麻布十番で働くCEOのBlog(旧・南麻布で働く社長のblog)

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2020年05月

リモートワークが当たり前の世の中になり、いよいよ旧態依然としたヒエラルキーによる管理型組織がワークしなくなり、必然的に自律分散型組織への注目が高まってきている。

とはいえそれでもまだ「リモート環境でも部下が働いているか監視するツール」などを全力で探していたり、作ろうとしている人達もいるというから驚きだ。


そういう人たちに「あなたは上司が見てなければサボりますか?」と聞くと決まってこう答える。
「自分は仕事も好きだしやる気もあるので上司が見てなくても当然サボらない。」

自分はサボらないけど、部下はサボると思っている。でもさらにその人の上司からすれば、その人さえも監視してないとサボると思われているわけで、まさにこれが性悪説で作りあげられたヒエラルキー型組織の悪い例。


ちなみに余談だが、人事評価においても面白くて、弊社のような360度評価だと評価者として能力が不足している人が評価するのはどうかと思うというような意見を頂くことが多い。私はそういう人にはこんな質問をしている。

「あなたは部下のことをちゃんと評価できている自信がありますか?」

ほとんどの人はそれなりにできていると答える。次にこう聞いてみる。

「あなた自身への上司からの評価は適切にされていると思いますか?」

多くの人は「・・・・」となる。

自分はできてるけど、自分への評価は適切ではないと考える人がかなり多いということであり、やはり気付かぬうちに自分中心で客観的ではなくなっているということなんだろう。


話を戻すが、リモートワーク中心になり、仕事を細かく指示することも難しくなってきていたり、完全なる職務概要を定めてそれを実行すればいいというケースも知識産業化によって減ってきている。
そういう状況においては、今まで以上に、自らが自らの仕事を創造することが重要になる。もちろん最低限度の役割としてやるべきことはあるが、それに加えて何ができるか何をすべきか、それを自ら考え生み出せる人が活躍する時代に突入している。

言い換えれば、タスクベースで仕事をこなす人よりも、ミッションベースで仕事ができる人の方が圧倒的に価値があるということ。

上司がやるべきことを指示してそれをミスなくソツなくこなすことが優秀だった時代から、目標や戦略方針を理解した上で、自分が何をするのがもっとも貢献できるか、今チームの中で自分が何をしなくてはいけないか、ということを自ら考え実行できる人こそが優秀だと言われる時代が到来している。

こういう時代に個人事業主や経営者が強いのはまさに最初から自分に上司がいないから、自ら考える以外に誰も指示してくれないから。仕事をサボれば自分に跳ね返ってくるし。。。

サラリーマンで給与をもらい、上司に指示されることを実行することに慣れてしまった人は、このリモートワークを機会に、大きく感覚を変えていくべく挑戦してみてほしい。ちょうどうるさい上司から細かく管理監視がされなくなっているこの機会をチャンスと捉えて、今の組織、今のチームで何をすればもっと本質的に目標の実現や顧客価値向上に繋がるかということを考え、生み出し、実行してみるべし。

VUCAと言われる不確実性の高い時代だからこそ、どんな組織でもどんなプロジェクトでも、自分なりの価値を発揮できる人材になっていくことが、唯一最大の安定だと思う。


最後に、このリモートワーク状況で多くの会社が気付いたと思うが、労基法が多くの業界や組織の実態に全く適していないということ。さっさと変えて欲しい。

今回のコロナショックによってリモートワークが不可避となり、腰の重たい大企業も流石にリモートワークを導入し始めざるを得なくなってきた。

最近多くの経営者から、オフィスの縮小を検討しているという話を聞く。その背景としてはリモートワークの方が捗るという社員からの声があるという。

個人的にはその考え方に少し違和感と不安感を抱いている。

もちろんリモートワークに慣れたことと、自宅の環境を整えたことにより、オフィスへの出社が以前ほど必要ではなくなるのは間違いない。そういう意味では多少なりオフィスをスリム化してコスト削減を図るのは当然のことだし、全くもってアグリーである。

ただリモートワークを本当に主たる働き方とするような組織が、この不確実な時代に勝ち残っていけるのかということについては、正直疑問が残る。


リモートワークとの相性という意味では2つの要素が関わってくると考える。

一つはやるべき仕事の質の問題。

やるべきことがある程度明確になっているケースにおいては、リモートワークは効率的な側面を発揮する。例えば事務作業や開発作業などなど。
一方でやるべきことが不明確だったり、考える仕事や企画する仕事などはリモートだから効率が上がるかというとそうではない側面もある。仲間と共に議論したり、無駄に話をしてる中から生まれるものなども多々ある。クリエイティブというのは効率性からは生まれないのかもしれない。


もう一つはエンゲージメントの問題。
よく仕事をライスワークと捉えているか、ライフワークと捉えているか、という話がある。前者は文字通り生活のために稼ぐために働くということであり、後者は生活のためだけではなく、そこにやりがいや生きがいを見出して働くということである。
出社してオフィスで無能で口うるさい上司やがんじがらめの規則に無駄にストレスを感じながらライスワークをしてきた人からしたら、リモートワークは最高の環境なのは想像に難くない。
一方で信頼できる仲間とライフワークに勤しんできた人たちにとっては、リモートワークは効率的で集中しやすいという側面を感じつつも、満たされない気持ちが日に日に増しているのではないだろうか。元来、人は人と協働したり対話したいという欲求を持っている上、それが同じビジョンを目指す信頼できる仲間であれば尚更会いたいと思う方が自然だろう。「寂しい」という気持ちが近いかもしれない。


つまり仕事の質と組織・仲間に対するエンゲージメントの掛け算によって、リモートワークがより望ましいケースとそうでないケースがありうるのだと考える。

ただしVUCA【Volatility(変動)、Uncertainty(不確実)、Complexity(複雑)、Ambiguity(曖昧)】と呼ばれる今のビジネス環境を考慮すると、我々のような事業会社においては、仕事の質はよりクリエイティブで知識労働が中心となり、仕事に生きがいややりがいを感じるようなエンゲージメントの高い組織を作っていかねば勝ち残っていけない。

つまりリモートワークとの相性は決してよくないと考える。

弊社アトラエは長期に渡りエンゲージメントも高く、フラットで上下関係のない自律分散型組織としてビジネスに取り組んできた。働く上でのルールも極小であり、リモートワークへの転換は正直全くもって抵抗なくスムーズだった。

それでもアトラエのメンバーはオフィスに来て働けるようになる日を待ち通しく思っている。
正直私自身も、オフィスで仲間と顔を合わせながら働くということが、いかに自分にとって大切で快適な時間だったのかということに気付かされた。

今回のコロナショックを一つの転機として、会社組織のあり方や働き方は大きく変わるだろう。会社は属する組織から有機的に同じ目標に向かうチームへと進化していき、雇用形態も多様化がますます進んでいく。それはその通りだと思う。

しかし経営者として安易に合理性や効率性に偏った意思決定をすべきではないと考える。組織がパフォーマンスをあげるということはそんなに単純な話ではない。VUCAと呼ばれる時代だからこそ、エンゲージメントが高く、変化に柔軟に適応する自律分散的な組織を作ることが重要ではないか。

もちろん人は弱い。一人でそうそうストイックに頑張れるような人は多くない。
それを自ら理解・認識した上で、だからこそ仲間と同じ空間で、対面しながら一緒になって切磋琢磨する環境を選択するような人たちが集まった組織が真に強い組織ではないだろうか。

「関わる人たちを幸せにする」ためにも、組織の生産性は極めて重要なファクターだと考えているが、決して効率的で合理的な働き方をすることが大事なわけではないし、それが長期的に見て高い生産性につながるとも思っていない。一見無駄に感じる世間話も、ランチや飲みの時間も、仲間と経験するあらゆる時間が自分達の人生を豊かにしてくれるし、ライフワークをより魅力的なものにしてくれる。

無駄やミスを許容し、人が生き生きと社会に価値あるビジネスに取り組める、そんな組織にとっては、仲間が集まるオフィスはこれからも極めて重要な自分達の基地なのかもしれない。

流行りのZoom飲みももちろん楽しいが、私個人としてはやはり友人達と顔を合わせて同じ空間で酒を酌み交わす時間が待ち遠しい。
早くそんな当たり前だった日常が戻ってきてくれることを祈ってやまない。

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