弊社でもかなり多くの転職希望者と面接しているのだが、ほとんどの人がすごく自分の将来について悩み、考え、気にしている。
まあ当然といえば当然なのかもしれないが、そこばかり気にして今を全く楽しめなかったり、不安に押しつぶされてしまっては元も子もないわけで。

なんだかそういう人を見ていると、老後が心配過ぎてとにもかくにも貯蓄をしないとと楽しむことを抑制しながら節約しまくっていたら、ある日病気が発覚し、楽しみを知らないままに人生を終えました、なんていうことになりかねないような気がしてならない。

うちに入社する上でも「◯◯◯◯みたいなことをやらせてもらえますか?」「△△がやりたいんですが可能でしょうか?」「35歳までに年収◯◯◯万円は欲しいんですが問題ないでしょうか?」という人が結構いる。

でもこの質問って明らかに答えられるわけないよね。
答えられるとしたら、社内の実例としてこういう人はいるよ、こういう年収の人はいるよ、ということくらい。そりゃそーで、サイバーエージェントだって上場前は1000万円以上の社員なんて一人もいなかっただろうし、どちらかといえばみんな薄給の中、労基法も無視してがむしゃらに自分達の成し遂げたいことに熱中していたはず。

その結果として今のサイバーエージェントがあり、その頃にとんでもなく仕事していた人達は、その時のとてつもない経験を武器に、今でもサイバーエージェントやグループの根幹を担うリーダーとして大活躍しており、恐らくそれらのほとんどの人は一財産築いているだろうし、今でも相応の給与をもらっていると思う。

でもそれって計算できたわけでもなく、本気で頑張って価値ある会社や事業を作り上げてきたからであり、あくまでも結果でしかない。

日々一緒に働く中で、周囲からの信頼や尊敬を得られるだけのパフォーマンスや意欲を発揮しているとしたら、その人はかなり自分のやりたいことを任せてもらえるはず。そんなの考えるまでもない。わざわざ仕事もできるし、意欲もある人に、本人がやりたくないといってることをやらせ続ける意味なんて全くない。もちろん組織論理の中で一時的には自分の希望通りじゃないことも担ってもらう必要がある時もなくはないが、それが続くことなんてありえない。そもそもそれならさっさと辞めればいいだけ。

今の世の中、大企業だって数年先はどうなっているかわからないのに、自分の未来のキャリアや年収や仕事内容を今の段階からデザインしようなんて不可能に決まっている。

結婚するときだって数年後に相手のことが好きかどうかなんてわからなくても、自分が信じられる道を選び、その道を自分の努力で正解にしていくしかないのと同じこと。

正解を探すような転職活動ではなく、自分が選んだ道を自らの努力と意志で正解にすることでしか、幸せなワーキングライフなんて得られない。


キャリアの語源はラテン語のCarraria(馬車などの乗り物の通り道=轍)だと言われている。
キャリアとは自分達が通った後にできる道のこと。つまり自分達が進んでいく前に敷かれているようなものでは決してなく、自分達が試行錯誤・努力して突き進んできた結果として後ろについてくるものがキャリアなのだということ。


自分が人生を賭して本気になれること、心底社会に価値があると思えること、楽しいと思えること、熱中できること、を選び、誰よりも本気で取り組むことがもっとも幸せなのではないかと思う。

そしてそういう人の多くは、どこかしらのタイミングで経済的にも豊かになっている人が多いのも、決して偶然ではないのだろう。

なんでも打算的になったり、計算高くなっちゃ、逆に幸せが遠のく気がする。
もちろん小金持ちくらいにはなれるかもしれないけど、それはそれで別に楽しくないことに気付くんだろうなー。

ということで、先のことばかり考えてないで、毎日熱中して最高に楽しく生きる道を探すべし!
どうせ先のことなんてわからないんだから。
そして、本気でやった人だけにしか見えない景色がきっとあるから。