麻布十番で働くCEOのBlog(旧・南麻布で働く社長のblog)

成功報酬型求人メディアGreenの運営や、インターネットサービスの企画・開発を行う株式会社アトラエの社長のblogです。

2018年12月

2018年も残すところあとわずかです。
今年も例年と変わらず本当にいろんなことがありましたが、大きな病気や事故もないまま、年末のこの時期を迎えられ、少しほっとしています。ソフトバンクのIPOでは未だ大きな含み損を抱えてはいますが、まあそれはそれとして・・・。


さて今年最後のブログは、会社と自分の関係性ということについて書いてみようと思います。

最近いろんなメディアからの取材や、イベントなどでの登壇の機会を頂き、組織作りやエンゲージメントを活かす経営についてお話をさせて頂いています。そんな中でいくつか気付いたこと、改めて実感したことがあります。

それは会社と自分の関係性についてです。

私は会社というのは資本市場において関わる人達が幸せになるための仕組みだと認識しています。そして同じ会社に人が集まる以上、当然ながらなんらか集まる理由があります。それがミッションだったりビジョンでしょう。個人でも会社員以上に稼げる世の中において、わざわざルールや規則があるような会社に属するからには、当然個人で何かをする以上に価値がある何かがそこにあるからであり、それがなければそもそも会社に所属すること自体、極めてナンセンスです。

しかしながら日本で働く多くの会社員にとっては、そういう感覚がないのが実態なのかもしれません。

経営者はわかりやすい。自分の属する会社を成長させ、価値を高めれば、当然ながら自分にも相応の見返りが得られることは容易に理解できます。では社員だったらどうか。多くのサラリーマン的発想の人は、自分の提供する労働力や知恵や成果といったものに対して、対価をもらっている契約関係だと捉えているような気がします。そうなると如何にして提供労力を少なく、獲得対価を多くするか、という発想になるのはある意味当然かもしれません。巨大組織であればあるほど、上手に搾取してやろう、経費を限界まで使い切ってやろうと思うのも、ぶっちゃけ至極合理的なのかもしれません。

しかし本来あるべき会社と個人の関係性というのは、利害が一致しないような関係ではないはずです。会社、会社といいますが、会社というのはあくまでも法的な箱にすぎません。そこに人が集まって初めて経済活動が発生します。つまり会社とは単なる人の集合体であり、そこに属する一人一人がその会社だという考え方の方がしっくりきます。

ただ一般的には取締役以上の人達、いわゆる経営陣と呼ばれる人達が会社で、自分たちは雇われている従業員という発想に陥りやすい。これは会社は株主のもので、株主から経営を任されているのが取締役であるという、ある種の欧米的な考え方が原点にあるのだと思いますが、私はこの発想自体が間違って理解されている、もしくはミスリードを生み出していると考えています。

そもそも万が一上記のような発想であったとしても、会社(経営陣)と個人(社員)の信頼関係が十分に築けていれば問題はありません。しかし多くの企業ではそれができていない。信頼関係がなければ、会社とは個人にとって単なる労使交渉の相手でしかなく、少ない労力で多くの対価をもらいたいと思うのは至極当然です。

だらだらとまとまりがなくなってきたので強引にまとめますが、大事なのは、会社と個人の関係性がどういう状態かということです。会社=自分達、と考えられるような人達の集団(=会社)は組織としてとても強い。会社の目的(=ビジョン)のために本気で、全力で取り組む人達が集まっているチームと、最小労力で最大対価を得ようとする人達が雇われているだけのチーム、どっちが強いかは明白です。

多くの経営者は社員はほっておけば働かない、サボるものと考え、指示命令を出し、管理しようと考えがちです。それは上記したような背景から、社員にとってはそうすることが合理的な選択だから、サボるのです。社員がワクワクするような、心底価値を感じるような目的(=ビジョン)を掲げ、その実現に向けて一致団結し、お互いの信頼関係を築くことができれば、誰もサボろうとはしません。なぜならそうなれば、その会社は自分達の会社だから。

福利厚生や評価制度など、ハードをいくら改善しても、上記のような根本的なところ、いわゆるソフトを改善しない限り、組織は強くはなりません。これらの要素をGoogleでは心理的安全性と言って極めて重視しています。我々の提唱するエンゲージメントという概念も全く同じようなことを意味しています。

言葉はともかく、改めてこういう先の見えない混沌とした時代だからこそ、また個人でも自由に働ける時代だからこそ、人が集まって何かに向かって努力することの意味を今一度考え、そのやりがいや楽しさを感じられる人が増える世の中になったらいいなーと思っています。

2019年、我々アトラエはPeople Tech Companyとして、テクノロジーで人の可能性を拡げるような事業を展開し、少しでもそういう世の中にできるよう、微力ながら社員一同尽力してまいります。

2018年は本当にありがとうございました。あと数日ですが最後まで頑張ります。
そして2019年もよろしくお願いします。

みなさま、良いお年を。
そしてMerry Christmas!!

先日、数人の経営者仲間と「優秀な人」というのはどういう人なのかというテーマで議論が白熱した。

いろんな意見があり面白かったが私が長年経営者として多くの人を採用し、一緒に働いた上で、優秀だなと思う人たちの共通項はこんな感じだった。


・自分の決断や選択に対して迷うことなく突き進める人(ソフト)
・一定レベルの知性とタフさを兼ね揃えている人(ハード)



特にソフト面の方が極めて大事な気がしている。

今の時代の特徴として、情報社会としてあらゆる情報が簡単に入手でき、変化が激しく、正解が見えない混沌とした社会が訪れている。誰かが「その道は正解だよ」と教えてくれるわけではない。ひと昔前のように誰もが知ってる大手一流企業に入社すればあとは頑張るだけで幸せになれる、というようなレールはほぼ存在しない。

そんな時代ゆえに、少しうまくいかないと、また少し周囲の友人達の方がうまくいっているのを目の当たりにすると、どうしても自分の決断や選択に自信が持てなくなりやすいのだと思う。

この背景には、答えを導き出すことを軸に据えた小学校から大学入試に至るまでの日本の教育があるような気がしてならない。常に正解を探そうとし、人と比べて自信をもったり不安になったり、人と違う道を進むことを恐れたり、まさに偏差値教育や多数決によって物事を決めることが当然とされてきた日本の文化の弊害があるようにさえ思える。


話は変わるが私自身は決してエリートでも優等生でもなかった。
友人達も正直少し不良っぽい仲間の方が多かったかもしれない。
しかし彼らはマイナーであることを全く恐れず、自分の価値観や軸を明確に持っている。
かっこいいかかっこ悪いかをすごく大事にする。
結果として多くの友人は通常のエリートとはある意味で異なる道を進みながらも、みんなイキイキと自分なりの人生を送っている。

この事実の背景には、おそらく日本で長年行われて来た教育に背を向けてた人達だからこそ、その弊害を受けることなく、自分なりに考え、自分なりの夢ややりがいを見つけ、紆余曲折ありながらも頑張って歩んできた結果なのではないだろうか。


話を戻すと、弊社でも中心的に長年活躍し続けている数名に共通する要素は、自分の選択や決断に一切の迷いがなく、その選択や決断を正解にする努力ができることに尽きる。能力はみんな異なるし、専門性も全く異なる人達だが、それだけは共通している。


登山をするときに右へ左へじぐざぐしながらも全力で登り続け、道が間違っていることに気づいたら、その時点ですぐに方向転換しながらも、山の頂上を目指すことへの迷いは一切なく、そこへの意欲は持ち続けている奴ら、そんなイメージだろうか。

一方で少し迷うと不安になり、登る山を間違えたんじゃないか、この山の頂上まではたどり着けないのではないか、他の人達はもっと楽して山を登っているらしい、などと考えてしまう人。常に最短ルートで山頂に登ることばかりを意識して、なかなかスピードが上がらない人、不安だから情報ばかり集め、知識ばかりが蓄積されることで余計に失敗を恐れ一歩を踏み出せなくなる人などなど。よくいるもったいない人達である。

改めて、人の能力の差など対してないと思う。
大事なのは能力を発揮する前提となる強い意志である。

迷いながら働く人と、自分の可能性や自分たちの未来を信じて、そして本気で自分がなんとかするんだという強い当事者意識を持っている人達は、すべからくみんな優秀であると私は思う。

エンゲージメントの高い社員ばかりで構成されている弊社でさえ、頭の片隅に常にちょっとした迷いがある人は存在している。そしてそれがその人の成長や進化を鈍らせていると感じることが多々ある。

そういう人達に言いたいのは、今一度、世の中に正解などないこと、そして自分がなぜこの道をこの仲間と進もうと思ったのかということを徹底的に自問自答し、心が決まったら退路を断ち、脇目をふらずに本気で突き進むことこそが大切だということ。


時に周囲の人は自分勝手なアドバイスをする。それでも自分の人生は自分で決めなければならない。多くの人の幸せと自分の幸せは別のものである。悩んで足が止まるくらいなら、間違っているかもしれない道であっても突き進んだ方がいい。その先に見える何かが必ずあるはずである。


私自身もまだまだ道半ばだが、ここまでの我が道に一切の悔いも迷いもない。
今このブログを綴りながら気づいたが、もしかしたらそれだけが自分の唯一最大の強みなのかもしれない・・・・。

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