先日、数人の経営者仲間と「優秀な人」というのはどういう人なのかというテーマで議論が白熱した。

いろんな意見があり面白かったが私が長年経営者として多くの人を採用し、一緒に働いた上で、優秀だなと思う人たちの共通項はこんな感じだった。


・自分の決断や選択に対して迷うことなく突き進める人(ソフト)
・一定レベルの知性とタフさを兼ね揃えている人(ハード)



特にソフト面の方が極めて大事な気がしている。

今の時代の特徴として、情報社会としてあらゆる情報が簡単に入手でき、変化が激しく、正解が見えない混沌とした社会が訪れている。誰かが「その道は正解だよ」と教えてくれるわけではない。ひと昔前のように誰もが知ってる大手一流企業に入社すればあとは頑張るだけで幸せになれる、というようなレールはほぼ存在しない。

そんな時代ゆえに、少しうまくいかないと、また少し周囲の友人達の方がうまくいっているのを目の当たりにすると、どうしても自分の決断や選択に自信が持てなくなりやすいのだと思う。

この背景には、答えを導き出すことを軸に据えた小学校から大学入試に至るまでの日本の教育があるような気がしてならない。常に正解を探そうとし、人と比べて自信をもったり不安になったり、人と違う道を進むことを恐れたり、まさに偏差値教育や多数決によって物事を決めることが当然とされてきた日本の文化の弊害があるようにさえ思える。


話は変わるが私自身は決してエリートでも優等生でもなかった。
友人達も正直少し不良っぽい仲間の方が多かったかもしれない。
しかし彼らはマイナーであることを全く恐れず、自分の価値観や軸を明確に持っている。
かっこいいかかっこ悪いかをすごく大事にする。
結果として多くの友人は通常のエリートとはある意味で異なる道を進みながらも、みんなイキイキと自分なりの人生を送っている。

この事実の背景には、おそらく日本で長年行われて来た教育に背を向けてた人達だからこそ、その弊害を受けることなく、自分なりに考え、自分なりの夢ややりがいを見つけ、紆余曲折ありながらも頑張って歩んできた結果なのではないだろうか。


話を戻すと、弊社でも中心的に長年活躍し続けている数名に共通する要素は、自分の選択や決断に一切の迷いがなく、その選択や決断を正解にする努力ができることに尽きる。能力はみんな異なるし、専門性も全く異なる人達だが、それだけは共通している。


登山をするときに右へ左へじぐざぐしながらも全力で登り続け、道が間違っていることに気づいたら、その時点ですぐに方向転換しながらも、山の頂上を目指すことへの迷いは一切なく、そこへの意欲は持ち続けている奴ら、そんなイメージだろうか。

一方で少し迷うと不安になり、登る山を間違えたんじゃないか、この山の頂上まではたどり着けないのではないか、他の人達はもっと楽して山を登っているらしい、などと考えてしまう人。常に最短ルートで山頂に登ることばかりを意識して、なかなかスピードが上がらない人、不安だから情報ばかり集め、知識ばかりが蓄積されることで余計に失敗を恐れ一歩を踏み出せなくなる人などなど。よくいるもったいない人達である。

改めて、人の能力の差など対してないと思う。
大事なのは能力を発揮する前提となる強い意志である。

迷いながら働く人と、自分の可能性や自分たちの未来を信じて、そして本気で自分がなんとかするんだという強い当事者意識を持っている人達は、すべからくみんな優秀であると私は思う。

エンゲージメントの高い社員ばかりで構成されている弊社でさえ、頭の片隅に常にちょっとした迷いがある人は存在している。そしてそれがその人の成長や進化を鈍らせていると感じることが多々ある。

そういう人達に言いたいのは、今一度、世の中に正解などないこと、そして自分がなぜこの道をこの仲間と進もうと思ったのかということを徹底的に自問自答し、心が決まったら退路を断ち、脇目をふらずに本気で突き進むことこそが大切だということ。


時に周囲の人は自分勝手なアドバイスをする。それでも自分の人生は自分で決めなければならない。多くの人の幸せと自分の幸せは別のものである。悩んで足が止まるくらいなら、間違っているかもしれない道であっても突き進んだ方がいい。その先に見える何かが必ずあるはずである。


私自身もまだまだ道半ばだが、ここまでの我が道に一切の悔いも迷いもない。
今このブログを綴りながら気づいたが、もしかしたらそれだけが自分の唯一最大の強みなのかもしれない・・・・。