てて指示を出しても、戦場の兵士達はそんな人達を信頼しないし、今や現場の兵士も司令室と同じくらいの情報が持てる時代なわけで、司令室以上に現場感を有していることを含めて考えれば、司令室よりも現場の方が適切な戦略や戦術を立てられるし、より適切な判断が下せたりするのは当然なのかもしれない。

だからこそ近年の情報社会においては、業界や事業構造によって向き不向きはあるものの、基本的にはより現場に近いところに責任や裁量を付与し、出来る限りフラットな組織体制をとる方が組織が正しい方向に向かうのではないかと考えている。

その発想こそがホラクラシー型組織が注目を浴び始めている背景であり、我々がフラットな組織体制をとっている理由でもある。


ちょっと長くなったので、強引にこのあたりでまとめようと思うが、PDCAをチームで組織でしっかりと回せる人が仕事ができる人で、何らか専門性だけを有していればいいという話ではない。専門性を有している人はDoするプレイヤーとして一流だということであって、ゼネラリストだから仕事ができないとか市場価値が低いということではない。むしろチームを率いてPDCAが適切に高速で回せるような人は、間違いなく市場価値が高い。当たり前の話だが、それこそが経営リーダーなのだから。


PDCA、あなどるなかれ、思ったより奥が深い。

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