企業における働き方は事業フェーズによって大きく異なる。
アーリーステージの企業であれば、寝食も忘れるくらい朝から晩まで
仕事に没頭するくらいでないと立ち上がらないだろう。
一方で一定の仕組みができあがってくると、次はクオリティ高く、
しっかりとそれを運営していく力が求められる。
働き方が異なるのと同様に、会社として求める人材も変化していく。
そういった前提に立つと、企業が成長していく中で、雇用する人材が
変わっていき、一定の入れ替わりが起こっていくというのが一般的なの
だろう。
ただ個人的には終身雇用的な発想に強い興味を持つ。
組織ロイヤリティを持ち続け、その組織の中で自分の目指す働き方や
役割が保てる、そんな組織であり続けたいと思う。
合理的に考えても、会社への高いロイヤリティをもって、組織貢献を
考えて働いてくれる人の存在は非常に大きいのは間違いない。
特に米国のようなシステム的な経営であれば、人材=機能として
代替が利くことが多いのかもしれないが、日本というカルチャーや
国民性から考えると、人の出入りが激しいことは、膨大なロスに
つながるのは明らかである。
その組織のことを良く理解し、高いロイヤリティをもち、何よりも
組織貢献を第一に考えて働いてくれる有能な人材を惹き付け続けられる
ような組織は、これからの知識社会においては間違いなく強いはず。
そういう意味でも私は次世代の終身雇用の仕組みを創ってみたいと
常々思っている。
まだ曖昧なイメージレベルでしかないが、その答えは積極的な
多角化もしくは権限委譲にあるのではないだろうか。
子会社やカンパニー、呼称は何でもいいのだが、多数の事業体が
存在するコングロマリッド型のグループ組織こそが、私の目指す
最終形態ではないかと思っている。
その理由としては、創業期から参画してくれているアントレプレナー
シップを持つ人材の能力を活かすには、事業の立上げや、経営的な
オポチュニティが必要であり、一方で結婚して落着いて働きたい
女性などには、風土やVisionは保ちつつも、運営ステージに入った
事業をしっかりと丁寧に運営していくという働き方が可能となる。
つまり一つのグループにおいて、フェーズの異なる事業体を複数
持つことによって、それぞれの持つ個性や能力、ライフワークバランス
を保つことができるのではないかと思う。
そしてさらにはそういう事業体やカンパニーを多数立ち上げていき、
責任と権限を委譲していくことによって、力あるビジネスパーソン
に経営キャリアを磨く機会を提供することができ、これは何よりも
エグゼクティブ育成という意味で大きな価値があると思っている。
もちろん一つ一つの事業体や組織に分けることで、一種の遠心力を
きかせて、モチベーションや高いロイヤリティを保つという効果も
期待でいる。
ではそういった業態が一つのグループでいる意味はどうなのだろう。
そこには、資金的な面や雇用の安心感、さらには大企業と互角に
戦えるだけのブランドや信用力という意味で価値があるのではない
かと思っている。
もちろんそれ以上にこのグループが大事にする雇用や働き方、
顧客に対する考え方といった価値観や理念ということに共感して
いるということが大前提にあるのは言うまでもないが。
一方で遠心力を活用することで、求心力が弱まり、効率的な経営が
できず、コントロールがきかなくなるという懸念をされる人もいる
だろう。
個人的には、製造業や労働集約型の業態であればそういう懸念も
もあるような気がするが、これだけ知識社会になってくると、
効率的な経営よりも、有能な人材が如何に組織貢献をし続けてくれる
かどうかという点の方が圧倒的に大きなファクターになるのでは
ないかと思っている。
つまり管理コストの二重化や、人事制度の複雑化といった諸問題
はもちろんありながらも、それ以上のメリットがあるのではないか
と思っている。
選択と集中が言われる昨今において、完全な天邪鬼のような意見を
どうどうと述べていることに、多少気がひける思いはあるが、
素人ながらに日々考えてきた現時点でのイメージはこんなところである。
もちろんまだまだイメージベースでしかなく、もっと深く考えて
いけば、様々な欠陥や欠点が見つかるかもしれない。
なんにせよ、社員が高いモチベーションとロイヤリティを保ち続けられる、
そんなビジョナリーグループを作り、次世代を代表する斬新な
経営システムを実現してみたいものである。
アーリーステージの企業であれば、寝食も忘れるくらい朝から晩まで
仕事に没頭するくらいでないと立ち上がらないだろう。
一方で一定の仕組みができあがってくると、次はクオリティ高く、
しっかりとそれを運営していく力が求められる。
働き方が異なるのと同様に、会社として求める人材も変化していく。
そういった前提に立つと、企業が成長していく中で、雇用する人材が
変わっていき、一定の入れ替わりが起こっていくというのが一般的なの
だろう。
ただ個人的には終身雇用的な発想に強い興味を持つ。
組織ロイヤリティを持ち続け、その組織の中で自分の目指す働き方や
役割が保てる、そんな組織であり続けたいと思う。
合理的に考えても、会社への高いロイヤリティをもって、組織貢献を
考えて働いてくれる人の存在は非常に大きいのは間違いない。
特に米国のようなシステム的な経営であれば、人材=機能として
代替が利くことが多いのかもしれないが、日本というカルチャーや
国民性から考えると、人の出入りが激しいことは、膨大なロスに
つながるのは明らかである。
その組織のことを良く理解し、高いロイヤリティをもち、何よりも
組織貢献を第一に考えて働いてくれる有能な人材を惹き付け続けられる
ような組織は、これからの知識社会においては間違いなく強いはず。
そういう意味でも私は次世代の終身雇用の仕組みを創ってみたいと
常々思っている。
まだ曖昧なイメージレベルでしかないが、その答えは積極的な
多角化もしくは権限委譲にあるのではないだろうか。
子会社やカンパニー、呼称は何でもいいのだが、多数の事業体が
存在するコングロマリッド型のグループ組織こそが、私の目指す
最終形態ではないかと思っている。
その理由としては、創業期から参画してくれているアントレプレナー
シップを持つ人材の能力を活かすには、事業の立上げや、経営的な
オポチュニティが必要であり、一方で結婚して落着いて働きたい
女性などには、風土やVisionは保ちつつも、運営ステージに入った
事業をしっかりと丁寧に運営していくという働き方が可能となる。
つまり一つのグループにおいて、フェーズの異なる事業体を複数
持つことによって、それぞれの持つ個性や能力、ライフワークバランス
を保つことができるのではないかと思う。
そしてさらにはそういう事業体やカンパニーを多数立ち上げていき、
責任と権限を委譲していくことによって、力あるビジネスパーソン
に経営キャリアを磨く機会を提供することができ、これは何よりも
エグゼクティブ育成という意味で大きな価値があると思っている。
もちろん一つ一つの事業体や組織に分けることで、一種の遠心力を
きかせて、モチベーションや高いロイヤリティを保つという効果も
期待でいる。
ではそういった業態が一つのグループでいる意味はどうなのだろう。
そこには、資金的な面や雇用の安心感、さらには大企業と互角に
戦えるだけのブランドや信用力という意味で価値があるのではない
かと思っている。
もちろんそれ以上にこのグループが大事にする雇用や働き方、
顧客に対する考え方といった価値観や理念ということに共感して
いるということが大前提にあるのは言うまでもないが。
一方で遠心力を活用することで、求心力が弱まり、効率的な経営が
できず、コントロールがきかなくなるという懸念をされる人もいる
だろう。
個人的には、製造業や労働集約型の業態であればそういう懸念も
もあるような気がするが、これだけ知識社会になってくると、
効率的な経営よりも、有能な人材が如何に組織貢献をし続けてくれる
かどうかという点の方が圧倒的に大きなファクターになるのでは
ないかと思っている。
つまり管理コストの二重化や、人事制度の複雑化といった諸問題
はもちろんありながらも、それ以上のメリットがあるのではないか
と思っている。
選択と集中が言われる昨今において、完全な天邪鬼のような意見を
どうどうと述べていることに、多少気がひける思いはあるが、
素人ながらに日々考えてきた現時点でのイメージはこんなところである。
もちろんまだまだイメージベースでしかなく、もっと深く考えて
いけば、様々な欠陥や欠点が見つかるかもしれない。
なんにせよ、社員が高いモチベーションとロイヤリティを保ち続けられる、
そんなビジョナリーグループを作り、次世代を代表する斬新な
経営システムを実現してみたいものである。