ここ数日ニュースで取り上げられないことがないSTAP細胞。
この一件については何だかいろんなことを考えさせられた。

私自身が最終的に辿り着いた感覚は『人間、特に日本人という民族は極めて「妬み」「嫉妬」という感情が強い』ということ。

小保方さんや共同研究をされていた方々に悪意があったのか、それとも単なるミスだったのかは当然ながら私にはわからないしわかるはずもない。

これは私だけではなく、世の中のほとんどの人達にとっては未だ事実はわからないはず。


しかし世の中の報道や評論家の意見、そしてそれをニュースソースとした多くの人々の怒りや批判の数々は、もはや悪意があったと信じこんでいるかのようにさえ受け取れるほどに厳しいコメントばかり。

もちろん関わった方々やその論文を元に再現してみようと努力された方々、さらには同じ業界で努力されている方々からしたら、一言もの言いたい気持ちもわからないでもないが、我々一般人からすれば別段何ら被害を被るわけでもない。極端な言い方をすれば、どういう結果になろうと、STAP細胞をきっかけに生物学の世界や理系の世界に興味を持つ若者が増えてくれるのであればプラスなんじゃないかとさえ思う。

にも関わらず鬼の首を取ったかのような報道、誹謗中傷が増長する背景には、やはり紛れも無く「妬み」「僻み」「嫉妬」という人間の弱さが透けて見えてくる。


とここまで書いていたときにふとなんでこんな感情を持ったのかと思ったら、あまりに自分と分野や領域、年齢や性別などが違い過ぎて、特段の感情を持たずに事実の推移だけを見ていたのだということに気付いた。

正直これが自分と同じ起業家の世界だったり、経営やビジネスという領域であったのであれば、恐らくそれなりの妬みや僻みを持ってしまう気がする。そして今回のようにその成功に曇りが見えたときにはこぞって叩きたくなってしまうかもしれない。
それが人間が本来持つ弱さなのだろう。私自身もどちらかというと競争意欲や負けん気が高い性格が災いしてか、他人の成功を心から喜べるほど出来た人間ではないと自覚している。

一般的に自分の人生が本当に満たされていて、自信を持っていさえすれば人の幸せは心から祝福できる。

しかし自分に余裕がなかったり、自分がうまくいっていないときほど、他人の幸せを素直には喜べないのが人間の弱さであり、それこそが人間の本質なのだろうと思う。


今後ますます停滞感や閉塞感が高まっていってしまうと、日本は国全体として今まで以上に妬みや僻みが表面化してしまい、成功者を目指して努力する人達を後押しするどころか、叩き潰してしまい、国全体としてネガティブスパイラルにはまってしまうような不安を感じざるを得ない。


そんな国にしないためにも、大切なのは他人を下げることによって相対的に自分を持ち上げようとするのではなく、良い意味で切磋琢磨しながら、自分自身の人生を自分の価値観に基いて向上させていくべく努力をすることなのだと感じる。


小保方さん含め皆さん大変に苦しい立ち場にあろうと思うが、過ちがあるなら認めて反省して頂く必要性はあろうとは思いつつも、ぜひ諦めずに、人類の希望を乗せたSTAP細胞の存在を再度証明してくださることを心から期待したいものである。