今日はあくまでも19年近くHR関連業界で仕事をしてきた私なりの見解について書こうと思う。
最近複数の学生から
「アトラエはやりがいや組織づくりを重視していると思うが、自分は経済的な側面にもかなり高い関心を持っていて、その点が不安だ」
という主旨の質問を頂く機会があった。
確かにアトラエという会社には金銭的な報酬には比較的無頓着だったり無関心が人が多いのは事実かもしれないが、私を含めた一部のメンバーは経済的なゆとりを持つことについても普通以上に関心を持っているのではないかと思う。
まあそれはさておき、話は変わるが世の中には4つのタイプが存在する。
市場価値が低いのに給与が高い人
市場価値が高いのに給与が低い人
市場価値も給与も低い人
市場価値も給与も高い人
個人的に結構日本に多いのは、市場価値が低いのに給与が高い人だと思っている。
それも一流大企業にかなり所属している可能性が高い。
というのも一流大企業と呼ばれる組織は既に社会に価値を創造する巨大な仕組みを有しているケースが多い。インフラ系ビジネスなどはその典型であろう。つまりその仕組みを安定的に運営するなり、職務上の工夫を繰り返していくだけで、社会に大きな価値を創造することができる傾向にある。となると個々人が市場価値を高める機会や必要性は少なく、その仕組みの運営方法に精通し慣れることが主たる目的となりやすい。
このタイプの人は、長期的な見地から考えるとかなり危ない状況だと思う。
万が一会社から見放されると、市場価値以上に給与をもらってしまっている以上は、市場で同等の収入を得ることはほぼ不可能となる。多くは会社依存型の人生を歩んでいくことにならざるを得ない。
一方で市場価値が高いのに給与が低い人。
これは会社のステージがどうしてもアーリー過ぎて、本来はバリューを有しているものの、それが十分な社会的価値に転換できずにいる状態である。ベンチャー企業に転職してきた中途の優秀な人材に多いタイプだろう。新卒からベンチャー企業に飛び込んで多くの決断経験や修羅場をくぐり抜けてきたタイプの人材もここに当てはまるケースは多い。
それでも恵まれずに会社自体が創造する社会的価値が十分なレベルまで伸びていかないと、どうしてもそこからの分配である給与水準は市場レベルまであげられないケースがある。このパターンは決断するタイミングが難しい。自分の持つバリューを社会的価値に転換しやすいステージにある組織に移ればすぐにでも見合う条件が得られる可能性が高いものの、将来のアップサイドを含めた夢を抱えて挑戦してきている人が多いだけに、その決断は簡単ではないだろう。
市場価値も給与も低い人は、どこかでゲームをひっくり返さない限りは抜け出せない。
市場価値も給与も高い人は、外資金融や外資コンサルで勝ち抜いた一部の人や、大企業の中で奇跡的に恵まれた挑戦機会を得ることができるほどに運と実力を兼ね揃えたごく一部の人達、そして成長企業で挑戦して多くの修羅場をくぐり抜けた結果、会社が一定以上のステージまで到達した限られた人達が当てはまる。この領域に到達できればもちろんあらゆる意味で安心であろうと思う。
といっても、こういう人達に限って安心や安定にさほど興味を持っていないケースが多かったりもするのだが。。。。
正直、私は人生の報酬は経済条件だけだとは到底思わない。
さらに言うなら経済条件が一番重要な要素だとも思わない。
人生のかなりの時間を費やす仕事に対して、やりがいや夢を感じられるかどうかが何より大事だと思っている。そしてその夢を追いかけ人数倍没頭し続けた結果として、社会に価値を生み出せるようなレベルに到達することができるようになり(つまり市場価値を身につけることができ)、その対価として見合った収入を得ることができるようになることが理想だと思っている。
アトラエでは既に一部の市場価値の高いメンバーは大企業の同じようなレベルの人と比較しても、十分な報酬を得ることができるくらいのステージには到達している。一方で市場価値がまだまだ十分でないメンバーにとっては大企業の同じようなレベルの人と比較すると明確に低いのも事実である。一流大企業ほどに社会に価値を創造する仕組みが出来ているわけでもなく、その中で実力主義で収益を分配をする以上は当然そうせざるを得ない。(よほど戦略的に人材投資をしない限りは・・・)
そもそも大企業では市場価値の差による経済的条件の差はさほど生じないことが多いのだから当然とも言える。
こう書いてみると、ある程度の社会的価値を創造できうる仕組みを持ちつつも、修羅場や決断機会が若くして沢山得られるような企業が最も市場価値と給与のバランスは良さそうだが、大事なのは市場価値をどこでどうやって磨くかということだろう。
市場価値を高めるためには、好きなことに人数倍没頭することが一番の近道なのではないかと思う。アスリートであろうとアーティストであろうとその点は同じような気がする。
自分が人の何倍も没頭し熱中できる、熱狂できる道を見つけ出し、そこで多くの修羅場をくぐり抜け、決断経験を繰り返し、市場価値を高め、社会に大きな価値を生み出すことができるようになれば、遅かれ早かれ経済的にも十二分に満たされることだろう。
既にこれだけいろんなことが満たされている日本において、近い将来、金銭の持つ報酬としての相対的価値はより低下していくだろう。そしてそれに変わって、自身の存在意義を感じること、つまり感謝されることややりがいや信頼を得られることに力点が移っていくのではないだろうか。
そんな時代に、短期的な金銭報酬を第一にして人生の選択を繰り返してきた人達が直面する現実は、かなり厳しいものになることが予想される。
少なくともまだ十分な選択肢が残っている人達には、しっかりと自分の道を考え、決断してもらいたいと思う。
末筆ながら、以上はあくまでも私個人の勝手な見解であることを付け加えさせて頂く。
最近複数の学生から
「アトラエはやりがいや組織づくりを重視していると思うが、自分は経済的な側面にもかなり高い関心を持っていて、その点が不安だ」
という主旨の質問を頂く機会があった。
確かにアトラエという会社には金銭的な報酬には比較的無頓着だったり無関心が人が多いのは事実かもしれないが、私を含めた一部のメンバーは経済的なゆとりを持つことについても普通以上に関心を持っているのではないかと思う。
まあそれはさておき、話は変わるが世の中には4つのタイプが存在する。
市場価値が低いのに給与が高い人
市場価値が高いのに給与が低い人
市場価値も給与も低い人
市場価値も給与も高い人
個人的に結構日本に多いのは、市場価値が低いのに給与が高い人だと思っている。
それも一流大企業にかなり所属している可能性が高い。
というのも一流大企業と呼ばれる組織は既に社会に価値を創造する巨大な仕組みを有しているケースが多い。インフラ系ビジネスなどはその典型であろう。つまりその仕組みを安定的に運営するなり、職務上の工夫を繰り返していくだけで、社会に大きな価値を創造することができる傾向にある。となると個々人が市場価値を高める機会や必要性は少なく、その仕組みの運営方法に精通し慣れることが主たる目的となりやすい。
このタイプの人は、長期的な見地から考えるとかなり危ない状況だと思う。
万が一会社から見放されると、市場価値以上に給与をもらってしまっている以上は、市場で同等の収入を得ることはほぼ不可能となる。多くは会社依存型の人生を歩んでいくことにならざるを得ない。
一方で市場価値が高いのに給与が低い人。
これは会社のステージがどうしてもアーリー過ぎて、本来はバリューを有しているものの、それが十分な社会的価値に転換できずにいる状態である。ベンチャー企業に転職してきた中途の優秀な人材に多いタイプだろう。新卒からベンチャー企業に飛び込んで多くの決断経験や修羅場をくぐり抜けてきたタイプの人材もここに当てはまるケースは多い。
それでも恵まれずに会社自体が創造する社会的価値が十分なレベルまで伸びていかないと、どうしてもそこからの分配である給与水準は市場レベルまであげられないケースがある。このパターンは決断するタイミングが難しい。自分の持つバリューを社会的価値に転換しやすいステージにある組織に移ればすぐにでも見合う条件が得られる可能性が高いものの、将来のアップサイドを含めた夢を抱えて挑戦してきている人が多いだけに、その決断は簡単ではないだろう。
市場価値も給与も低い人は、どこかでゲームをひっくり返さない限りは抜け出せない。
市場価値も給与も高い人は、外資金融や外資コンサルで勝ち抜いた一部の人や、大企業の中で奇跡的に恵まれた挑戦機会を得ることができるほどに運と実力を兼ね揃えたごく一部の人達、そして成長企業で挑戦して多くの修羅場をくぐり抜けた結果、会社が一定以上のステージまで到達した限られた人達が当てはまる。この領域に到達できればもちろんあらゆる意味で安心であろうと思う。
といっても、こういう人達に限って安心や安定にさほど興味を持っていないケースが多かったりもするのだが。。。。
正直、私は人生の報酬は経済条件だけだとは到底思わない。
さらに言うなら経済条件が一番重要な要素だとも思わない。
人生のかなりの時間を費やす仕事に対して、やりがいや夢を感じられるかどうかが何より大事だと思っている。そしてその夢を追いかけ人数倍没頭し続けた結果として、社会に価値を生み出せるようなレベルに到達することができるようになり(つまり市場価値を身につけることができ)、その対価として見合った収入を得ることができるようになることが理想だと思っている。
アトラエでは既に一部の市場価値の高いメンバーは大企業の同じようなレベルの人と比較しても、十分な報酬を得ることができるくらいのステージには到達している。一方で市場価値がまだまだ十分でないメンバーにとっては大企業の同じようなレベルの人と比較すると明確に低いのも事実である。一流大企業ほどに社会に価値を創造する仕組みが出来ているわけでもなく、その中で実力主義で収益を分配をする以上は当然そうせざるを得ない。(よほど戦略的に人材投資をしない限りは・・・)
そもそも大企業では市場価値の差による経済的条件の差はさほど生じないことが多いのだから当然とも言える。
こう書いてみると、ある程度の社会的価値を創造できうる仕組みを持ちつつも、修羅場や決断機会が若くして沢山得られるような企業が最も市場価値と給与のバランスは良さそうだが、大事なのは市場価値をどこでどうやって磨くかということだろう。
市場価値を高めるためには、好きなことに人数倍没頭することが一番の近道なのではないかと思う。アスリートであろうとアーティストであろうとその点は同じような気がする。
自分が人の何倍も没頭し熱中できる、熱狂できる道を見つけ出し、そこで多くの修羅場をくぐり抜け、決断経験を繰り返し、市場価値を高め、社会に大きな価値を生み出すことができるようになれば、遅かれ早かれ経済的にも十二分に満たされることだろう。
既にこれだけいろんなことが満たされている日本において、近い将来、金銭の持つ報酬としての相対的価値はより低下していくだろう。そしてそれに変わって、自身の存在意義を感じること、つまり感謝されることややりがいや信頼を得られることに力点が移っていくのではないだろうか。
そんな時代に、短期的な金銭報酬を第一にして人生の選択を繰り返してきた人達が直面する現実は、かなり厳しいものになることが予想される。
少なくともまだ十分な選択肢が残っている人達には、しっかりと自分の道を考え、決断してもらいたいと思う。
末筆ながら、以上はあくまでも私個人の勝手な見解であることを付け加えさせて頂く。