昨日のサッカー日本代表の韓国との試合を見て、多くの人が絶望し、ワールドカップに対するモチベーションを大きく下げたことと思う。

私自身もオフィスにいながら、ちょくちょく仕事の合間合間に社員の持つ携帯で視聴していたが、同じようにがっかりした。


ただこれは岡田監督の問題ではないような気がする。

日本のサッカー教育全体の影響があるのではないだろうか。


私自身も小学校1年生から高校3年生までサッカー部に属してきた。

私の高校は、私の1つ上の代の時に都大会決勝まで勝ちのぼり、TV放映されたくらいなので、それなりにサッカーには真剣に取り組んでいる高校だろう。


昨日の日韓戦を見ながら、ちょっとその頃の記憶と重ね合わせながら、日本のサッカースタイルにおける一つの課題みたいなものを感じた。

日本の課題は、

?総じてドリブルが下手である

?総じてドリブルを仕掛けない

ということにあるのではないだろうか。


あくまでも私が感じた感覚値でしかないので、誰かが録画を見て分析してくれると嬉しいのだが(笑)。


もしこの仮説が正しいとしたら、恐らくその背景には「遊び」が少ないことがあるような気がする。これは一種の国民性、しいては教育の有り様によるものともいえるかもしれない。


思えば私の高校時代の監督も、ドリブルを仕掛けて失敗することや、トリッキーなテクニックに挑戦して失敗することを極度に嫌う傾向があった。

もともとサッカーをやっている人達はサッカーが楽しくてやっているのに、いつからか、気付くと勝つことばかりに重きが置かれ、楽しいという感覚を失っているのではないか。

失敗しちゃいけない、点を取らないと、点を取られないようにしないと、と義務感や責任感ばかりが強くなることで、リスクテイクした挑戦やポジティブなイメージを持ちづらくなってしまっていたのではないだろうか。


勿論当時はそんなことにも気付いておらず、高校に入ってから次第にサッカーを楽しめなくなっていき、もともと楽しいことしかやりたくない性分である私は、少しづつサッカー熱が冷め、ハードな練習に対してもフルコミットしなくなっていったことを覚えている。

まあ私の根性が足りなかったということも過分にあることは否定できないが・・・(悲)。


私なりの結論としては、日本はスポーツに限らず、教育者のレベルをもう少し底上げする必要があるということ。

そのためには教育者の社会的地位をもっと高める必要がある。

実際に私の周囲の優秀なビジネスパーソンには、教育に関心のある人間が少なくない。でもその中で実際に教育という道に飛び込む人は極めて稀。


勿論元リクルートの藤原氏やワタミの渡邊美樹社長のような方も存在するが、もっともっとその裾野を広げていくことが求められるような気がする。

日本がビジネス、スポーツ、あらゆる分野で国力を回復させるためには、教育の見直し、教育者の底上げを図っていく必要があるのではないだろうか。

勿論教育者は育てるものではなく、そもそも社会人として一流の人材が教育に飛び込みやすくなるような工夫が大事なのだと感じる。

さてここまで書いて何の話をしたかったのかわからなくなってきたので、このあたりまでにしておこう(笑)。


しかし日韓戦からこんなことを妄想している変わり者は私くらいだろうな・・・。