私が就職活動をしていた1997年あたりはまだ一般レベルにはインターネットはほとんど普及していなかった。

その証拠に就職活動は全てハガキによる説明会申し込みによるもので、今のように便利なネットサービスは存在していなかった。今思えば不便過ぎる&面倒臭すぎる就職活動である。


しかし昨今インターネット社会、モバイル社会となり、今やPCなんぞに頼らずともスマホ1つで就職活動ができる時代。本当にテクノロジーによる利便性の向上というのはとてつもないと感じる。(若い人からすればおっさん臭い話しだが)


一方でその弊害として、考える癖がない人が増えているような一抹の不安も感じる。

世の中からいろんな情報を集めに集め、まるでそれを読みあさることで自分が成長しているかのような錯覚に陥ってはいないだろうか。


昔から良く言われることだが、知識と知恵は異なる。

組織論や経営論を知ってることと、経営できること、マネジメントできることは全くの別問題。
リーダーシップ論についていくつかブログを読んだからといって、リーダーシップが発揮できるわけでもない。

レッスン本を読んでゴルフスイングの理屈を徹底的に理解したとしても、練習しない限りゴルフができるようにはならないことと同じ原理。


日々、FacebookやTwitterのタイムラインにはありとあらゆる情報が溢れかえっている。
それらの情報を読み漁り、広く浅い知識を次々に吸収していくことで、仕事ができるようになった気になってしまうのが一番恐ろしい。

事業を立ち上げたことも、成功させたこともない人が、事業立ち上げのプロセス管理手法や適切なフレームワークなどについては語れてしまう時代。

ビジネスパーソンにおいて、情報感度が高いことは当然ながら至極プラスの要素ではある。
そのためにセミナーに行くも良し、情報収集するも良し。

一方で玉石混交の膨大な情報に埋もれてしまうことのないよう、自分の実践による経験値と知識のインプットのバランスをしっかりと意識して、単なる情報や知識を知恵に昇華させていくプロセスを通して実業家としての真の実力を身につけていかなければいけない。

評論家っぽい人ばかりが増えていく時代において、本当に努力して実務に時間を費やし、幾度と無く険しい壁を乗り越えた経験を持つ人の価値がますます上がってきているように思う。

自らが経験していないことを意図せず偉そうに語っている自分に気付いたら、それは評論家症候群の一歩かもしれないので要注意。私自身も時折そういう自分に気付き、慌てて反省したりしている(T_T)。

考える時間と情報を集める時間のバランス、そして実際に経験を積む泥臭い努力によってのみ、真の実力が磨かれるのではないだろうか。

自戒の念も込めて(^_^;)。