私が社員に対して強く求めて来た要素として、利他心と自責という2つがある。
弊社では全社員がその2つの要素を大事だと思っているし、自分はそうであろうと思って日々仕事に取り組んでいるはず。
しかし雑多な日常に追われて仕事をしていると、ついそういう意識が薄れてしまっていたりする。
そういう時はえてして同僚や上司、組織などに対して不満が募っていき、どんどん当事者意識が薄れ、ふてくされたり、勝てなくても自分だけはちゃんとやろうと組織での勝利を諦めてしまったりする。
ふてくされるのは論外だが、後者の「勝てなくても自分だけはちゃんとやろう」というこの発想も一見真面目そうだが、実は組織においては全くいけてない。
「みんな勝つつもりもないし、頑張ろうとしてないけど、自分だけはちゃんと最後まで頑張ろう」
という感覚は極めて自己満足的な考え方。
これは被害者意識や優等生的意識に近いもの。
サッカーチームだとして、後から監督に何でお前ら最後まで勝ちにこだわらなかったんだ!と言われても、「俺はちゃんと最後までやりました!」とここぞとばかりに言ったものの、監督から褒めてもらえないばかりか、仲間からの信頼を損ねる結果になりやすい。
固執すべきはチームとして勝ちという成果を得ること。
そのための努力を最後までしたなら素晴らしいが、上記の例は本気で勝つためにできることを最大限したのではなく、勝てなくても自分だけは頑張ろう、俺一人でも最後まで頑張ろうという、ある意味保身的だったり、被害者意識だったりが強く、本当に勝ちたくて勝ちたくて仕方ない人であれば、間違いなく違うアクションをするのではないかと思う。
何が言いたいかというと、自分だけは頑張ろう、人は人だし、という一見真面目で誠実そうだと思われがちな発想には、利他の心も自責の考えも全くないということ。
膝を付け合わせ、お互いに自分には何が不足しているのかを仲間に聞き、謙虚にそれを受け止めるということが大事だと思う。
思ったより難しいことだが、仲間を心から信頼すること、もし信頼できないなら何故信頼できないかということを徹底的に排除すべく努力すること、そしてその原因の多くは自分にあると謙虚に考えることが大事なんだと思う。
そういうチームは本当に強い。
利他心と自責の発想がある人達が集まればそれが可能になるはず。
今後成長していってもそういうチームでいることができれば、超クールな組織だと思う。
まだまだだが全力で取り組んで行こう。
弊社では全社員がその2つの要素を大事だと思っているし、自分はそうであろうと思って日々仕事に取り組んでいるはず。
しかし雑多な日常に追われて仕事をしていると、ついそういう意識が薄れてしまっていたりする。
そういう時はえてして同僚や上司、組織などに対して不満が募っていき、どんどん当事者意識が薄れ、ふてくされたり、勝てなくても自分だけはちゃんとやろうと組織での勝利を諦めてしまったりする。
ふてくされるのは論外だが、後者の「勝てなくても自分だけはちゃんとやろう」というこの発想も一見真面目そうだが、実は組織においては全くいけてない。
「みんな勝つつもりもないし、頑張ろうとしてないけど、自分だけはちゃんと最後まで頑張ろう」
という感覚は極めて自己満足的な考え方。
これは被害者意識や優等生的意識に近いもの。
サッカーチームだとして、後から監督に何でお前ら最後まで勝ちにこだわらなかったんだ!と言われても、「俺はちゃんと最後までやりました!」とここぞとばかりに言ったものの、監督から褒めてもらえないばかりか、仲間からの信頼を損ねる結果になりやすい。
固執すべきはチームとして勝ちという成果を得ること。
そのための努力を最後までしたなら素晴らしいが、上記の例は本気で勝つためにできることを最大限したのではなく、勝てなくても自分だけは頑張ろう、俺一人でも最後まで頑張ろうという、ある意味保身的だったり、被害者意識だったりが強く、本当に勝ちたくて勝ちたくて仕方ない人であれば、間違いなく違うアクションをするのではないかと思う。
何が言いたいかというと、自分だけは頑張ろう、人は人だし、という一見真面目で誠実そうだと思われがちな発想には、利他の心も自責の考えも全くないということ。
膝を付け合わせ、お互いに自分には何が不足しているのかを仲間に聞き、謙虚にそれを受け止めるということが大事だと思う。
思ったより難しいことだが、仲間を心から信頼すること、もし信頼できないなら何故信頼できないかということを徹底的に排除すべく努力すること、そしてその原因の多くは自分にあると謙虚に考えることが大事なんだと思う。
そういうチームは本当に強い。
利他心と自責の発想がある人達が集まればそれが可能になるはず。
今後成長していってもそういうチームでいることができれば、超クールな組織だと思う。
まだまだだが全力で取り組んで行こう。