麻布十番で働くCEOのBlog(旧・南麻布で働く社長のblog)

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2016年07月

外資金融は給与が高いがクビになるリスクや容赦ないハードワークが求められる。コンサルティングファームは給与はまずまずでクビになるリスクを考慮すると、ミドルリスクミドルリターンか。成長ベンチャーは当初の給与は安いが株式や成長性を考慮すると結構アップサイドもあるかも。。。


こんなことを考えながら就職先を検討している学生は結構多いのではないだろうか。
自分が賢いと思い込んでいて(失礼ながらw)、学歴的にも選択肢が多いタイプの学生が考えがちな思考プロセスである。恐らく判断軸は、やりがいと経済条件のバランスが良く充実したビジネス人生を送ること、もしくは生涯賃金が最も高い選択肢を選ぶこと、あたりではないだろうか。

結論から言えば上記イメージについてはそれほど間違っていないように思う。
一方でこういう思考プロセスのタイプの人が、なかなか成功しないのも事実で、そこには大きな勘違いがある。


話しは少し脱線するが、宮里藍や石川遼が出てきた時、親達はこぞって子供にゴルフをやらせ、錦織圭が出てきたら今度はテニスを習う子供が増えるという現象が起きる。まあ勿論スター選手に憧れてスポーツを始めることは決して悪くない。ただもしゴルフをやれば儲かるかもしれない、テニスは結構稼げるみたいだ、と思ってやらせようとするのであれば(極めて一部の親達だけだろうが)、それは大きな間違いであろう。

彼らは人数倍もの練習や努力を重ねてきた結果として世界レベルのトッププレイヤーとなり、今がある。同じスポーツをやっている多くの人の中でも成功者である。どのスポーツを選んだかはあまり関係なく(ネガティブリストはあるだろうが)、どちらかといえば、その世界でトッププレイヤーになれるかどうか、が大事だったりする。


話を戻そう。

私も周りには外資金融で成功している人もいる。弁護士として成功している人もいる。そして勿論ベンチャー企業でイキイキと働きながら資産を築いた人達も沢山いる。

しかしその逆もいる。外資金融に就職しながらも全く性に合わずに転々としてしまっている人もいるし、司法試験に合格しながらも弁護士としてうだつがあがらない人、ベンチャー企業に飛び込んだものの、単なる一般的なサラリーマンと同じような日々を送っている人もいる。それどころかそういう人達の方が、成功している人達よりも多い。


結論として道を選ぶ時点で未来が確約されるような世の中ではないということ。
選ぶべきではない選択肢は存在するだろうが、どの道を選んだらどうなるかということは誰にもわからない。大事なのは、選んだ道を正解にするだけの努力や取り組みができるかどうかなのだと思う。

人と違う道を進むのは時に不安もあるかもしれない。
私は28歳で起業したが、35歳くらいまでの間は本当に貧乏だった。サラリーマン時代の方がゆとりがあったくらいで、友人と飲みに行くときも奢ってもらったり、安い居酒屋で集まったりしてもらいながら、何とかやっていた。それでもビジネスはめっちゃ楽しくて、毎日が充実していたのを覚えている。
寝る時間を削り、週末も含めて本当に文字通り死ぬほど働いてきた。貧乏暇なしとはこのことか、などと意味ないことを考えながら働いていたことを覚えているw


脱線ばかりしているが、何が言いたいかというと、スポーツでもビジネスでもどの道を選ぶかだけでは一流にはなりえない。選んだその道において誰よりも努力をし、価値を創造することができない限りは、充実したビジネスライフは送れない。

ベンチャー入ったら一流になれるなんて嘘じゃんか。

そんな風に思っている新入社員も結構いると思うが、誰もそんなことは言っていない。自分次第でその可能性や機会が多分に存在するというだけである。そのあたりを勘違いすると、本当に隣の芝は青い症候群になり、転々と勝ち馬を探しながら生きていくだけで市場価値の低い人材で終わってしまう。


先日大学時代の友人たちと久方ぶりに集まって語らったが、改めて凄い奴らだと思った。弁護士としてトッププレイヤーとして活躍していたり、外資金融で活躍して都内に家を持っていたり、広告代理店で世界を飛び回りながら活躍していたり、ニューヨークで働いていたり、、、、、

私も彼らに負けないくらいベンチャー経営者として活き活きと働いてきたし、今も働いている自信もあるが、やはり彼らから多くの刺激を受けてきたことも影響しているように思う。お互い違う道を選んだものの、彼らと会った時に恥ずかしいような働き方はしたくないと。

お金があるとか、給与がどう、ということではない。
胸を張って夢を語れるか、堂々と自分のやっていることを自分の言葉で語れるか、彼らから尊敬してもらえるような働き方ができているかという意味で。


最後に、どんな道を選んだとしても、20代、30代の体力があり自由な時間が多い時に本気で努力して本気で力をつけないと、何者にもなれない。週末や金曜日の夜くらいしか楽しみのない、憂鬱なサラリーマンでいいならいいかもしれないが、ビジネスリーダーとして社会に価値ある何かを残したい、他人よりも充実したビジネスライフを送りたい、そう考えるのであれば、やはり他人よりも努力をする以外に道はない。

努力した人が皆成功しているわけではないが、成功している人は皆人の数倍の努力をしてきている。

改めて道を選ぶ時はどんなに大変でも自分が人一倍頑張り抜けると思える道を選ぶことをお薦めする。

ちょっと株式上場後のドタバタにより、久しぶりのエントリーになっちゃいました(^_^;)

ビジネスをやっている人を大雑把に2つに分けるのであれば、視点の高い経営リーダー的人材と、いわゆる視点の低いサラリーマン的人材に分類されるような気がしている。

我々のような小規模な成長ベンチャー組織を選択する人達は、当然ながら前者をイメージして、前者になりたくて入ってくるわけだが、必ずしも経営リーダー型ばかりかといえば、そうでもないケースはある話し。


一番の違いが能力だと考えている人が多いかもしれないが、実は能力は二の次だと思う。
最も重要な要素は、エネルギーや意識の方向性、つまり矢印が内向きか外向きか、それこそが大きな分岐点になっているのではないだろうか。

つまるところ、自分に意識が向いている人と、自分以外の外に向いている人ということ。

自分に意識が向いている状態というのは、自分の評価や給与、仕事内容、成長、市場価値みたいなことにばかりを意識して仕事をしている人。

自分以外に向いている状態というのは、顧客への提供価値や組織としての成長、成果の向上などを意識しながら仕事に取り組めている人。


この差はかなり大きい。


自分に矢印が向いていると、常に不安だし、常に外部からの評価でしか自信や満足が得られなくなってしまう。これはどんな組織に属しても極めて不安定で本質的に価値があることや信ずる道を進む上では大きな足かせになってしまう。何せ評価されたいから、評価してくれる人を自分も慕うようになり、評価されないことはやりたくなくなっていく。それがどんなに真に価値があると思ったとしても。

そして常に他人との比較の中で生きていくことになるため、常に満足度は低いし、何かあるとすぐにモチベーションが下がりやすい。


一方で外向きの矢印を持つと、社内での評価や出世よりも、生み出している価値や成果や貢献といったことと向き合いながら仕事をすることになる。これは実は極めて重要で、会社組織というのは社外に対して価値を創造するために人が集まってチームを組んだものである以上、社外に対してどんな価値を創造し、どんな成果を生み出すか、でしか評価されない。


わかりやすい例でいえば、自分の評価が組織としての評価よりも重要なタイプはかなり厳しい。
サッカーでいえば、自分が点を取って翌日の誌面で評価されていれば、最悪チームが負けていてもいいと考えるタイプの人。

大事なのはチームとして勝つことにフォーカスし、そこに向き合う中で、その勝ちにどれだけ貢献できるかを真剣に考えぬいてプレイすること。こういう人こそが真に強いリーダーであり、プレイヤーなのだと常に思う。

向上心や負けん気は多いに結構だが、矢印の向きを間違えると、その意欲が単なる出世競争や他人との評価の差や経済格差に対する固執やストレスにつながり、バッドスパイラルに陥る。

誰もが一度は経験する道なのだとは思うが。。。。


そんな時にはこの人のこの言葉が刺さる。


下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ。
小林一三


自分が今任せられていることややるべきだと思うことを本気で楽しみ、周囲の期待を超えたパフォーマンスを出すができれば、ほっておいても自分の信頼や信用力を高める結果となり、より自分のやりたいことによって組織に貢献する機会を得ることができるはず。

上場企業として多くの株主の目に晒されるわけだが、その評価に一喜一憂することなく、我々が生み出す社会に対する価値を少しでも大きくしていくことに集中して取り組んでいこうと思う今日この頃。

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