おかげさまで最近は日々多くのメディアからの取材依頼を頂いている。
そのほとんどは働き方改革やエンゲージメント、組織運営や社員を活かす組織作りなどの文脈なのだが、その中で頻繁にお話ししている労使関係からの脱却とチーム作りについて少し整理して見ようと思う。


従来、会社組織というのは労使関係というものが存在してきた。今もほとんどの会社で存在している。その背景には、炭鉱業や鉄鋼業や製造業など、巨大資本を必要とする産業において、資本家なしには事業を生み出すことさえ難しく、それによって雇用が生まれてきた。また当時は資本家の多くは、経営者であり、つまり労使の「使」はいわゆる資本家であり経営者のことだったのだと推察される。

この場合、労働者という立場からすれば、労働を提供し、対価として給与を得るわけであり、合理的に考えれば、提供する労働力や労働時間を最小化し、対価を最大化したいという考えになりやすい。対価というのは給与もそうだし、会社の経費による飲食なども該当する。

一方で「使」である経営者からすれば、いかにコストを抑えつつパフォーマンスを出すかを考えるのが一般的だろう。つまるところ、安い投資でたくさん働いてもらいたいという意識を持ちやすい。

これが労使関係における至極合理的なメカニズムである。

だからこそ経営者は労働者を管理・監視しようという感覚になるし、労働者としては経費でもなんでも予算枠いっぱいまで使おうという感覚になる。

ある意味でいえばよほどバランスよく運営していかない限りは、一種の利害相反が起きやすい構造だといえる。


私自身はその感覚を徹底的に変えたいと思って組織作りをしてきた。
私は会社とは「関わる人たちを幸せにするために人が作り出した仕組み」だと思っている。関わる人たちというのは、狭義でいえば、社員・顧客・株主であり、広義でいえば、その家族やパートナーや社会というイメージである。さらには、ビジネスという領域で何か成し遂げたいことを成し遂げるために人が集まったチームであると考えている。成し遂げたいことがビジョンやミッションと呼ばれるものだと考えている。

つまり会社とは、ビジョンやミッションの実現のために、それに共感・賛同した人たちが集まり、その実現に向けて切磋琢磨するチームのことではないのだろうか。

そういった考え方に加え、昨今の知識産業では巨大資本が不要になってきていたり、経営者とは別の資本調達手法が充実してきていることから、従来の労使関係を引きずる必要性もないと考える。

そういった背景や考え方に基づくと、給与というのはチームとして社会に生み出した価値に対する対価の配分だと捉えた方が納得感がある気がしている。端的にいえば、みんなで頑張って稼いだ原資を、株主と社員と事業への再投資(顧客)で分配するわけであり、その社員分をどうやって一人一人に配分するかということでしかないのではないか。

そう考えれば、生産性は高めたりコストを下げたりする方が自分達の給与原資を増やすことができうるわけで、社員としても経営者と同じように考える合理性が高まる。つまり労使の利益相反はほぼなくすことができる。これが新しい時代の会社組織においてあるべき関係性だと考える。

労使関係からチームへ

経営者も社員も一致団結して、一つのチームとして価値あるビジョンの実現へと熱狂する組織であり続けたいものである。