最近メディア取材や講演などが多く、発信する場が増えてきたので、ブログは少しサボってたのですが、久しぶりに投稿してみます。
これも様々な取材などで頻繁に言っているワーディングですが、会社は関わる全ての人々が幸せになるための仕組みであるということ。
少し前の米国のビジネススクールなどでは、株式会社とは株主の利益の最大化を目的とした組織や株式会社の所有者は株主であるというような表現が多かったように思います。もしこの表現が正しいとすると、働く人達は株主の利益を増やすために努力するということになります。すごく感覚的に言えば、私は「そんなことのために人生の時間を費やしたくない」、当時若かりし頃に上記のような説明を聞いた時は率直にそう思いました。
もう少しいろんな知識が身につき、経験を重ねていく中で思ったのは、自分達が株主の会社であれば、株主の利益の最大化を目指して働くということが、イコール自分達の利益の最大化に繋がるということ。まあ今思えばなんとも利己的な若造でした(笑)。
さらに苦難を乗り越え経験を積んでいく中で感じたのは、だったらこれから雇う株主ではない社員達はなんのために働くのか?という疑問です。自分達一部の創業者は株主=自分達なのでわかりやすいですが、今後増えていく社員達のことを考えると、結局これって自分が最初に「そんなことのために人生の時間を費やしたくない」と思ったのと同じだと。。。。
そういった思考プロセスを経て結果的にたどり着いた考え方は、
会社=関わる全ての人々が幸せになるための仕組み
という考え方。
1600年に最初の株式会社としてオランダで生まれた東インド会社の時から、まさにWin-Win-Winの関係性によって絶妙なバランスを保っていたのが株式会社という仕組みなのでしょう。近江商人が信頼を得るために、売り手と買い手がともに満足し、さらに社会貢献もできるのが良い商売であると考えていた三方よしの精神もまさに同じです。
現代の株式会社にとって関わる人々とは、「社員」「顧客」「株主」「社会」ということになろうかと思います。もちろんパートナー企業や社員の家族なども広義には関わる人であることはいうまでもありません。
この関わる人々が幸せになれていない状況のまま、社員数だけ増やしたり、売上だけ増やしたり、事業だけ広げていっても、それは継続性に疑問がありますし、個人的にはそもそもその会社の存在意義を疑います。
そんな会社を作るくらいなら、数人で腕によりをかけた素晴らしい小料理屋を営み、日々近所の常連さんが喜んで足を運んでくれる、そんな生業の方が関わる全ての人々の幸せを実現しているという意味では価値があると感じます。
では我々はなぜ東証一部に上場してまで実現難易度が高いビジョンを掲げて挑戦しているのか。
それはやはり関わる全ての人々が幸せになるための仕組みとして、関わる全ての人々の対象範囲を広げていくことができたら、それこそめっちゃかっこいい、そう思ったからにすぎません。
寿司職人として自分でお店を出し、常連さんが足繁く通う名店も素晴らしい。
でもそういう素晴らしい寿司文化を世界に広げようと挑戦する人もそれはそれで素晴らしい。
大切なのは関わる人々が、その活動や存在を通して幸せになっているかどうか。
その対象範囲が広ければ広いほど、その組織や活動の存在意義があるように感じます。
昭和時代、高度経済成長期の日本においては、一部そういう家族主義的な会社組織があったと聞きます。ただその時には顧客と社員という視点が強すぎて、株主の幸せを実現するという概念は少し置き去りにされていたのかもしれません。一方で近年の資本主義においては、株主利益の最大化に偏った考え方が長期に蔓延していました。頭がいい人ほどそれが正しいとしてきました。
それがここ最近、米国の主要企業の経営者団体ビジネス・ラウンドテーブル(BRT)が、顧客や従業員、サプライヤー、地域社会、株主などすべてのステークホルダーを重視する方針を表明したりと、世の中の流れは間違いなく本質的なところに立ち戻らざるを得なくなっているのではないでしょうか。
SDGsへの強い関心や流れなども、まさに人類にとって原理原則本質論への回帰であり、株式会社の意味を問い直すことと近しいベクトルを感じます。
新型コロナウィルスにより世界中がパンデミック状態で、経済的な損失も計り知れないですが、こういう時こそ組織のリーダーは、関わる全ての人々の幸せのためにできることをしていく必要があるのでしょう。
私ごときに何ができるのかはわかりませんが、社員と協力し、世の中が少しでも早くまた活気を取り戻し、幸せな人が少しでも増えるよう、全力を尽くしたいと思います。
これも様々な取材などで頻繁に言っているワーディングですが、会社は関わる全ての人々が幸せになるための仕組みであるということ。
少し前の米国のビジネススクールなどでは、株式会社とは株主の利益の最大化を目的とした組織や株式会社の所有者は株主であるというような表現が多かったように思います。もしこの表現が正しいとすると、働く人達は株主の利益を増やすために努力するということになります。すごく感覚的に言えば、私は「そんなことのために人生の時間を費やしたくない」、当時若かりし頃に上記のような説明を聞いた時は率直にそう思いました。
もう少しいろんな知識が身につき、経験を重ねていく中で思ったのは、自分達が株主の会社であれば、株主の利益の最大化を目指して働くということが、イコール自分達の利益の最大化に繋がるということ。まあ今思えばなんとも利己的な若造でした(笑)。
さらに苦難を乗り越え経験を積んでいく中で感じたのは、だったらこれから雇う株主ではない社員達はなんのために働くのか?という疑問です。自分達一部の創業者は株主=自分達なのでわかりやすいですが、今後増えていく社員達のことを考えると、結局これって自分が最初に「そんなことのために人生の時間を費やしたくない」と思ったのと同じだと。。。。
そういった思考プロセスを経て結果的にたどり着いた考え方は、
会社=関わる全ての人々が幸せになるための仕組み
という考え方。
1600年に最初の株式会社としてオランダで生まれた東インド会社の時から、まさにWin-Win-Winの関係性によって絶妙なバランスを保っていたのが株式会社という仕組みなのでしょう。近江商人が信頼を得るために、売り手と買い手がともに満足し、さらに社会貢献もできるのが良い商売であると考えていた三方よしの精神もまさに同じです。
現代の株式会社にとって関わる人々とは、「社員」「顧客」「株主」「社会」ということになろうかと思います。もちろんパートナー企業や社員の家族なども広義には関わる人であることはいうまでもありません。
この関わる人々が幸せになれていない状況のまま、社員数だけ増やしたり、売上だけ増やしたり、事業だけ広げていっても、それは継続性に疑問がありますし、個人的にはそもそもその会社の存在意義を疑います。
そんな会社を作るくらいなら、数人で腕によりをかけた素晴らしい小料理屋を営み、日々近所の常連さんが喜んで足を運んでくれる、そんな生業の方が関わる全ての人々の幸せを実現しているという意味では価値があると感じます。
では我々はなぜ東証一部に上場してまで実現難易度が高いビジョンを掲げて挑戦しているのか。
それはやはり関わる全ての人々が幸せになるための仕組みとして、関わる全ての人々の対象範囲を広げていくことができたら、それこそめっちゃかっこいい、そう思ったからにすぎません。
寿司職人として自分でお店を出し、常連さんが足繁く通う名店も素晴らしい。
でもそういう素晴らしい寿司文化を世界に広げようと挑戦する人もそれはそれで素晴らしい。
大切なのは関わる人々が、その活動や存在を通して幸せになっているかどうか。
その対象範囲が広ければ広いほど、その組織や活動の存在意義があるように感じます。
昭和時代、高度経済成長期の日本においては、一部そういう家族主義的な会社組織があったと聞きます。ただその時には顧客と社員という視点が強すぎて、株主の幸せを実現するという概念は少し置き去りにされていたのかもしれません。一方で近年の資本主義においては、株主利益の最大化に偏った考え方が長期に蔓延していました。頭がいい人ほどそれが正しいとしてきました。
それがここ最近、米国の主要企業の経営者団体ビジネス・ラウンドテーブル(BRT)が、顧客や従業員、サプライヤー、地域社会、株主などすべてのステークホルダーを重視する方針を表明したりと、世の中の流れは間違いなく本質的なところに立ち戻らざるを得なくなっているのではないでしょうか。
SDGsへの強い関心や流れなども、まさに人類にとって原理原則本質論への回帰であり、株式会社の意味を問い直すことと近しいベクトルを感じます。
新型コロナウィルスにより世界中がパンデミック状態で、経済的な損失も計り知れないですが、こういう時こそ組織のリーダーは、関わる全ての人々の幸せのためにできることをしていく必要があるのでしょう。
私ごときに何ができるのかはわかりませんが、社員と協力し、世の中が少しでも早くまた活気を取り戻し、幸せな人が少しでも増えるよう、全力を尽くしたいと思います。