相変わらずドタバタしており、ついついブログの更新も億劫になってしまいがちな令和元年。

今朝の朝会(社員全員での週初めの情報共有の場)でとあるメンバーから「人と違う道を選択するのが不安だった」というような話があった。

思えば私自身も45年の長い人生のかなりの意思決定において、人と異なる道を選択してきたような気がする。

1997年に内定をもらったインテリジェンスへの入社を決断。
これは親族はもとより、教授、友人、ほぼ全ての人達から猛反対を受けるようなことだった。
思えばそのあたりから感覚は麻痺していたのかもしれない。
1998年に同社に入社するも、根性試しとでも言おうか、私からすれば無意味だと思えるような名刺獲得ノルマについても全て無視して、自分が価値あると思える仕事にのみ取り組んだ。
その後、社内でもそれなりの評価を頂き、子会社の社長や主力事業部のリーダーに抜擢いただくも、2003年には独立起業の道を選択。
その時も親族含め多くの人から「もったいないから辞めない方がいい」「なぜ出世ラインのど真ん中にいるのに辞めるんだ」と言われた。入社時に入社することを反対していた人達さえもが、今度は辞めることに反対するのだから、もはや笑うしかなかった。


起業後も、土地勘のあるアナログ人材ビジネスからインターネット企業へと転換する決断をする際にも、高収益のアナログ人材ビジネスを残すべきではないかという多くの意見を全て突っぱねて、売上が一時的に落ちようとも、完全にインターネット企業へと転身することを決断した。周囲からはそういうパターンでうまくいった企業は見たことはないと言われたり、理想を追求しすぎるのがお前の欠点だと言われたりもした。

日本というのはほぼほぼ単一民族に近い国柄だからなのか、島国という特性なのか、村社会の名残りなのか、同調圧力が極めて高いという印象がある。多様性への理解がとんでもなく低いように感じる。

野茂やイチローがメジャーリーグに挑戦したときも、期待や応援する声よりも批判する声が多かったように思う。中田がセリエAに挑戦したときもそうだったように記憶している。

私がそんな状況下であっても、多少なり人と異なる道を選択し、ここまでやってこれた背景には、USENの宇野さんやサイバーエージェントの藤田さん、DeNAの南場さんといったファーストペンギン的な先輩起業家の存在が極めて大きい。

会社組織においても、自分の経験や知識を超えた挑戦やアイディアはなかなか理解できないもの。つい批判したり否定したくなる。しかし自分が理解できないことを、受け入れられない組織においては、イノベーションは生まれない。

アトラエが目指すフラットで民主主義的な組織というのは、決して多数決で物事を決めるような保守的な組織ではなく、個性や異端を許容し、多様性を武器とし、多数決ではなく、最適な知見や経験を有する人が勇気と責任を持って意思決定するような組織であり、共に信頼しあいながら一つのビジョンの実現に向けて切磋琢磨できるような組織だと思っている。

すでにアトラエそのものが他の組織とは違う道を進んでいる。
当然失敗すれば叩かれることも多くなるし、今までもそんなやり方はうまくいかないと言われ続けてきた。
それでも自分達が信ずる道を選択し、ファーストペンギンとして次世代の理想となるようなビジネスチームを構築していくこと、それこそが「世界中の人々を魅了する会社をつくる」というビジョンに込めた想いである。

一部上場したくらいで成功したつもりになって保守に回ったり、大多数が常識だと言うような道に安易に流されることなく、常にアトラエらしく、そして常に挑戦者であり続けたい。