この2ヶ月くらい、新聞各紙では幾度となく就職人気ランキング企業などを掲載してきた。
それを見るたびに複雑な気持ちになる。
とにもかくにも大きな会社で直近の業績が良い会社が列挙されているだけに見えるからである。もしくは前年度の平均賞与額の実績や、最近の平均給与などを見て、学生が選んでいるのではないかと思うくらいである。
そこからSHARP、東芝、三菱自動車などだけはすっぽりと名前が消えていたり、でもJALやSONYは再び人気企業になっていたり、商社は昨今の赤字発表のせいか順位が大幅に落ちていたり。。。。
日本の未来の経済を背負っていく若者達の社会への第一歩となる選択が本当にこんなんで大丈夫なのだろうかと心配になる。
一方で先日の日経新聞には米コロンビア大学の卒業生の就職先についての記事が出ていた。
内容としては、従来コロンビア大学卒業生の主たる就職先であった金融や政府機関への就職者が近年大幅に減少し、その多くがIT・インターネット領域の成長企業を選択する傾向が強くなってきているとのこと。コロンビア大学でそうなら、スタンフォード大学やマサチューセッツ工科大などであれば、もうとっくにそうなっていることだろう。
自分が働く業界がITやインターネットだから、そこがいいと言いたいわけではない。
明らかに学生が働き先を選ぶということにおいて、思考停止になっていることが危険だと思っている。
日本は豊かな国だと思われているだろうし、生涯安泰だと思っている人も多いだろう。
勿論現時点でGDPレベルは中国に抜かれたとはいえ世界3位の経済大国ではある。
しかしながら国民1人当りのGDPということでいえば、もはや20位以内にさえ入れないような国であることを多くの学生は知らないのではないだろうか。つまるところ1億人以上の人口がいるからこれだけのGDPを維持しているが、実際に国民1人当りでいえば、もはや韓国と同じかそれよりも低いくらいの経済レベルであるということである。
そういう現状において、多くの若く優秀な学生1人1人がレガシーな組織の中で、マニュアライズされた仕事を何十年もこなすような仕事を選ぼうとしているのだから、極めて不思議でならないし、思考停止だとしか思えない。
改めて情報が多い世の中だからこそ、自らその情報を集め、ちゃんと考え、判断する力をつけていかないといけないと思う。
日本という国やそこに存在するだけの会社という存在が自分の未来を守ってくれるという考えはもはや幻想に過ぎないのだから。
それを見るたびに複雑な気持ちになる。
とにもかくにも大きな会社で直近の業績が良い会社が列挙されているだけに見えるからである。もしくは前年度の平均賞与額の実績や、最近の平均給与などを見て、学生が選んでいるのではないかと思うくらいである。
そこからSHARP、東芝、三菱自動車などだけはすっぽりと名前が消えていたり、でもJALやSONYは再び人気企業になっていたり、商社は昨今の赤字発表のせいか順位が大幅に落ちていたり。。。。
日本の未来の経済を背負っていく若者達の社会への第一歩となる選択が本当にこんなんで大丈夫なのだろうかと心配になる。
一方で先日の日経新聞には米コロンビア大学の卒業生の就職先についての記事が出ていた。
内容としては、従来コロンビア大学卒業生の主たる就職先であった金融や政府機関への就職者が近年大幅に減少し、その多くがIT・インターネット領域の成長企業を選択する傾向が強くなってきているとのこと。コロンビア大学でそうなら、スタンフォード大学やマサチューセッツ工科大などであれば、もうとっくにそうなっていることだろう。
自分が働く業界がITやインターネットだから、そこがいいと言いたいわけではない。
明らかに学生が働き先を選ぶということにおいて、思考停止になっていることが危険だと思っている。
日本は豊かな国だと思われているだろうし、生涯安泰だと思っている人も多いだろう。
勿論現時点でGDPレベルは中国に抜かれたとはいえ世界3位の経済大国ではある。
しかしながら国民1人当りのGDPということでいえば、もはや20位以内にさえ入れないような国であることを多くの学生は知らないのではないだろうか。つまるところ1億人以上の人口がいるからこれだけのGDPを維持しているが、実際に国民1人当りでいえば、もはや韓国と同じかそれよりも低いくらいの経済レベルであるということである。
そういう現状において、多くの若く優秀な学生1人1人がレガシーな組織の中で、マニュアライズされた仕事を何十年もこなすような仕事を選ぼうとしているのだから、極めて不思議でならないし、思考停止だとしか思えない。
改めて情報が多い世の中だからこそ、自らその情報を集め、ちゃんと考え、判断する力をつけていかないといけないと思う。
日本という国やそこに存在するだけの会社という存在が自分の未来を守ってくれるという考えはもはや幻想に過ぎないのだから。