強すぎる経営トップがいる会社は社員が考えなくなる。

そんなフレーズをとある論文で目にした。

なるほど、そういうこともあるのか。

確かにそういう傾向はいろんな組織で見られる。

しかもこれは経営トップだけの話しではなく、事業部やグループなどの小単位であっても、そこのトップが能力高く、またリーダーシップが強すぎると、その下で働く人達はいつのまにか頼りすぎるようになる傾向が強まり、自分で考えたり、自分で判断したりという習慣が薄れていく傾向がある。


私自身、自分で言うのもおこがましいがもともとはリーダーシップの強いタイプの経営者だと自覚している。一方でボトムアップで意見が上がってこないことや、自分と同じ視点で物事を考えたり、同じレベルで判断できるような経営幹部層が育ってこないことに頭を悩ませていたこともあった。


若きし頃は「なんでもっと考えないのか」と社員を叱咤激励していたように思う。


それによって余計に萎縮し、完全なるサラリーマン化が進む。
考えることをしなくなり、上司からの指示や決断を待つような姿勢になってしまう。
勿論ある意味、その上司に期待したり、その上司の能力を信頼しているがゆえでもあるのだろうが、組織としてはそれは弱体化に他ならない。


前職でマネジメントしているときは、自分が未熟だったこともあり、あまりそういうことにまで気配りできてなかったと感じている。


ただ今回の論文もそうだが、以前に目を通したビジネス誌でも同じような内容を拝見したのをきっかけに、経営幹部層が育たないことや、社員が提言を上げてこないのは、自分の責任なのではないかと考えるようになってから、いろいろと意識して変えるようにしてきた。


そこからは、事業責任者や現場のリーダーに裁量と権限を可能な限り委譲したり、私なりの結論がありながらも、以前のように論理武装して説得したりするのではなく、単なる一意見として提案し、そこから議論を重ねることで、みんなにも考えてもらうように努めてきたりしてきた。


ま、それも努めてきたつもりなだけかもしれないが(笑)。


一応それ以来は少しづつながらだが、社員が考える機会が増えたように思うし、そういう習慣が少しづつ出来てきたし、何よりも一番大きいのは力ある人間が経営者に代わって自覚を持ち必至になって考えるようになった。


経営者やリーダーとして、本当に強い組織を作るためには、仕組みを完璧に築き上げたり、戦術を落とし込んで実行させたりするようなことだけではなく、組織に一定の遊びを許容する度量というか器を持つことも大事なのだとつくづく感じる。


でも人ってそういうちょっとした意識の変化から成長のきっかけを掴むもの。
人を育てるためには、教育プログラムなんかではなく、いかに考える機会、その人に合ったオポチュニティを提供するか。


と偉そうに言ってみたものの、自分で発見したわけではなく、いろんなビジネス誌やビジネス本で言われていること、そして自分自身が実践の場で何度も目の当たりにしてきたことでしかないのですが。。。


ブログを書いてるうちにふと思った。

社長が何でもできるカリスマであるよりも、いろいろと頼りない部分が多いような社長の下にいる社員のほうが、成長機会が多いのかも?!


ちなみに決して責任放棄をするつもりはありません(笑)。