弊社の採用におけるMust条件の一つとして「利他の心を持っているか」という条件がある。

利他の心とは言うまでもなく利己心の反対。

辞書などには、

他人に利益となるように図ること。自分のことよりも他人の幸福を願うこと

などという記載がある。

我々はチームで勝つことを再重要視しており、そのためには能力も去ることながら、能力以上に利他の心が大事だと思っている。もう少しわかりやすく言い換えれば、チームの全体最適を最優先に考えられるかどうかということ。そういう人材を常に求めてきた。

一方で、一つ間違えるとお人好し集団になってしまうリスクもある。
目指している厳しく高い目標に対して、全くと言っていいほど手が届いていなくても、その人の心境や努力、苦労などが手に取るようにわかってしまうが故に、お互い厳しいことを言いづらいという雰囲気になってしまっていることも多々あるように感じる。

では本当にそれが「優しい」ということの本質なのだろうか。

私はそうは思っていない。
逆に悪しき慣習だと思っているくらい。

プロのチームに入った以上は、お互いが極めて高いレベルで切磋琢磨し合うべきで、努力や挑戦には一定の敬意を払いつつも、最終的には成果を出し貢献することこそが大事なのは当然のこと。
それが出来ていない人を甘やかすようなカルチャーであっては、世界で活躍する有数の組織になんてなれるはずもない。

弊社も当然だが仲間に対して厳しく言えない、間違っていても指摘できない、なんていう仲良しサークルのような組織にするつもりは毛頭なく、お互いが信頼し合い、尊敬し合いながら、高みを目指して切磋琢磨するプロの集団になっていかないといけない。

しかも管理職という階層が存在しないアメーバ的フラット構造の組織であることにこだわりを持っているからこそ、お互いがお互いを指摘しあえるようにならないといけない。上司が部下を叱ったり指摘したりという従来のピラミッド構造のような関係性がないことによる弊害の方が大きくなってしまっては、何のためのフラット構造かがわからなくなってしまう。

もちろん自分にも厳しい事は大事だが、お互いに気付いたことやその人の成長のために、指摘をし合える、そして高いレベルを要求し合える、そんなカルチャーの組織を目指して行きたい。

それによって仲間達のレベルが上がっていき、市場価値も高まり、組織も成長できれば、そんな素晴らしいことはない。

親が自らの子供に対して持つような、甘やかしたり嫌われないようにするだけではなく、その子のためを思って厳しく叱れるような、そういう本質的な意味での優しさを仲間に対して持てるような組織を目指したい。