最近電車の中刷りや、書店の店頭でよくよく目にする以下の言葉。

「株主とは」
「物言う株主」
「ハゲタカファンド」
「会社は誰の物か」

ちょっと気になっており、最近いろんな人とこれらの話をするのだが、どうにも納得がいかないことが多い。
私自身は金融や経済、株式市場や証券取引法に長けているたけでも、専門的に勉強したことがあるわけでもないが、経営者を数年やっている中で、いろいろなことを真剣に考えてきた。

今日はそんな中で感じた昨今の株主至上主義に対する疑問を書いてみようと思う。

米国で主流とされてきた時価総額経営、株主至上主義経営が日本に上陸し始め、さらにそれを一気に定着・加速させたのがライブドア堀江氏や村上ファンドの村上氏の登場なのかもしれない。

その頃から急速に株主を重視すべきだという風潮、考えが台頭しだしている。

しかし本当に会社は株主のために存在するものなのだろうか。
その点について個人的には甚だ疑問をもっている。

「会社の所有者は」という質問には間違いなく「株主」と答えるだろう。
一方で、「会社は唯一株主のために存在するのか」という問いに関しては、「NO」と答えると思う。

もしYESであれば中小のオーナー企業は社長のために会社が存在するということなのだろうか。そうではないと思う。というかそうであってはいけないと思う。

所有者はオーナーである社長だろうが、会社として人を雇用し、顧客が存在する以上は、それは既に個人の所有物という範囲を超えた社会の公器と考えるのが当然の責任ではないだろうか。

私自身、経営者は株主から経営を委託されている立場であるという理解をしている。
ただその目的・ミッションは「株主価値最大化」だけではないと考えている。

重要なのは、株主、従業員、顧客といったステークホルダー全体のバランスを取り続けること、ではないだろうか。
如何にして従業員満足度を上げ、顧客に支持され、その結果として株主価値を最大化していくか、それこそが経営者に課せられた使命ではないだろうか。

そのバランスを取らずに株主価値を最大化することのみ追求することは、中小企業の社長が自分のためだけに社員を雇用し、顧客を開拓するということを意味する。
つまり自分の投資した資本を膨らませることだけを目的として会社を経営している、ということと同義だろう。

また株主というのは残余財産分配請求権という権利を有しているため、破綻した際には、借金などを返済した後に残った財産を受け取ることができる。
ただしあくまでも債権者などが最優先であり、それでも残ったらという弱い権利しか持たない。それはつまり、株主というのはそれだけ会社に責任ある立場であるということの表れなのではないだろうか。

それにも関わらず、昨今の株主主義経営を唱える人達の行動や言動を見聞きすると、自らが率先して投機的に株主としての権利を振りかざし、上積みの利益のみをさらっていくことにのみ執着しているような傾向があるように思える。
それこそ、株主という立場での会社への関わり方や責任ということを無視した行動だといえないだろうか。

もちろん一方で従来の株主を全く無視した経営には、より問題があるのは言うまでもない。それこそ論外だと思っている。

繰り返しになるが、個人的には経営者は株主だけを向いて仕事をすべきではなく、全てのステークホルダーのバランスを取ることによって、株主価値をも向上させていくことが重要なのだと考えている。

こんなことを書くと増資を引き受けてくれる方がいなくなってしまうかもしれないが、それこそが中長期的な株主価値の最大化と一致するはずであり、それが物事の本質なのではないだろうか。